フリードリヒ・シラーの詩「歓喜の歌」(Andie Freude)をルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが第9交響曲の第4楽章で音楽化(合唱付き)し、200年前の1824年5月7日、ウィーンのケルントナー門劇場で初演が行われたという。シラーの賛歌は「歓び、美しい神の火花」(Freude, schooner Gotterfunken,)いう冒頭の言葉で始まる。
なぜ突然、ベートーヴェン(1770年~1827年)の話をし、交響曲9番の「歓喜の歌」について紹介するのか、というと、「歓喜の歌」が初演されてちょうと200年目という区切りを迎えたということもあるが、人間の平等な社会での理想を描いたシラーの「歓喜の歌」が聞くものを感動させる一方、初演された後の世界を振り返る時、「歓喜の歌」が響き渡るような世界となってはいない、という苦い思いも湧いてきたからだ。
ベートーヴェンはボン時代、フランス革命(1798年)の報を聞く。王権、貴族階級が崩壊し、自由と平等、博愛を賛美する時代の到来を告げたフランス革命に当時19歳だった若きベートーヴェンは大きな影響を受けた。彼は当時、詩人シラーが1785年夏に書いた「歓喜に寄せて」という詩に曲をつけることを考えたといわれている。
オーストリア国営放送(ORF)の文化欄で「歓喜の歌」初演200年について書いた記事が掲載されていた。曰く「ベートーヴェンはシラーの詩『歓喜の歌』が発表された直後からその詩を音楽化することを考えていた。その後、形式を探求する数十年の探求が続き、最終的にはほとんど耳が聞こえない状態の作曲家が最終楽章に合唱団とソリストを加えることで交響曲の慣習を打ち破ることになった。ベートーヴェンがプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に捧げた最後に完成された交響曲は、アントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーなどの後続者にとってスタイルの道を開いた」と説明している。
ベートーヴェンの賛歌「歓喜の歌」は1972年に欧州評議会によって国歌に選ばれ、1985年には当時の欧州共同体によって欧州の国歌に選ばれた。2001年には第9交響曲が国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)によって世界遺産に認定された。
「歓喜の歌」初演200年後の2024年に戻る。世界には戦争が吹き荒れている。世界の穀倉地ウクライナにロシア軍が侵攻し、その戦争は既に3年目に入った。ウクライナ側とロシア側を合わせれば数万人が犠牲となっている。中東ではパレスチナ自治区ガザでイスラム過激派テロ組織「ハマス」とイスラエルの間で戦いが続いている。数千人のイスラエル人と数万人のパレスチナ住民が犠牲となっている。
「歓喜の歌」が初演された後、人類は第1次、第2次の世界大戦を経験した。そして疫病で数百万人が死に、アフリカ大陸では飢えが席巻している。「歓喜の歌」は年末の風物詩として、コンサート会場では鳴り響くが、コンサート会場を一歩後にしたら、至る所で涙と悲しみが溢れている世界だ。
現実の世界は歓喜には満ちていない。それだけに、人は「歓喜の歌」を必要とするのかもしれない。リヒャルト・ワーグナーが「未来の芸術という人類の福音」と賞賛した「歓喜の歌」の最初の節を紹介する。
「喜びよ、美しい神の火花、エリュシオンの娘よ、我らは火に酔いしれて踏み入る、天よ、貴方の神聖なる聖域に!貴方の魔法は再び結びつける、時流が厳しく分けたものを;全ての人々は兄弟となる、貴方の優しい翼が留まるところに」
(ドイツ語の原文では、Freude, schoner Gotterfunken,Tochter aus Elysium,Wir betreten feuertrunken,Himmlische, dein Heiligtum!Deine Zauber binden wieder,Was die Mode streng geteilt;Alle Menschen werden Bruder,Wo dein sanfter Flugel weilt.)
2020年はベートーヴェン生誕250周年だったが、中国武漢発の新型コロナウイルスが欧州で感染拡大していたために欧州各地で計画されていた記念イベントやコンサートは開催されなかった。ウィーンでも交響曲第9「歓喜の歌」を楽友協会やコンサートハウスで聞くことはできなかったが、「歓喜の歌」初演200年の今年5月はオーストリア各地でさまざまな記念イベントが開催中だ。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、ベルリンの劇場博物館と国立図書館と共にこの記念日を祝い、歴史的なオリジナルの楽譜の一部を展示している。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年5月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。