激動期に突入したイランの政治体制

10年前以上になると思うが、ウィーン国連で取材活動しているイラン国営IRNA通信の女性記者は「休暇でテヘランに戻るが、イランの飛行機は絶対に乗らないわ」と言っていたことを思い出した。いわく、「欧米社会の制裁で航空機の部品が手に入らないからイランの飛行機はよく故障するのよ」というのだ。彼女はイランに戻る時は母親のためにウィーンで薬を買い、トルコ航空のチケットを購入するのが常だった。

ヘリコプター墜落事故で亡くなったアブドラヒアン外相(左)とライシ大統領(イラン国営IRNA通信、2024年5月21日)

イランのライシ大統領、アブドラヒアン外相ら9人が搭乗したヘリコプターが墜落して、死亡が確認されたというニュースを聞いた時、上記のイランの女性記者の話を思い出した次第だ。残念ながら、彼女は正しかったのだ。「西側ではあまり報道されないが、イランでは航空機の事故が頻繁に起きている」と語っていた。

それにしても、自国のフラッグ・キャリアの国営航空の安全性を信じられないということは悲しいことだ。民間の旅行者が利用する航空機の部品ぐらい制裁外にできないものかと考えてしまう。犠牲は政府関係者だけではなく、航空機を利用する多くの国民だからだ。

ライシ大統領(63)ら9人が搭乗したヘリコプター墜落事故についてまとめておく。イラン北西部でライシ大統領やアブドラヒアン外相らを乗せたヘリコプターが19日に不時着した事故で、イラン国営メディアは20日、搭乗者9人全員の死亡を確認したと報じた。大統領らが搭乗したヘリコプターが1979年のイラン革命前の旧式の機体(米国製ベル212)だったとはいえないから、事故の原因は「悪天候」(バヒディ内相)ということになった。最高指導者ハメネイ師の呼び掛けを受け、5日間の国民服喪が宣言された。

欧米の情報機関関係者は「悪天候の中、古いヘリコプターに搭乗するとは考えられないほど危機管理がない」と指摘する。ヘリコプター墜落で外からの影響(ミサイルなど)については現時点では聞かれない。独シュピーゲル誌とのインタビューで、イスラエルのイラン問題専門家ラズ・ツィムト博士(Raz Zimmt)は20日、イスラエル側の工作説について「考えられない」と否定している。

ちなみに、イスラエルのラビの中には「墜落は神の罰だ」といった過激な発言も聞かれる。また、ブリュッセルの欧州連合(EU)がイランの要請で行方不明のヘリコプターの捜索を支援するために衛星追跡システムを起動したことに対し、ドイツ・イスラエル協会のフォルカー・ベック会長は「イランのヘリコプターの捜索支援は外国のテロ組織を支援することに等しい」と批判している。

ポーランドで2010年4月10日、レフ・カチンスキー大統領ら政府関係者が搭乗したワルシャワ発の旅客機ツポレフ154型機がロシア西部のスモレンスクで墜落し、ポーランドは一度にほとんどの政府関係者96人を失うという大事故があったが、行政のトップの大統領と外交の顔の外相を失ったイランは今後どのようになるだろうか。

ハメネイ師は国民に向け、「イランは安定しているから、心配しなくてもいい」という緊急メッセージを発していた。4月に85歳になったハメネイ師の健康状況は良好ではない、といわれている。ハメネイ師が亡くなった場合、ライシ大統領がそのポストを継承する予定だったが、ライシ師がいなくなったのだ。ハメネイ師の後継者選びが混とんとすることが予想される。

イランのメディア報道によると、ライシ師の死を受け、イランで6月28日に大統領選挙が実際され、後継者が選出される予定だ。本来は大統領選は来年実施だった。

中東エキスパート、ダニエル・ゲルラハ氏(専門誌Zenithの編集長)は20日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューで、「国内の反体制派、改革派は弱く、保守派が国内を掌握しているから、ライシ師の死で国内が混乱するという懸念は少ない」と分析している。

イランではイスラム革命後、45年余り、イスラム聖職者による統治政権が続いてきた。2021年から大統領に就任したライシ大統領を代表とした保守聖職者支配政権に対する国民の不信感は強い。

22歳のクルド系イラン人のマーサー・アミニさんが2022年9月、イスラムの教えに基づいて正しくヒジャブを着用していなかったという理由で風紀警察に拘束され、刑務所で尋問を受けた後、意識不明に陥り、同月16日、病院で死去したことが報じられると、イラン全土で女性の権利などを要求した抗議デモが広がっていった。

それに対し、治安部隊が動員され、強権でデモ参加者を鎮圧してきた。その強硬政策の張本人がライシ師だった。今年4月には在シリア・イラン大使館空爆への報復としてイスラエル本土へ初の直接攻撃を仕掛けるなど、強硬姿勢が目立った。

イランはまた、核開発を継続し、国際原子力機関(IAEA)の最新報告書によれば、核兵器用濃縮ウランを増産している。イランは近い将来、核兵器を製造し、世界で10番目の核兵器保有国に入るのはもはや時間の問題と見られている。イランはロシア、中国に傾斜し、欧米諸国からの政治的圧力をかわしてきた。

イランの国民経済は厳しい。イランの通貨イラン・リアルの対ドル為替レートの下落には歯止めがかからない。インフレ率も久しく50%を上回ってきた。イランでは若い青年層の失業率が高く、多くの国民は「明日はよくなる」という思いが持てない。特に、ソーシャルネットワークで育った若者は、イスラム革命のイデオロギーに共感することは少ない。聖職者統治政権と国民の間の溝は更に深まっている。

その一方、イラン当局はパレスチナ自治区ガザのハマス、レバノンのイスラム根本主義組織ヒズボラ、イエメンの反体制派民兵組織フーシ派へ武器、軍事支援をし、シリアの内戦時にはロシアと共にアサド政権を擁護するなど、多くの財源を軍事活動に投入している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。