蓮舫氏の二重国籍問題については、よく知られているとおり、私がアゴラで告発したのがきっかけである。そのことについて、問題の発端からの膨大な記事を整理してリンクをつけて何度かに渡って解説しようと思う。
その予告とともに、本日は予告編として、問題の概要を説明しておきたい。
小池氏は「学歴疑惑」を問題にされていて、これも怪しげだが、カイロに留学してアラブ語の通訳の仕事をしていたのは事実だから、少し粉飾した程度のことだ。政治家やタレントが遊学を留学と言うなど粉飾するのはよくあることだ。
それに対して、「国籍についてウソ」をついて政治家になり、いまなお嘘をついているらしきことは、政治家にとって重大な欠格事由だ。
蓮舫氏は政権与党を厳しく追及するものの、同様のことを自分もしていたりすることも多く、「ブーメランの女王」といわれている。
私が、民進党代表選に出馬した蓮舫氏の「二重国籍」疑惑をネットで取り上げたのは2016年8月である。その前から外国から帰化した人が国会議員になっても構わないが、「日本国家への忠誠を示すのが国際常識だ」という論陣を張っていたが、そのときは選挙公報などの「台湾から日本に帰化」という説明を信じていたのである。
ところが、同趣旨の記事を夕刊フジに寄稿する際、蓮舫氏の言動などから「二重国籍」が続いている可能性を懸念して、帰化の正確な日付などを確認編集局を通じて蓮舫事務所に問い合わせたところ、慌てて混乱し、「法律改正で二重国籍となったのではなく、日本国籍を取得しました」と回答するなど奇妙だった。
そこで、同年8月29日発行のアゴラで二重国籍疑惑を書き、夕刊フジに「民進党代表選〝蓮舫代表〟は適格か」というタイトルで寄稿した。「『国籍放棄の証明』を、放棄日も入った文書で、党員や国民に対して示す責任がある」と指摘した。
「二重国籍」疑惑に対して、蓮舫氏は、もともとは、父親の台湾籍だったが、日本の法律改正で17歳の時に母の国籍(日本国籍)を持てるようになった。「1985年1月21日に日本国籍を取得し、併せて台湾籍の放棄を宣言した」(2016年9月6日、高松市での記者会見)などと説明した。
実際には、台湾籍は除籍されておらずこの時点では合法的ながらも「二重国籍」となり、その後、国籍法で定められた「22歳になるまでの国籍選択」も行われていなかった。
それを認めるまで、蓮舫氏は「台湾籍を抜いている」「私は生まれたときから日本人だ」(同月3日、読売テレビ)、「当時の私は17歳で、すべて父に任せっきりでした」『父親の台湾の戸籍謄本は見たことがない(ので自分の名が載っていることに気づかなかった)」(同月9日、ジャーナリスト・野嶋剛氏、Yahoo!ニュース編集部のインタビュー)などと、考えにくい説明を繰り返した。
そして、ネット民の追及で、蓮舫氏の説明の矛盾が次々と明らかになった。一連の顚末(てんまつ)は拙著『蓮舫「二重国籍」のデタラメ』(飛鳥新社)に書いてある。
しかし、逃げ切れず、台湾籍の除籍をし、10月7日に国籍選択宣言をすることで、ようやく法的に瑕疵のない日本人になったのである。
そこで、アゴラ編集部では、台湾旅券、台湾籍の離脱証明書、それに国籍選択を記した日本の戸籍謄本の一部の公開を要求し、蓮舫氏は17年7月18日にその公開に追い込まれた。
もう問題は残っていないかといえば、そうではない。なぜなら、蓮舫はまだ、二重国籍だったことは知らなかったと強弁している。マスコミで二重国籍と自分でいっていたのだから、つまり、自分は二重国籍でないと思っていたが、そのほうがなんか格好いいと思って嘘を言っているつもりだったが、「本当に二重国籍だったなんて知らなかったのよ」とでも言いたいのだろうか。
また、台湾旅券は使ったことがないといっているが、積極的に説明しようとしないし、家族の国籍とか、三重国籍とかいうことはないのかとか、この際、蓮舫氏が説明しておいた方がいいことはたくさんあるのだ。