スーパーの卵棚の裏側:ケージ卵に隠された鶏の現実 --- 泉 史子

最近少しずつ、スーパーの卵の棚に「平飼い卵」を見ることが増えてきました。とはいえ、それはごく一部で、9割以上は「ケージ卵」が並んでいます。この「ケージ卵」とはどういうものなのか、自身の体験をもとにお伝えしたいと思います。

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私は昨年まで採卵養鶏場で働いていました。日本で一般的なケージ飼育です。6月中旬になると、鶏舎の中は朝8時の時点でもう30度に達していました。鶏は、暑さをしのぐために羽を広げて熱を逃がそうとします。でもぎゅうぎゅうのケージの中では羽を広げることはできません。鶏たちはケージの間から頭だけを出し、口をあけてハアハアという早い呼吸を繰り返していました。8月に入ると鶏舎の中は37度に達し、たった一日で200羽を超える鶏が死んだこともありました。

私がこれまで働いた採卵養鶏3社は、いずれも日本で一般的なケージ飼育でした。ケージは狭く、私が働いたある大手養鶏グループの農場は、一羽当たりの面積が285平方センチメートルしかありませんでした。一羽当たりたったの17センチ四方ということになります。

ケージの中には鶏の習性上必要な巣も砂場も止まり木もありません。四方は金網で、足元も糞が下に落ちて処理しやすいよう金網になっています。足元の金網は卵が集卵ベルトに転がりやすいよう斜めに傾いています。鶏は斜めに傾いた床の上で一生暮らすということになります。

床が傾いているので、弱った鶏は前に押し出されて、飼槽の下に挟まれ抜けなくなってしまうことがよくありました。従業員が気づけば挟まりを解きますが、一人で数万-10万羽を管理する今の工場養鶏では、一羽当たりの目視確認にかけられる時間は一日0.1秒に満たず、気付かないことのほうがずっと多いです。私はこれまで数えきれないくらい、挟まれたまま、挟まれた部分が出血・壊死し、死んでしまった鶏をケージから取り出してきました。

休憩時間になると、私はよくケージの前で鶏たちをじっと観察しました。はじめは人がいることを警戒して鶏はこちらを見て固まっていますが、しばらくすると警戒心をとき「日常生活」にもどります。

※画像はイメージです
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彼女たちはすし詰めのケージのなかで頭をいつもキョロキョロと動かしていました。鶏は自然界なら、15000回地面を突いて足で土をひっかいてあちこち探索し、念入りに砂浴びをして羽を広げて虫干しし、忙しい毎日をすごします。ケージの中の鶏たちも何か自分の興味をひくものや、つつけるものを探しているようでした。

床になにかあるのではないかと探すように頭を伏せて床の金網をあちこち見ている鶏や、床の金網越しにその下にたまった鶏糞を突こうとする鶏もいました。飼槽の餌をずっとつつき続けている鶏もいましたが、実際に食べているのではなく、つついているだけです。

佐藤衆介氏の書いた「アニマルウェルフェア」という本には「他に何もすることが無いケージ飼育では摂食時間が有意に長かった。しかし摂食時間のうち30~50%は餌の摂食をともなわない、偽摂食行動(食べる真似)である」と書かれています。

飼槽に頭を入れている鶏が何をしているのかみていると、餌ではなく飼槽についている斑点や汚れを突いていました。何もないケージの中で生きる楽しみを見つけようと鶏たちは努力を続けているように見えました。その努力はと殺される日まで続きます。

飼槽の餌をつついて砂浴びの真似事もしていました。餌を砂や土と考えてそうするのでしょう。飼槽に首を伸ばして餌を自分のほうにくちばしで掻きよせるような仕草をして、羽を膨らませて砂や土を羽の間にとりこもうとするように金網の床に体を横たわらせてバタバタします。そんなことをしても体はきれいになりませんが、繰り返し繰り返しその行動をしていました。

ケージの天井は低く、鶏は体を伸ばすこともできない状況で、毎日見ていると鶏が感じる圧迫感が伝わってきます。鶏は高さ56cmまで活動するといわれていますが、ケージの高さは一番低いところで40cm、高いところで45cmしかありませんでした。

高さに差があるのはケージが傾いているためですが、傾いた床の上での生活がどれだけ鶏を苦しめているかは、毎日観察しているとよくわかりました。

鶏たちはつま先に力を入れて足を踏ん張るようにして斜めの床の上に立っていましたし、じっと立っていると足が滑っていくこともありました。歩くときはバランスが悪そうに足を滑らせながら歩いていました。斜めに傾いた床の上で、過ごしにくそうに足元の金網をつかみ、その趾の爪が2センチ近くも伸び切っているのを見ると何とも言えない気持ちになりました。

土の上を歩きまわることができれば、こんな風に爪は伸びません。ケージから死んだ鶏を取り出す時に、伸び切った爪が床の金網に絡まって、なかなか取り出すことができないこともありました。

私が働いた養鶏場のうち、1社は開放型鶏舎(窓がある鶏舎)で、2社はウィンドウレス鶏舎(窓がない鶏舎)でした。「強い農業づくり」などの畜産補助事業では、鶏舎補助は防疫の観点からウィンドウレスに限るなどとされています。しかしわたしはウィンドウレスが防疫に有効だと思いません。

わたしがウィンドウレス鶏舎の中に入って初めに思ったのは「マスクがないと居られない」ということでした。粉塵がウインドウレスの鶏舎の中には充満していました。はじめの数日は頭痛がし、窓がなく換気扇だけで空気を循環させている鶏舎の中はこんなにも埃っぽいのかとおどろきました。細かい脂粉や羽毛が空中を舞い、粉塵に混じった浮遊細菌のせいか、マスクを外すと顔がかゆくなりました。鶏舎の中では皆マスクをしており、喉を傷めている従業員が多いということでした。

人はマスクをすればいいですが、鶏はできません。とくに鶏にとって空気は重大な問題です。鳥類は酸素を効率よく取り込むために、肺の9倍もある気嚢を持っています。その気嚢は全身に広がっており、体重あたりの酸素要求率も、豚や牛と比べると3倍以上です。作業者は仕事中だけマスクをして鶏舎に入れば良いですが、鶏はここで毎日1年半ほども過ごします。健康な状態でいられるような空気とは思えませんでした。

大手養鶏グループの農場は12鶏舎120万羽を飼養する巨大なウィンドウレス農場でしたが、家畜保健衛生所の検査で、すべての鶏舎からサルモネラ菌が検出されました。2022-2023年にかけて鳥インフルエンザで1700万羽をこえる鶏が殺処分されましたが、多くはウィンドウレス鶏舎です。ウィンドウレスでも小動物はどこからでも入ってきます。鳥インフルエンザウィルスを媒介するネズミも鶏舎の中を走り回っており、粘着シートがあちこちにおかれ、殺鼠剤がしつこく撒かれましたが、まったく効果はありませんでした。

ケージ飼育=衛生的だという話も時々聞きます。しかし私にはそうとも思えませんでした。集卵ベルトから集卵室に流れてくる卵は、糞や割れた卵の黄身や、総排泄腔脱(総排泄腔からの内臓脱出)を起こしたニワトリの血やワクモ(鶏舎に生息する寄生虫)で汚れていました。食卓の卵がきれいに見えるのは、汚れた卵がGPセンター(卵の洗浄・パック詰めを行う工場)できれいに洗浄されるからにすぎません。

ケージ飼育を肯定する意見の一つに「放し飼いだと闘争が起こる」と言うものもありますが、闘争があるのはケージ飼育でも変わりません。

私が働いた農場の一つ(開放型鶏舎)は、1ケージに二羽という飼育方法でしたが、二羽であっても闘争がありました。ケージの中で同居の鶏に踏まれて平べったく地面にはいつくばっている鶏を何度も見かけました。繰り返し同居鶏にマウントされて背中が剥げている鶏もいました。逃げようとでもするように前のめりになって飼槽の下から上半身を出している鶏もよく見かけました。そうやって上半身をずるずると前に出した結果、羽の付け根が挟まって戻れなくなり死んでしまっている鶏を数えきれないほど見ました。

現場従業員は、採卵鶏の死亡原因で一番多いのは「挟まれ」だと言っていました。挟まれを解き、鶏をケージの中に戻しても問題は解決しないということに、私はしばらく気が付きませんでした。

鶏舎の中で毎日初めに行う作業は、死体をケージから取り出す作業です。ある日の朝も死体を探して鶏舎を巡回していました。すると一羽の痩せほそった鶏が、飼槽の下から上半身を出して挟まれていました。この鶏は体のあちこちから出血し羽もほとんど無くなって、弱りきっていました。

このままだと集卵ベルトが動いた時に集卵ベルトで体を擦ってしまうので、あわててケージの中に戻しました。体を動かすときその鶏は痛がって何度も悲鳴を上げました。でもその次の日に見るとその鶏はまったく同じ姿勢で飼槽の下からまた体を出していました。それを見て私は理解しました。血が出ていたのは同居鶏に突かれていたからで、少しでも逃れようと隙間から弱った体をはいずり出していたのだと。

ケージ内の闘争で苦しむのは下位に立つ鶏だけではありません。ケージの中で一羽に与えられる面積はせいぜい20センチ×20センチです。上位の鶏であっても、羽や筋肉を伸ばすどころか、最低限のプライベートスペースさえ確保することができません。研究では鶏は与えられるスペースが広がるにつれて隣の鶏との距離を長くすることがわかっています。ある程度他者から距離を置きたいというのは人と同じです。

ケージフリーにするとツツキが増えて死亡率が上がるという意見がありますが16カ国の養鶏場データをメタ分析した研究では、飼養管理の経験値が上がるにつれてケージフリーの死亡率は下がり、近年ではケージ飼育もケージフリーも死亡率は変わらないという結果になっています。

ケージフリーであれば飼養環境を改善することでツツキが防げますが、ケージでは防ぐことは絶対にできないと、私は思います。

NGOによる国内調査では、採卵鶏がケージ飼育をされていることを、消費者の7割は知らないということです。私が採卵養鶏場で働く理由の一つに、事実を多くの人に知らせたいということがあります。また別の理由に、自分が働くことで鶏の苦しみを減らすことができるのではないかという気持ちがあります。

私が働いた養鶏場の一つでは、淘汰する鶏(卵つまりや衰弱などで卵を産めない鶏を排除する)を、羽を背後で交差して動けないようにしたのちに、鶏舎の二階から生きたままで落としていました。二階から落とされた鶏は、落とされた衝撃で目から血を流しながら、安全な場所へ避難しようと身をもがいていました。1階で飼育されている鶏は、羽を交差されたのちに、生きたままで死体と一緒に廃棄処分されていました。農場の従業員の話では、死鶏の集積所には生きた鶏がたくさんいるということでしたので、生きたままで廃棄している農場は少なくないだろうと私は思っています。

廃棄された「生きた鶏」は死体と一緒に産業廃棄物業者によって回収されます。産業廃棄物業者は複数の農場を回って(養鶏場だけでなく養豚場も回ります)大きなコンテナの中に上から上へ死体を積み重ねていき、最終的に死体処理工場(レンダリング工場)に運びます。羽を交差された生きた鶏がどの段階で死ぬことができるのかはわかりません。積み重ねられた死体の重みで圧死窒息死するのかもしれませんし、レンダリング工場まで生き延びて、そこで熱処理されることで死に至るのかもしれません。いずれにしても人道的な方法とは言えません。

これは私が働いた農場とは別の農場の話ですが、そこでは淘汰対象の鶏を生きたままで焼却炉に放り込んでいました。死体も、卵を産めなくなった生きた鶏も、養鶏業では同じように価値のないものなのです。

私が働いた別の養鶏場では、淘汰そのものを行っておらず、鶏は動けなくなっても、総排泄腔脱で内臓が出て尻周りが血まみれになり苦しんでいても、死ぬまで放置されていました。

話が少しそれてしまいますが、採卵鶏は多くの病気を抱えています。

鶏の祖先は赤色野鶏だと言われています。その赤色野鶏の年間産卵数は数十個ほどにすぎませんが、家畜化された採卵鶏の産卵数は320個です。この不自然な産卵能力は、鶏の体の代謝に負担をかけています。

自分に必要なカルシウムまで卵の殻として排出する採卵鶏では、骨粗鬆症やそれに伴う骨折が一般的で、約30%の死因は、骨粗鬆症に関連しているといわれています。また、産卵能力を強化されたことによる生殖器病変も多いです。

産卵鶏は卵巣癌が多発するため、ヒトの卵巣ガンの研究の実験動物として利用されているほどです。腫瘍が腹腔内転移すると、そこからさらに腹膜炎を併発したり、卵つまりなどの症状を起こしたりします。進行すると腹水がたまり、そうなると鶏は重たい膨らんだ腹を抱えてペンギンのような歩き方をするようになります。

一年間に300個も卵を産むように育種されてきた採卵鶏では総排泄腔脱は一般的な疾患ですが、総排泄腔脱を起こすのは産卵時ですので、これも「育種」が大きな要因です。 ゲノム編集こそ行われていませんが、「育種」は採卵鶏をとても苦しめています。

鶏舎の中ではこれらの病気に苦しむ鶏を毎日見ました。立つことができなくなり、ケージの中でうずくまっている鶏を何度もみかけました。ひっくり返ったままで立てなくなっている鶏もいました。

ケージ飼育の鶏は平飼いの鶏と違って怯えやすいのが特徴です。刺激になれていないためです。ケージの鶏に近づくと、鶏は怖がって狭いケージの中で暴れます。でも骨折などで動くことができなくなった鶏たちは逃げることができません。私が近づくと動けないまま首だけきょろきょろと動かし、眼を見開いて怯えたような様子をみせました。

立つことができなくなった鶏たちは、首を伸ばして餌や水を得ようと首を伸ばして何度も試みていました。でも餌の入っている飼槽まで届くことはなかなかできないし、飲水ピックは上部にあるので立ち上がらないと届きません。しだいに日数がたち衰弱が進むと、餌や水を得ようとするそぶりも見せなくなりました。

衰弱しても、鶏たちはすぐには死ぬことができません。そして死ぬ間際まで鶏は意識を保っています。餌や水を得ることができない状態でも、金網の上に体を横たえワクモ(鶏の血を吸う虫で、採卵養鶏場での湿潤率85%という調査もあります)に血を吸われながら何日も生きます。

内臓脱出(総排泄腔脱)を起こした鶏たちはもう座ることができませんでした。座ると総排泄腔から飛び出した内臓がこすれてしまうからです。脱出を起こしてペンギンのような姿勢で目を閉じてじっとしている鶏も何度もみかけました。人間は痛みに耐えるとき眉間にしわを寄せて目をつぶりますが、それと全く同じ表情をしていました。羽を逆立て背中を丸めて目をつぶってうなだれている姿は、信じがたい痛みを味わっていることを表していました。強度の脱出を起こした鶏は例外なく死んでいきましたが、その鶏たちもすぐには死ねず、死ぬまで何日も苦しみました。

ケージの中で瀕死の鶏が死んでいく様子も何度か目の当たりにしました。

ある鶏は飼槽の下から顔を出し、金網の床に横たわったまま弱弱しく口をあけてあえいでいました。しばらくすると空気が足りないかのように大きく口を開けてあえぐようになり、そのうち体全体を大きく何度か痙攣させました。その間ワクモに血を吸われ貧血でくすみ白っぽくなったトサカの上をワクモがはって歩いていました。痙攣を2分ほど繰り返したあと、薄目を開けたまま動かなくなりました。

死んでしまった鶏をケージから取り出すと、産まれてから一度も砂浴びすることができなかった体は薄茶色に汚れぱさぱさしており、爪は2cm近く伸びていました。総排泄口からは内臓が脱出し血を流しており、抱き上げた体はとても小さく軽かったので、何日も餌を食べていなかったことが分かりました。

私はそういった鶏たちを見て、死体を使って頸椎脱臼(脊柱を頭蓋骨から脱臼させ脊髄を切断することで死に至らしめる方法)の勉強をはじめました。頸椎脱臼は安楽ではありませんが、日本の養鶏場の中でできる唯一の殺処分方法です。死ぬまで放置したり、生きたままで二階から落としたりレンダリング工場に出したりしてはいけないと思いました。

養鶏場では一羽ごとの治療は行われません。そのようなコストを養鶏業は想定していません。卵の安さを考えると、一羽一羽にそのようなケアをすれば大赤字になってしまいます。ですので苦しむ鶏に対してできる唯一の方法は殺処分のみになります。

繰り返しになりますが、頸椎脱臼は安楽死ではありません。意識を即時喪失させることができるのは1割に過ぎないとも言われています。安楽死をするなら、鎮静剤、麻酔剤のちの致死剤という手順を踏む必要があります。その方法を提案したこともありましたが、コストがかかって無理だといわれました。殺し方の配慮をするような余分なコストはかけられないというのは養鶏産業の一般的な考えだと思います。

頸椎脱臼は安楽ではありません。しかし何日も苦しませ続けたり、生きたままでレンダリングに出したりするのは論外でした。快適な環境に移してケアをしてやることができないのであれば、安楽死ではない頸椎脱臼であっても、できるだけ早く殺すのが最善の選択だと私は思いました。

このようなことまで書いたのは、ニワトリが安楽死すらしてもらえない最底辺のところで苦しんでいるということを知らせたかったからです。今の工場型養鶏では、鶏が一羽一羽ケアされるということはありません。命への感謝というものもそこにはありません。あるのは搾取だけです。

私は卵を買うとき、必ず平飼いを買います。ただ、今の平飼いも工場型のところが多く、ウィンドウレスで陽の光も見えず、床は金網で過密飼育という「平飼い卵」も少なくありません。そのため飼育方法が明らかになっているところのものを選んで購入します。1個100円ほどですが、高いとは思えません。これを高いと感じてしまう社会が、今の鶏の現状に繋がっているのだと思います。

泉 史子
2011年の東北大震災で畜産動物の被災状況を知り、動物の権利や家畜福祉(アニマルウェルフェア)について考えるようになりました。畜産現場の動物の状況を伝えたいという気持ちと、畜産動物の苦痛をすこしでも軽減したいという思いで、これまで複数の畜産施設で働いています。