水田と防災:「田んぼダム」から考える水系主義

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1. 水害と流域治水

近年、地球温暖化に伴い、極端な気象による激甚災害リスクが高まっている。水害は、人命や財産等を一時的に脅かすだけでなく、その後の経済や社会情勢にも多大な影響を与える。

対応が急務となる中、国や都道府県による一級・二級河川の整備計画は完了しておらず、その上流に位置する準用河川や排水路の整備に着手できない市町村は雨水流出抑制の推進が課題となっている※1)。さらには、気候変動により計画高水高を超過する洪水の頻度が増え、計画高水高の設定自体の見直しも必要となっている。

そのため、既存施設の計画降雨を超える大雨が引き起こす浸水被害を軽減するため、多面的機能を有する水田を活用し、営農を続けながら地域防災・減災に貢献できる「田んぼダム」の取組みが流域治水対策の1選択肢として注目されている。

2. 田んぼダムとは

「田んぼダム」とは、田んぼダムを実施する地域やその下流域の氾濫被害リスクを低減するための取組み※2)である。

平常時の水田の主目的は営農であり、農業者は水位や水温を農作物の生育状態に合わせて管理している。洪水リスクがある場合のみ、農作物の生育を阻害しない高さまで水位を上げ、降雨を貯留できるように改良・運用した水田を田んぼダムという。

田んぼダムの取組みは、2002年に新潟県の旧神林村(現村上市)において下流地域の集落から上流地域の集落に取組み推進を呼びかけることで始まり※2)、日本各地へ広まった。

3. 継続的に田んぼダムを実施するための工夫

田んぼダムの取組みを実施するためには、水田の改良が必要となる。

具体的には、

  1. 十分な高さ(30cm 程度)のある堅固な畦畔の整備
  2. 貯留した雨水を迅速に排水できる落水口の整備
  3. 想定する降雨や落水口に合った流出量調整器具の設置

により貯留効果の高い水田に改良する※2)

ここで注意したいのは、田んぼダムは施設ではなく、ソフトとハードが融合した取組みである。したがって、営農しながら、農作物へ悪影響を与えずに田んぼダムの機能を維持していくためには行政機関、農業者、関係団体、地域住民との連携が不可欠となる。

田んぼダムの取組みを実施するにあたり、水田改良および田んぼダム機能を維持する際の費用が農業者の負担となり、取組が普及しないことが懸念されている。

これらの金銭的負担を軽減するために農林水産省の多面的機能支払交付金※3)を活用することができる。例えば、新潟県見附市は、田んぼダムの取組み実施率を高めるために器具改良(新型調整管)や仕組みを整えた※4)

仕組みの面では、先に述べた多面的機能支払交付金の活用の他、見附市独自の制度として田んぼダムの取組を実施する農業者に対して委託料を支払うことで、農業者へインセンティブを付与し、普及を図った。その結果、平成23年の市内の田んぼダム実施率は全体の39%であったが、令和3年には全体の95.8%まで大幅に向上した。

営農への影響を心配する声もあるが、畔を高くするなど田んぼダムを実施した水田において農作物の収穫量や品質に明らかな影響がないとの報告がある※2)。営農への影響を最小限にするためには、落水口の整備や流量調整器具の選定等を正しい方法で行い、貯留した雨水を迅速に排水することが重要である。

4. 田んぼダムの効果

田んぼダムによる防災・減災効果について述べる。

愛知県安城市の堀内川流域にある水田4.08haの貯留量(水路流量調整方式)は、田んぼダムの整備前は2,611m3、整備後は3,982m3に増加すると試算結果※1)が出ている。また、新潟市亀田郷地域では、1998年8月豪雨の規模の降雨時に田んぼダムを実施した場合、田んぼダムを実施しない場合と比較して鳥屋野潟のピーク水位は約17cm低下し、浸水域を26%、氾濫水量を31%低減できる試算結果が出ている※5)

以上のように、田んぼダムの取組みによってピーク流量を低減することで、下流地域の被害リスクの低減が明らかである。ただし、水田を有する全ての地域で田んぼダムの取組みが効果を発揮する訳ではなく、地形や流域面積に占める水田の割合などを考慮した適地の選定が必要となる。

5. 水系主義の強化へ

河川は源流から河口まで複数の地域を流れているため水系毎に管理されている。一級河川は国土交通省、二級河川は都道府県、準用河川や一般河川は市町村が管理している。

流域面積が最も広い利根川(16,842km2)は、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、長野県の1都6県にまたがる。そのため、利根川水系における流域治水を考える際に、上流地域から下流地域までを含む1都6県の関係市町村の連携が求められる。

下流地域での洪水被害を軽減するためには上流地域において田んぼダムを実施する必要がある。しかしながら、先に述べたように田んぼダムの実施にはコストと手間が必要となるため、負担側となる上流地域の農家にとってインセンティブが働かない仕組みのままでは田んぼダムの普及は進まない。

田んぼダムが最大限の効果を発揮するためには、このような受益者と負担者が一致しない問題に対して、行政のサポートが必要となる。例えば、田んぼダムの設置や管理に伴う経済的支出を行政が負担することで、上流地域の農家が田んぼダムを実施するハードルが下がる。ここで指す「行政」は田んぼのある上流地域ではなく、受益者となる下流地域も含まれるべきであろう。

既存の行政の枠組みを超えて、流域全体の連携を強化させるためには、行政、住民共に上流地域と下流地域が1つの共同体という意識を醸成する必要がある。

歴史を振り返ると、日本人は洪水との戦いに打ち勝つために様々な知恵を絞ってきた。例えば、武田信玄は信玄堤によって度重なる洪水から甲府盆地を守り、稲作地域へと発展させることで、住民の豊かな暮らしを実現させた。

人間が生きるためには水が必要であり、河川のおかげ多くの恵みを享受してきた。激甚災害が増える昨今においても、河川と上手に付き合っていくことが求められているのではないか。

日本地図を眺めると自治体間の境界線が河川上に引かれており、河川は地域における「端」という印象である。河川は日本の歴史や文化に深く関係している。せっかくなので、この機会に河川を中心とした共同体、水系を軸とした新しい国土の形を考えていきたい。

【参考文献】
※1)国土交通省:第1回グリーンインフラ大賞 国土交通大臣賞・優秀賞受賞事例,(参照日2024-06-02)
※2)農林水産省農村振興局整備部:「田んぼダムの手引き」,令和4年4月
※3)農林水産省:多面的機能支い交付金,(参照日2024-06-02)
※4)椿一雅:水田の有する多面的機能を活用した地域防災の取組,農業農村工学会誌,85,No.12,pp.7-10,2017.
※5)吉川夏樹:グリーンインフラとしての水田の役割と田んぼダムの可能性,ランドスケープ研究86,No.1,pp16-19,2022.