神戸から名古屋まで、時間があったので在来線で向かうことにしました。それでもまだ名古屋でのアポイントの時間までまだ余裕があります。どこかで途中下車しようと画策して下りたのが滋賀県米原市の醒ヶ井(さめがい)駅でした。
地名は醒井ですが、駅名は醒ヶ井と「ヶ」が入ります。神戸の三宮はJRだけ「三ノ宮」。岩手の一関は駅名だけ「一ノ関」、兵庫の西宮は2007年まで「西ノ宮」でした。駅名だけ「ヶ」や「ノ」が入るのは「東京の人が読めないから」という地元無視、東京中心の国鉄の考え方によるものの名残です。
と、本論から脱線してしまいました。醒ヶ井駅は北陸の玄関口米原駅のひとつ東隣にある駅です。かなりひっそりとした集落ですが、かつては中山道の醒井宿があり賑わいを見せていました。
駅から宿場に向かう途中、レトロな洋風建築が目に入りました。これは旧醒井郵便局。醒井は中山道の主要幹線上にあったことから日本の郵便がはじまった明治5年に開局しています。この建物は滋賀県を拠点に数々の名建築を生み出したウィリアム・ヴォーリズが設計したもので大正4年に建築されたものです。昭和48年まで使用され、現在は醒井宿資料館として活用されています。
宿場の中心を流れるのは地蔵川。斜めにかかる2つの橋が特徴的です。この橋を渡ると本陣のあった醒井宿に入っていきます。この辺りは明治時代には船着き場があり天野川に合流して琵琶湖・朝妻湊に出る航路もあったそうです。
地蔵川のほとりにはこのように階段や石場が多くあります。今でも野菜を洗ったりスイカを冷やしたり。生活に欠かせない川です。それだけ水が澄んだよどみのない川だということですが、その理由はこのすぐ先にいまもこんこんと水が湧き出る場所があるから。
居醒(いさめ)の清水。醒井の地名のもととなった遊水地であり今でも1日1.5万tもの水が湧き出ています。地蔵川はここに端を発して醒井宿の人々の生活を守ってきました。
居醒の清水のすぐ脇にあるのがヤマトタケルの腰掛石と鞍掛石。ヤマトタケルは伊吹山で大蛇を退治する際、噛まれ猛毒を受けますがこの湧水で体を冷やして甦ったという伝説が残されています。その際ヤマトタケルが腰かけ、馬の鞍をかけたのがこの場所と言われています。居醒の清水と名がついたのもこの逸話がもとになっています。
居醒の清水から出る水は清らかで冷たく14℃ほどの低温です。そのため冷水を好む梅花藻(バイカモ)と呼ばれる沈水植物が多く繁殖しています。
本格的に花が咲くのは8月だそうですが、早咲きのものは今の時期でも咲くそうで、花がないか探してみます。
いた!石垣の下に早咲きのバイカモの一群がありました。
梅花藻は白い5枚の花弁の花を水上に咲かせます。梅のような形の花なのでこの名がつきました。水の流れと風に流されて揺れる姿がかわいらしいですね。雨のあとなどは川の水量が増えてしまって川の下に潜ってしまったり、花弁が散ってしまうので見に行くときは注意が必要です。
住んだ水は醒井の産業にもいい影響をもたらしました。醤油の老舗、醤油屋喜代治商店(ヤマキ醤油)は居醒の清水を使った醤油づくりを100年以上続けています。
醒井には居醒の清水のほか、七つの湧水があります。今回は十王水を訪ねたのみでしたが暑い夏の散歩には涼しい湧水めぐりをするのも楽しいかもしれません。
ヤマトタケルの命を救った水に誘われ宿場もここに築かれて江戸時代には大いに栄えた醒井。今は静かな集落になりましたが、清らかな水は時代を超えて今も昔と変わらず湧き続け人々の暮らしを守り続けています。そんな醒井にぶらり途中下車をして訪ねてみるのも楽しいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。