挨拶を見ればその人の実力が分かる

黒坂岳央です。

世の中には挨拶否定派が存在する。

この話を聞いた時、自分は特別に驚くことはなかった。自分が学校や会社で働いている時に、挨拶をしない人はそこそこいたからだ。今でも子供の園のお迎えをする時に絶対に挨拶を返さない特定の保護者がいて、周囲から良からぬ噂の対象にされているのを目の当たりにしているのもある。「あえて挨拶をしない選択」をする人は一定数いるのだ。

こんな主語の大きな話をするのはなかなかはばかられるのだが、正直その人の挨拶を見れば仕事ができる、できないという実力を判別できると思っている。

「いやいや、挨拶くらいでわかるはずがない!」と思われるかもしれないが、あながち的はずれな主張ではないと思っている。特にまともに挨拶ができない人は、ほとんどの場合は仕事ができないと判断できると思っていいだろう。その根拠を取り上げたい。

※本稿は特定の誰かを言及する意図は一切ない。あくまで挨拶という行為に焦点を当てた効果の是非を論考するために書かれた。

Rossella De Berti/iStock

挨拶の真の目的を理解する

挨拶否定派が考えることの一つに「挨拶は無意味」というものがある。心がこもってないのに挨拶をすることはムダであり、職場は仕事でパフォーマンスを出すところなのでそんな馴れ合い行為や相手を利するために自分の時間とエネルギーを使うのは無意味、という思考である事が多いようだ。しかし、これは論理的思考や客観性を欠いており、挨拶の目的をズレて解釈している。

挨拶の目的は相手を気持ちよくさせたり、雰囲気をよくするためではない。そうではなく相手を不必要に不快にさせないリスク、これを回避するためにするものである。

特にパワーバランスに差がある新人が上司に挨拶をしない場合にこのリスクは顕在化する。年齢を重ねて社内政治や世渡りをしてきたベテランにとって、挨拶をしないことは相手への攻撃の口実になり得る。飲み会でチクチク言われたり、口には出さないが重要なお客さんへの仕事を任せてもらえなかったりされる。下手をすると黙って人事評価を下げられて減給につながる。でも本人は損をしていることに気付けない。シンプルに損でしかない。

挨拶するしないは自由!だけど…

挨拶不要論者の意見は「挨拶するしないは個人の自由だ。好きにさせてくれ。挨拶の有無などではなく、仕事のパフォーマンスで見てくれ」というものがある。確かに義務ではないし、自由にすれば良い。

だが、挨拶がまともにできず、純粋な仕事のパフォーマンスだけで評価される生き方はかなり厳しい。少なくとも自分の同僚や上司と比較して誰がどうみても目を見張るようなすさまじい結果を叩き出せる実力を証明した後でなければ、周囲からの支持を得ることは難しいだろう。

仮に仕事のパフォーマンスが凡庸であった場合、「こいつは仕事も大してできないし、挨拶もできない」と評価が低くなってしまい、相対的に同じくらいの仕事のパフォーマンスだが、挨拶がしっかりできる人材に水平比較で負けてしまう。損をするのは自分であり、一人負けになる。

どうしても挨拶をしたくないなら、独立するのが一番である。同僚も上司もいない。一人フリーランスか社長になればまともに挨拶はできなくても仕事が抜群にできれば許される。

「この人とコミュニケーションを取るとまともに挨拶が返ってこないから不快感を覚える。だが、それを補って余りある仕事のパフォーマンスを返してくれるからしかたなく仕事を頼もう」と考えてくれるクライアントを見つけて、さらにその高いパフォーマンスを継続的に出し続けられる自信があるならぜひそうするべきだろう。

もしくは金融の専業投資家になれば、相手はマーケットになるので一生挨拶はしなくて済む。ただ残りの人生ずっと勝ち続けるのはかなり茨の道になるだろう。

挨拶をしっかりする、という低コストを払うだけで相手を不快にさせないで済むのは大変コスパが良い行為に思える。「挨拶はコスパが悪い」と思っている人は実は逆が正しくて、挨拶はコスパが良いのだ。

 

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