「骨太の方針」2024年度版が発表されたのですが、メディアのカバーも低く、こういうネタにすぐに反応する日経も全体計画の中の一部を取り出した淡白な記事構成になっています。一番広くまとめたのがNHKの報道かと思います。
そもそも「骨太の方針」という言葉自体があまりポピュラーではなく、言葉そのものが固有名称というより何かの文章の流れのようで見落としやすいこともあるのでしょう。「骨太の方針」は正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」で小泉政権が「聖域なき構造改革」の一環で始めたもので2001年より行われています。
その時の骨太の内容は国債発行額30兆円以下、不良債権処理、郵政民営化などが上がっています。その後、毎年、この骨太は発表されているのですが、それがどうして目標に設定され、どう実行に向けて行動が伴ったかを考えると一種の打ち上げ花火というか、政府の「できるかできないかわからないけれど大事そうなので目指します」という「経済の課題、2024年度版」的な感じにも見受けられます。
その骨太の2024年版ですが、とにかく課題が多いのです。ざっと16項目ほどでしょうか?デフレ脱却、GDP1000兆円、リスキリング、賃上げ、男女賃金格差解消、省力化、物流2024年問題、ライドシェア、半導体投資、再生エネルギー、全世代型社会保障、年金改革、医師不足、医薬品開発、PB25年黒字化、女性活躍です。総花的というか、思いついたものを全部上げた、という感じも致します。
既に議論が進んでいるものもあればまだこれからというものもあります。例えばデフレ脱却については賃上げが昨年あたりから明確な傾向になっていますが、これを継続させ、物価上昇率を上回る賃上げを維持することが主眼となります。その中で日銀がゼロ金利政策を止めて金融政策正常化をにらんだ準備をする中で景気の腰を折らず景気の高揚感をある程度維持できるかが肝となりそうです。
ライドシェアについては与党と自民党内で意見が割れています。菅、河野、茂木氏が推進派で斎藤国交大臣、渡辺元復興大臣あたりが利権もあり反対派となっています。とはいえ、紆余曲折しながらも全面解禁にはなるのでしょう。
今回の骨太方針を見ると日本の10年後20年後を見据えた準備が政策プランににじみ出ています。つまり、人口減で労働力も足りなくなる、よってより効率的にしなくてはいけないし、そのためには国民総出で国を支えるのだ、という風にも取れなくはないのです。そのために産業構造の変化やAI化を進め、労働力不足を補うため、リスキリングを支援し、女性や高齢者にも活躍してもらい、男女賃金格差も解消し、そのうえで賃上げにつなげるわけです。そうすればGDP1000兆円も夢じゃない、というシナリオでしょう。
そういう意味では政府の「このままではヤバいぞ」という気持ちが表れている骨太方針にも見て取れます。
さて、その中でメディアが拾ったのがプライマリーバランス(PB)の2025年黒字化です。財政に対する考え方は個々人の性格や思想も含めいろいろあります。主に財政規律派と積極財政派であります。過去ドイツのメルケル氏は財政規律派だったし、アメリカの共和党も財政規律派です。基本的には左派はバラマキが多く、アメリカの民主党はその例で、積極財政になりやすい傾向があります。アメリカでウクライナ支援について意見が割れるのもその根本思想が背景にあります。よってこの財政をめぐる話というのは国を二分するような議論になりやすいことは事実です。
では日本のPBが2025年度にバランスする可能性ですが、3割ぐらいの確率で黒字化はあり得るとみています。現状、2025年度のPBは1兆円強の赤字の見込み予想で過去みられなかったほどの改善ぶりが期待されています。理由は経済の回復。法人税や消費税、更に賃上げによる個人所得税の増収も期待できるでしょう。1兆円程度は誤差の範囲でいくらでもぶれるので上方に推移すれば黒字になります。
今の財務省は財政規律派です。様々な理由が指摘されていますが、私の個人的視点は国家の維持のための財政負荷が今後非常に大きくなる可能性があるのでその時に備えなくてはいけない、こうではないかと推察しています。岸田首相も財政規律派だと思われるのでそれ故に国民の不人気を買う背景の一つだと思います。
財務省のポジションを勝手に代弁します。高齢化社会は今後もさらに続き社会保障費は増大します。その間、平均寿命は医療の進展により伸びる傾向が維持されるでしょう。一方、労働力人口は少子化で減るため、国内経済を支える力が十分ではなくなります。そのため、企業は海外進出し、地産地消を進める傾向がより強まるでしょう。一方、国内を見ると作りすぎたインフラとその維持が重たくなります。温暖化などによる自然災害対応の資金的負担も大きくなります。また、国際情勢を鑑みると防衛費が増大することも当然の想定になります。
それらを考えると今後、支出が増大するのは目に見えており、少なくとも財務省ぐらいはブレーキをかける役がいないと困るだろう、というのが私のかなり独断の理解です。
国民から財務省に対する批判の声が大きい一方で小さな政府⇒財政規律という保守派の思想と必ずしも一致しないのも不思議な気もしています。日本の歴史でお代官様や勘定奉行が人気あるポジションであった試しはほとんどなく、外国でも税務当局とお友達なんていう人は聞いたことがありません。ただ、開けすぎた財布で苦労したのがコロナのバラマキ経済であったこともこれまた事実。国民と財務省の間では綱引きがずっと続くのだろうと思います。
あまり財政規律のことばかり書きたくはないのですが、一点、着眼点として落ちているのが、PBは一種の損益計算書/キャッシュフローであること。一方、会計は貸借対照表とのセットで見なくてはいけません。一部の識者が吠えているのは貸借対照表上の資産の部に簿価と現在価値に乖離があり、それをなぜ、損益計算書に移行しないのだ、という話かと思います。
もう一つ、これは誰も指摘しないと思いますが、財務省の財務諸表は端的な話、不動産でいう建物部分だけの評価で土地の評価がないのです。国が持つ土地の評価はどうするの、と言ったら困るのでしょう。世界にもそのような発想はないと思います。しかしボトムラインは国土という資産がある点は頭の中に入れておくべきでしょう。かつてロシアが財政難でアラスカをアメリカに売ったことも含め、国土の価値は潜在的に考慮すべき気は致します。
骨太もこう見るとなかなか奥深いものです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月12日の記事より転載させていただきました。