思いは実現する?

「人間力・仕事力を高めるWEB chichi」にある記事、『キーワードは「自分発振」。量子力学が教える、人生を好転させる生き方(村松大輔)』(24年3月9日)は冒頭、「思いは実現する。人は自分が考えた通りの人生を歩む――。古来数多の先賢によって説かれてきた教えですが、近年こうした真理が科学的に実証されつつあるといいます」との主張で始められています。之はあの吉田松陰の至言、「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」に同じだと思います。あらゆる事柄は夢から出発します。一つの理想を描き、そこに到達するんだといった強い意思を志と言っても良いでしょう。志(夢)は野心とは全く違い利他的なものであって、必ず世のため人のためということが含まれていなければなりません。

志とは、「我々人間は他の動植物の犠牲の上に生命を維持している」及び「人は他の人や社会との干渉なしには存在し得ない」といった二つの自覚により生じるもので、その生涯を通じ次世代が良きものとなるよう何かを残すという意思、そしてその意思を遂行すべく挺身するということであります。世のため人のためになることで夢を抱き、その実現を常に強く思い続け努力していれば、必ずやその夢を共有する仲間や支援者が現れてくることでしょう。勿論、必ずしも「有志竟成・・・ゆうしきょうせい:志ある者は事(こと)竟(つい)に成る」(『後漢書』)というわけでもありません。しかし志ある者、仮に達成されなくとも評価されるのはその人の生き方であって、結果でどうこうと評するものではないでしょう。

私は嘗て此の「北尾吉孝日記」で、『人間とは何か』(22年9月7日)という中で次のように述べたことがあります――人間としての成功あるいは真価は、棺に入って初めて問われるべきものです。棺桶に入る手前になって自問自答し、「まぁ自分の人生これで良かった。自分に課せられた天命をある程度自覚し、その達成に向けて世のため人のため努力をし頑張った」という思いで此の世を去れたなら、それは幸せなことでしょう。あるいは、残念ながら力及ばずして自分の天命を果たせなかった場合でも、その志を次代へと志念を共有している者に引き継ぎ世を去れたらば、それはそれでまた幸せなことでしょう。

仏教で言われる「相続心」というものが無いがため、殆どの志は頓挫してしまいます。『論語』にも「倦(う)むこと無かれ」(子路第十三の一)とあるように、「発心」「決心」した事柄は最後までやり遂げることが枢要です。志をきちっと持っていたならば次世代に引き継がれ、何処かの時点でその人の志が遂げられるかもしれません。此の世に生ある限り世のため人のためとなるよう志を立て、その志を遂げるべく私利私欲を捨て去り、唯ひたすらに努力し続けて、夫々の人が夫々の形で粉骨砕身生き行くべきだと思います。そうでなければ棺桶に入る時、何らかの後悔の念が生じるのではないでしょうか。

何れにせよ志でも夢でも思いであっても、その実現の成否は最終天の配剤でありますが、何も無ければ何ら起こるはずもなく可能性はゼロになり、況してや人間としての完成も有り得ないのです。「思いは実現する。人は自分が考えた通りの人生を歩む」――人生自分次第で変えられるところに良きところがあり、心を尽くし本来の自己を自覚し(尽心)、天から与えられた使命を知り(知命)、自己の運命を確立する(立命)という一連の人間革命の原理を実践し続けることです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年7月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。