ハマスの最高指導者として知られるイスマーイール・ハニーヤ政治局長が、テヘラン滞在中に殺害された、というニュースが世界を駆け巡った。その半日前には、レバノンのヒズボラの最高位の軍事司令官フアド・シュクル氏が、空爆によって殺害された。「実行声明」は出ていないが、いずれもイスラエル以外に実行する能力と意図を持つ組織体は存在しないだろう。
ハニーヤ氏の暗殺の状況についてはまだ詳細の報道がなく、場所がテヘランであることから、単純にイスラエル領内からのミサイル爆撃の可能性は低いとしても、高度な諜報活動と何らかの精密誘導兵器を組み合わせた暗殺であると思われる。
ハニーヤ氏の「殉教」を、ハマスは冷静に発表した。20年前の2004年にハマスの創設者アフマド・ヤースィーン氏も、イスラエルの無人機を擁した精密誘導兵器による標的攻撃で暗殺された。こうした事柄が起こるときには起こるということは、一定の想定の範囲内であったと思われる。
昨年10月7日のテロ攻撃を首謀したとされるハマスのガザ地区の最高指導者であるシンワル氏は、全く姿を見せない。イスラエルも過去10カ月における殲滅作戦を通じても、シンワル氏の所在をつかめていない。
ハニーヤ氏は、政治交渉を担うために露出度が高い役割を担っていた一方で、イスラエルによる暗殺の可能性は常に高いという想定の中で暮らしていたはずだ。ハマス側が動揺して態度を軟化させる、という可能性は乏しい。むしろ今後、停戦交渉がいっそう難しくなり、暴力の連鎖が高まっていく力学が働く。
イエメンのフーシー派が、ネタニヤフ首相が米国訪問を終えて帰国して矢継ぎ早に暗殺作戦が実行されているのは、アメリカがイスラエルと共謀しているからだ、という趣旨の声明を出した。恐らくはアメリカ政府が戦争の拡大を望んでいる、と考えることには、飛躍がありそうだ。
しかし米国議会で「文明と野蛮の戦い」にアメリカと共に勝利することを誓う演説をしたネタニヤフ首相が、アメリカの後ろ盾に一定の感触をつかんで、強硬な政策を遂行し続けている、とは言えるだろう。
トランプ前大統領は、ハリス大統領との差を明確にするイスラエル寄りの立場で、ユダヤ人票を確保する姿勢を明確にしている。ハリス副大統領は、ガザの惨状に懸念を持っていることをネタニヤフ首相に伝えたが、イスラエルの軍事作戦に反対しているわけではなく、外交経験が乏しい政治家として、イランやイスラム過激派に弱気だというイメージを持たれることは避けたいだろう。ハリス氏は、副大統領として、いずれにせよバイデン政権の既定路線に拘束され続ける。
そのバイデン大統領は、大統領選立候補の辞退を決めてから、存在感をいっそう減退させている。ネタニヤフ首相と会談した際も、何らかの政策的姿勢を強調するような素振りが全くなかった。イスラエルが冒険的行動に出ても、具体的な行動を通じて、イスラエルに圧力をかける外交をすることはないだろう、とみられている可能性が高い。
ネタニヤフ首相としては、どんなに強硬な姿勢をとっても、アメリカが離れることはない、という計算をしているだろう。もしハリス氏が弱気な姿勢を見せれば、トランプ氏に攻撃してもらい、トランプ当選の可能性を高めてもらうだけだ。自らの国内の権力基盤の整備のためにも、バイデン大統領が求めていた停戦交渉の可能性などは潰してしまい、「文明と野蛮の戦い」にどこまでもアメリカを引きずり込んでしまいたいところだろう。
バイデン大統領の任期が残っている間に、強硬な姿勢でアメリカをさらなる軍事作戦の深みに引きずり込みたい動機は、トランプ氏の当選を恐れるウクライナも、似たような状況にある。
アメリカの政治家層のイスラエルとウクライナを見る目は異なっている。しかし、アメリカが強力な軍事的後ろ盾であり、後に引き返せない程度にまでアメリカを軍事作戦の深みに引きずり込みたいという動機づけを強く持っている点では、両国の立場は、同じだ。
それは大統領候補がややこしい外交術を使ってくることがなく、しかし外交攻勢をかける余力がないレイムダック化したバイデン政権の残り任期の間になるべく強硬な手段を取ってしまっておきたい、という動機づけを共有している、ということでもある。ヨーロッパと中東の深刻な戦争で、事態を好転させることができないアメリカの友好国が、見切り発車の強硬手段を取りやすい環境にあるのだ。
そのアメリカにしても、ヨーロッパでも中東でも、事態の打開の糸口を見出すことができないまま、ただロシアに対して、イランに対して、弱みを見せないように強硬な態度を取り続けたい、という動機づけを持っているだけだ。そもそも非常に苦しい立場にある。
バイデン政権の残り任期は、まだ5カ月ほどある。大統領選挙まで先が見通せない不透明期間だけでもまだ3カ月以上ある。国際情勢が流動化しやすい非常に不安定かつ危険な時期だと言えるだろう。
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