今月刊の『倫理研究所紀要』33号(年1回発行)から、連載「現代性の古典学」を始めることにしました。初回で採り上げるのは、村上龍のデビュー作だった『限りなく透明に近いブルー』。
前に以下の記事をアップしたのは、まさに執筆中だったんですよね。そちらで書いたとおり、同作は1976年にまず群像新人文学賞を受賞。その時点で話題沸騰だったのが、まもなく芥川賞も「追い受賞」したため、記録的なベストセラーとなったことは広く知られます。
それで、できれば『倫理研究所紀要』の論文にも書きたかったのですが、行論上、泣く泣くオミットせざるを得なかった要素があるので、PRと合わせてこちらでフォローをば。
村上龍に群像で賞を出した選考委員の一人に、埴谷雄高がいました(ヘッダー写真のいちばん右)。未完の思想小説『死霊』は全共闘世代くらいまでかな? 左翼(だったことのある)青年の必読書と呼ばれた時期もあります。
鹿島茂さん(1949年生まれ)の書評が、興味深いです。
それで、「一つの転機」と題された埴谷の選評のうち、以下の叙述が今日も、ドキリとさせる凄味があって――
ただこのまぎれもない見事な作品を読み終って、私はひとつの疑念を覚えた。
ヘロインもハシシもマリファナも《ロックとファックの時代》を支える鮮烈な支柱であるけれども、しかし、現代の鮮烈が、つぎの時代まで持ちこされず、忽ち次代の無力となることは、すでに遠い時代のプロレタリア文学における「連絡」や「留置場」のかたちを思い浮べてみただけで明らかである。
つまり、その時代の鮮烈な支柱をひとつひとつ取りはずされてゆくとき、この作者はどういう方向へ歩くだろうという一つの疑念が私に生じたのである。
『群像』1976年6月号、152-3頁
(強調と改行は引用者)
「連絡」というのはわかりにくいですが、戦前は共産党が非合法だったので、互いに偽名・匿名のまま通りすがりを装って行った街頭連絡(レポ)のことだと思います。当然ながら、やる側にとっては命懸けのものすごい体験になるわけですが、しかし時代が変わってしまうと、それを描いた場面を読んでも昂揚がまったく伝わらない。
横田基地そばのハウスでドラッグをキメ、洋楽に乗せてアブノーマルなセックスに溺れる村上龍の世界も、次の時代が来た途端にその「うおおおおおお!」な鮮烈さは薄れてしまい、「……こいつらなに盛り上がってんの?」としか感じられなくなる。そんな未来が待ってはいないか、と、埴谷は自身の体験から懸念を語ったわけです。
先日採り上げた椎名麟三と、文壇で盟友になる埴谷は、椎名と同じく1930年代に共産党員として逮捕され、転向して出獄しました。彼ら「第一次戦後派」にとっては、戦前のプロレタリア文学の挫折こそが創作の原点をなす一大事だったのですが、当初は自明だったそのリアリティは、まもなく読者に伝わらなくなってゆく。
歴史を語るってどういう作業かといえば、①かつては自明すぎていちいち文字にされなかったが、②いまは時代が変わりピンと来なくなってしまった過去の文脈を、③復元することを通じて世代の断絶に橋を架けることなんですよね。本来は。
ところが歴史学者ってしばしば、①史料の文字面に書かれたことを見つけて「ジッショー!」と有頂天になり、②これはファクトだから文脈に関係なく尊重されて当然なんだゴラァとオラつき、③結果として同時代の問題についても的外れで安易な断言を繰り返すようになる。
……やってること逆すぎじゃね? そうしたカン違い専門家の末路は、おおむね惨めだし、また惨めにしていかなければなりません(苦笑)。
かように歴史の専門家があてにならぬ昨今、代わって私がいまと過去とのあいだの「裂け目」を埋める一助として、今日から見て「古典」に相当する作品を読み解く作業に乗り出した次第です。どうぞ長い目で、ご期待くださるなら幸甚です。
P.S.
昨秋刊行の『危機のいま古典をよむ』には、本連載の原型になったコロナ禍でのミニ連載「危機のなかの古典」も再録しております。採り上げたのは、内村鑑三、コリン・ターンブル、村上春樹。こちらもよろしく!
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年8月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。