嫌な地震が嫌な時期に起きたものだと思います。南海トラフ地震が引き起こされる確率が高まり、今後1週間程度は備えが特に必要とあります。しかし、今後一週間とはお盆休みの真っ只中であり、宮崎県を含め当該エリアに里帰りする方も多いでしょうし、それ以上に何かあっても休暇、かつ里帰り中ならば緊急時に人をかき集めにくいという環境下にあります。何もないに越したことありません。一部の宿泊施設などはキャンセルもあるのでしょう。が、こればかりはリスクは取れません。本当に悩ましいです。
では今週のつぶやきをお送りします。
日銀は市場との対話が足りなかったのか?
日経が社説で「日銀の市場との対話は十分だったか」と題して今回の株価の下落の一因に日銀の対話不足の姿勢を問いています。一般記事と違い、社説の重みは一歩上なのですが、私はこの記事は間違っていると思います。うがった目で見れば「日銀は政策決定会合の結果発表前にもっとヒントをよこせ。そうすれば日経が事前にリーク記事を出して市場に注意喚起してやるぞ」と言わんばかりの内容なのです。これはのけぞります。
アメリカではFOMCの1週間前からメンバーはインタビュー等を受けないことになっています。つまり市場にあらぬ想像を起こさせないのです。ただ、私が長年見ている限りFRB議長が会議後の記者会見で市場を裏切るような発言をすることは最近は減りました。記者会見は市場がまだ開いている時間に行われるため、微妙なニュアンスだけでも株価が激しく上下するからです。下手な発言をすれば大統領をはじめあらゆるところから激しい「口撃」を受けるのでしょう。
ところで同社説は「(日銀が)さらなる利上げに積極的な姿勢を示したことが『予想外』」でそれが円高を加速させたとしています。FRBはそれを指し示してもドル高にならないけれど円が激しく動いたのはキャリーの巻き戻し以外に円は基軸通貨ではなく、国際通貨としての円のポジションも中途半端になったといえないでしょうか?これは国際金融という立場から円の国際化を再度考えるべきでアジアの基軸通貨としての機能を持たせるぐらいのダイナミックなスタンスを打ち立てるべきでしょう。日銀も政府もその点ではちまちましていると思うし日経はポイントずれだと思います。
アメリカが求めるのは保守かリベラルの二択でよいのか?
9月にトランプ氏とハリス氏の討論会が3回開かれる可能性が出てきています。広範囲な政策の話をするのですから3回でも4回でもやった方がいいでしょう。候補者がいちいち各州を回り、暗殺犯に姿をさらすよりずっとましだと思います。極端な物言いかもしれませんが、アメリカのみならず世界中はいつ、どこでどんな犯人が何を企てているかわからない時代になりました。オーストリアでのテイラー・スイフトさんのコンサートが中止になったのも17-19歳の容疑者の脅迫が引き金だし、トランプ氏を襲撃したのは20歳の若者です。
病んでいる世の中で我々が目指すのはより強固に自分を防御することか、お互いのつながりを強化し、双方が理解し合う社会を実現させるのがよいのか、という二者択一話にみえます。しかし、そんな美談を受け入れる余地が双方の支持者にあるわけがないし、夢物語の様な社会が実現することもなく、分断はより悪化すると考えるべきです。
民主主義的とされる選挙を行っても社会が平和で安定する答えを反映する正しい判断がなされるとは限りません。99%の人が間違えることもあります。私は二択というアプローチが違うように考えます。二択はそのプロセスにおいて双方が反発し合う関係なので双方がエキストリームなポジションに立ちやすくなります。それに酔いしれる支持者は私から見れば「酔っぱらい」にしか見えないのです。現実解はもっと中道であり、折衷する気持ちを持ち合わせるかどうかがアメリカの将来をよりよくする第一歩ではないでしょうか?
オリンピックの意義
私は東京五輪を見に行ったそうです。1964年の方ですが、全く記憶にありません。ただ家に五輪の記念品や土産がたくさんあったのは覚えており、さぞかし日本中が盛り上がったのだろうと思います。五輪の目的は憲章にある内容だけではなく地域経済開発を促進することがあります。その点で64年の五輪誘致は日本のインフラ発展を後押しし、国民が一体となった世紀の祭典でありました。が、ロス五輪あたりから商業五輪に代わります。つまりそれまでは選手のみならず、国民も参加者と捉えられたものが、ロス五輪からは国民は「観客」という立場に代わったのです。こんな指摘をする人はたぶんほとんどいないでしょう。
今回の五輪、現状の視聴率はバレーボールだけが一時20%をこえていますが他はゴルフ、柔道、陸上、サッカーなどどれも12%前後、あとは一桁です。それといつも思うのですが、五輪は競技が短い日程で圧縮されているため個々の放送は非常に短く選手のドラマなどを十分報じることもできません。見る側は様々な競技で次々に結果が出るため追いかけるのに忙しく感動する暇もないという感じになります。更に放映権もありますので多くは「メダルの事実」だけを知らされるだけなのです。
選手目線ではオリンピックは高い目標なのでそこを目指すことは理解できます。しかし、開会式や閉会式はエンタテイメント化がより一層進んだといわざるを得ないでしょう。あの汚いセーヌ川でトライアスロンをさせられた選手もかわいそうであります。個人的にはもうそろそろ会場の持ち回りや形骸化し汚職の温床となる現在の仕組みをすっかり変えてもよいと思います。極端な話、ギリシャで毎回やってもいいのではないでしょうか?今はかつてのような国を挙げて盛り上がる時代ではないと思います。まだパリ五輪は続きますが、なんか変だよな、と思っている人は案外多いと思います。
後記
先週出店していたイベント会場の真横でステージショーが連日繰り広げられていたのですが、一番人気は相撲でした。老若男女素人の参加者たちにハッケイヨーイ、ノコッタノコッタと白人女性の司会者のアナウンスで会場は大盛り上がり。日本で相撲と言えば子供相撲でも本格的にやっている人の世界という感じがしますがこちらは男女の取り組みもあり、ハチャメチャだけどそれ故に楽しいのです。ルールにも厳しくなくて優勝トロフィーがあるわけでもなく参加することに意義があり、というお笑い相撲は夏のイベントとしては最高です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月10日の記事より転載させていただきました。