バングラデシュの政変でインドに亡命したハシナ「前」首相が、インドでインタビューに応じた内容が、波紋を広げている。
インドのメディアで大々的に報じられたのは、ハシナ前首相が、
「セント・マーチン島の主権を放棄し、アメリカにベンガル湾を支配することを許していたら、私は権力の座にとどまることができたでしょう」
(I could have remained in power if I had surrendered the sovereignty of Saint Martin Island and allowed America to hold sway over the Bay of Bengal)
と述べたところであった。
(ちなみにセント・マーチン島はバングラデシュ領土の南端の沖合のベンガル湾に浮かぶ小島。)
この発言だけを理由にして、アメリカが学生の反政府運動を先導していた、と断定することはできない。ハシナ前首相の言い方も、修辞的なものであり、事実を示しているものではない。しかしながら、ハシナ前首相が、扇動的な「急進主義者」の動きと、アメリカのハシナ政権に対する不満の結びつきを示唆する発言をしたことの意味は小さくない。
SNSでは、バングラデシュの政変は、「アメリカの策謀による新たなカラー革命」だ、という陰謀論が、一斉に広がっている。ノーベル平和賞受賞者のユヌス氏が、84歳の高齢にもかかわらず、政府の最高顧問になると伝えられているが、ハシナ政権と対立しており、逆にアメリカなどと近い人物であるために、暫定政府はアメリカの傀儡政権になる、という主張も広まっている。
ハシナ前首相と、ユヌス氏が長年にわたる確執を持っており、その背景にハシナ氏側にインド、ユヌス氏側にアメリカが存在していることは広く知られる。
事実の問題として、アメリカが、ベンガル湾をにらむセント・マーチン島に強い関心を持ち、自国の海軍基地の建設をハシナ政権に打診して、断られたことは、事実である。もしアメリカが海軍基地を建設したら、ベンガル湾に浮かぶ美しい観光地で知られるセント・マーチン島は、その意味を一変させるだろう。
アメリカのインド洋における重要拠点がバングラデシュ領に建設されたら、地域情勢に与える影響も甚大だ。中国を大きく刺激するだけではない。海軍力においてこの地域で大きな存在感を持つインドとバングラデシュとの関係を著しく複雑化させる。
さらにミャンマー国軍及びその他の勢力も過敏な反応をしてくるだろうことは必至である。正直、アメリカはそこまでバングラデシュと親密だったか?という疑問符の付く印象しか残らないアメリカの態度であった。
だがアメリカがかなり本気だった、という可能性がないわけではない。われわれ日本人は、「インド太平洋」「クアッド」を、アメリカとその伝統的な同盟諸国を、インドと結びつけた、というふうに考えがちである。ただ、もっと覇権主義的に「インド太平洋」を理解し、インドを気遣うのではなく、より直接的にアメリカの影響力をインド洋に展開させたい、という野心を持つ傾向が、われわれ以上にアメリカ人の心の中にあることは、確かだろう。
ハシナ前首相のアワミ連盟は、インドと良好な関係を持っていた。歴史的に言っても、野党バングラデシュ民族主義党(BNP)と比して、インド寄りである。これはBNPが、少なくともかつてはパキスタン寄りの性格を帯びていたことを含意する。冷戦時代に、アメリカはBNP政権時代にバングラデシュと良好な関係を持つ傾向を持っていた。インドがソ連に近かった。そのためアメリカはパキスタンに接近しがちであったことが関係している。
ただそれも主に冷戦時代の話だ。この冷戦時代の構図でアメリカの政策を理解したかのように語ったら、今回の政変前であれば、軽率な発言のそしりを受けることになっただろう。
ただし、バイデン政権成立後に任命されたアメリカのバングラデシュ大使のピーター・ハース氏が、ハシミ政権と険悪な関係にあったことも事実である。ハシミ政権が人権侵害をしているとハース大使が批判し、ハシミ政権がそれを内政干渉として退ける、というのが、基本構図であった。
ただしハース大使が人権侵害を述べるとき、野党関係者に対する政治活動の妨害が参照されていたことには注意が必要であるかもしれない。今年1月の総選挙を野党BNPはボイコットしていた。アメリカは、その責めはハシミ政権にある、とみなして、批判的態度をとっていた。
加えて、アメリカの駐インド大使であるEric Garcetti氏が、インドのモディ政権がロシアとの関係を清算しないことに苛立っており、特に7月のモディ首相のロシア訪問の後、「アメリカとインドの良好な関係を当然視すべきではない」と発言したことが、背景要因ではないかされて、拡散している。
Garcetti氏はロサンゼルス市長から転身した民主党の政治家である。バイデン政権発足直後に指名を受けていたが、上院での承認が滞り、ようやく23年5月になって大使に就任した人物だ。
こうした政治家層が大使になると、スタンドプレーに走って、当該国政府との関係悪化を招く場合は少なくない。インド政府は、バングラデシュ情勢の悪化を懸念をもって見ている。それが今後のアメリカとインドの関係悪化につながる恐れがある。
注目すべきことに、ハース大使は、学生と政府の対立が激化した7月に、突如、理由が不明のまま、大使を辞任して、バングラデシュを脱してしまった。後任大使の見通しが全くない中での辞任であり、突然の決断であったことがうかがえる。政変の動きが関係していなかった、とは想像できない。
アメリカの動きは、確かに怪しい。学生層が政治運動の中心で、移行政権の受け皿として即座にユヌス氏の名前が浮上したという経緯も、外部勢力の介在の推察と矛盾ない形で理解することができる流れではある。
他方、アメリカに、バングラデシュで決定的な影響力を行使できるような実力があると想定する者は、いないだろう。少なくとも、アメリカが今後のバングラデシュを安定化させる力を持っていると考える者は、皆無だろう。もしアメリカが今回の政変を後押ししていたとすれば、非常に近視眼的で無責任な態度だ。
インテリ学生だけではなく、バングラデシュ社会の隅々に浸透しているイスラム過激主義の影響も、今回の政変の背景にあることが、すでに相当に明らかになってきている。インドの影響下にあったとみなすハシナ政権関係者を嫌う政変劇の流れが、イスラム主義者によるヒンドゥー教徒の迫害を引き起こしている事例が、多々報道されている。
反政府運動の側の人々が、パレスチナの旗を振る姿も、多々見られる。イスラエルに親和的とされるインドのモディ政権のヒンドゥー至上主義が、ガザ危機をめぐるイスラエルへの嫌悪と重なり、親インド的なハシナ前首相の政権への嫌悪に心情的にはつながる。
より具体的には、ハシナ政権下では活動禁止されたが、かつてBNP政権時代には合法組織だったことがあるジャマーアテ・イスラーミー(Jamaat-e-Islami)の復権と台頭が予測される。南アジア全域に分派を持ちながら確固たる勢力を誇るイスラム原理主義勢力だ。
バングラデシュの今後の動向には大きな注意が必要だ。少なくともアメリカが夢見る勝手な期待通りに事態が進展していくことはないだろう。
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