長崎県・平戸で異国の残り香をたどる

今年の夏休みは福岡から車を借りてかねてから行きたかった場所を巡り歩いてきました。その終着点が長崎県・平戸市。長崎県の北部にある町です。ここから県庁のある長崎市までは120キロで福岡市までの距離と変わらない場所にあります。

平戸市の中心部は平戸島の北部(平戸市と書かれているあたり)にあります。対岸の本土部分の市域は以前は田平町という別の町でしたが、平成の大合併で平戸市になりました。本土ではなく島の方が栄えた歴史を持つ珍しい地域でもあります。

平戸は戦国時代から江戸時代初期にかけて多くの外国船が行き交う国際港として繁栄しました。鎖国後その役割は長崎に移ってしまい、以後400年の時が経っていますがその痕跡はわずかながら残っています。今回はそんな異国情緒の残り香を感じながら平戸の町を歩きたいと思います。

坂の上のホテルまで続いていきます。

高く積まれた石塀は「オランダ塀」と呼ばれ、かつてその脇にはオランダ商館がありました。

今はかつて繁栄した歴史を偲ぶかのようにぽつんと東屋が建つのみのオランダ商館跡。

オランダ商館は当初は食料や燃料供給を目的として建てられましたが、その後貿易の拠点としての役割も担うようになり、1630年代にその貿易額は最大となりました。出島時代よりもこの時期の貿易額の方が大きかったといいます。しかし、禁教令下の1639年に商館から西暦の年号を記した石板が発見されたことをきっかけに商館は破壊命令が出され、1641年にはその機能を長崎・出島に移すことを命じられてしまいます。

破壊命令の元凶となった石板のレプリカ。
当時は西暦の使用も厳しく禁じられていました。

400年の時を経て、2011年に当時の姿を復元させたのが「平戸オランダ商館」。かつて平戸がオランダを始め海外との交易で繁栄していた歴史を示す史料が展示されています。洋風の白壁の建物は当時の日本人から見たらとても異様であり、脅威に映ったかもしれません。

オランダの貿易の中心的な役割を担ったのはオランダ東インド会社。世界初の株式会社であり、保険の起源ともなった会社です。彼らが貿易の対象としていたのはこれらの香辛料でした。当時ヨーロッパでは肉を保存するために香辛料は必需品であり、高値で取引されていました。

当時国際取引は銀で行われていましたが、当時日本は石見銀山に代表される銀の産出国だったので平戸を拠点にして銀を買う意味は非常に大きかったのです。

西洋の甲冑がありました!マンガやアニメの世界でしかみたことないですが、さすがに西洋でも17世紀においてはイミテーションとなっており実際に使用はしていなかったようですね。これは平戸の城主に送られた贈答品だそうです。

商館を出て再び外に出てきました。ちょっと変わった形の井戸は「オランダ井戸」。海の近くにあるのに海水は全く混じらないという不思議な井戸です。街を歩くと所々でこのようなオランダの残り香を感じることができます。

井戸といえばこちらは中国・明の商人が掘ったと言われる六角井戸もあります。平戸はオランダだけでなく明やイギリスとも交易をおこなっていました。井戸ひとつにしてもいろんな形なのが興味深いです。

ガードレールの上の人形がかわいい。

平戸に上陸した西洋船には宣教師たちも乗っており、この地においても布教活動を進めてきました。社会科で習ったフランシスコ・ザビエルも平戸に住み布教活動を行っています。江戸幕府は禁教令を敷きキリスト教を厳しく弾圧してきましたが平戸の人たちはそれでも信仰を守り続けました。信教の自由が認められた今、この地域には多くの教会が建って人々の心のよりどころとなっています。

その代表格、平戸ザビエル記念教会は1931年に建てられました。教会坂の上に建ち、平戸の信者たちを見守っています。

どこか南国感が漂う平戸ザビエル記念教会。

教会の多い平戸の町ですが、平戸ザビエル記念教会の付近には寺も点在しています。信教の自由が認められた現代ならではの光景です。

聖堂の裏手の坂を下りると寺社町。そこからは寺と聖堂が同時に見られる場所があります。

光明寺からの光景。

瑞雲禅寺前からの光景。

こういう光景って、実は世界的にも珍しいんじゃないかと思います。信教の自由が認められている国は多いですが、多くは国教を持っていて、それ以外の宗教の施設と同居している場所は多くないでしょうからね。

少し離れますが、本土に渡り田平町の田平天主堂もご紹介します。1918年に建てられたイギリス積みの煉瓦造りの教会で国の重要文化財となっています。八角形の尖塔が特徴的ですね。

赤煉瓦が夏空に映えます。周囲は農業高校があったり肉牛の改良センターがあるなどとてものどかな場所でその中に堂々と建つ姿はとても凛々しいと感じます。田平のキリスト教信者は明治期に近くの島から渡ってきたそうですが、知らない土地に渡ってきた彼らの心のよりどころとしての役割はとても大きかったと思います。

海に沈んでいたオランダ船の錨。

17世紀、日本の国際貿易の玄関口として栄えた平戸。その役割は長くは続かず長崎にその地位を明け渡してしまいましたがその残り香は各所で感じることができ楽しい散歩ができたと思います。みなさんも是非お越しいただいて400年前の平戸の繁栄に思いを馳せてみてください。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年8月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。