アメリカ軍が、アフガニスタンから完全撤退してから、この8月で3年目となる。アメリカの撤退が完了するよりも早く、アシュラフ・ガニ大統領の国外逃亡で、アフガニスタン共和国政府は瓦解した。大混乱の中で、カブール空港でイスラム国系の勢力による自爆テロが起こり、アメリカ軍の兵士13人を含む180人以上が死亡した。
それから3年。8月26日、ワシントンDCにあるアーリントン墓地では、トランプ前大統領が、亡くなった兵士に花を捧げて追悼をした。その直後、SNSに「我が国の歴史上、最も恥ずかしい瞬間となったぶざまなアフガン撤退から3年。その後、ロシアはウクライナに侵攻し、イスラエルは攻撃を受け、アメリカは世界の笑いものになっている」と投稿した。バイデン大統領とともにハリス副大統領は、追悼式を欠席していた。
その直後、元民主党でハワイ州選出の下院議員であるトゥルシー・ギャバード氏が、トランプ氏に投票を呼び掛ける演説を行った。ギャバート氏は、州兵としてイラクで従軍した経験も持つ人物だ。ギャバード氏は、「今朝アーリントン墓地にトランプ氏とともに行った」、と語り始めるスピーチで、「戦争を終わりにする」ためにトランプ氏を支持する、と表明した。
ロバート・F・ケネディJr氏は、大統領選挙から撤退してトランプ氏を支持することを発表したとき、検閲と健康の問題に加えて、「戦争を終わりにする」、という目的を共有して、トランプ氏を支持することを決めたと強調した。イラク従軍経験を持ちつつ、ウクライナへの支援の停止を訴えているバンス副大統領とあわせて、トランプ陣営は「強いアメリカ」を、兵士を悼むがゆえに、現在の「戦争を終わりにする」方向性を、強く打ち出している。
この様子を見たCNNは、トランプ大統領がアフガニスタン共和国政府の頭越しにタリバンと交渉してアメリカ軍を完全撤退させることを決めた人物であること、その交渉の過程でタリバン兵の5千人の釈放なども行ったこと、などを確認強調する番組を放映した。もちろんこれらはいずれも正しい。
ただ、トランプ氏も、撤退が間違いだった、という理由でバイデン氏とハリス氏を責めているわけではない。「屈辱」の撤退の責任が、バイデン政権にある、という理由で、非難している。つまり自分が大統領を務め続けていたら、米兵の犠牲を出すことのないより良い撤退をした、という含意である。
このトランプ氏の主張の信憑性は、「歴史のif」になってくる問題なので、にわかには判断できない。ただ2021年1月にトランプ氏から大統領職を引き継いだバイデン氏の姿勢が曖昧だったことは事実だ。撤退を決めた人物と、実際に撤退を遂行した人物が、全く異なっていただけでなく憎みあってさえいたことが、悲劇の一因であった、とは言えそうである。
2020年2月末に当時のトランプ政権とタリバンとの間で「ドーハ合意」が結ばれて、アメリカの完全撤退が決まったとき、その期限は2021年4月末と定められていた。当時は誰しもが、あまりの早期の撤退のスケジュールに衝撃を受けた。アフガニスタン共和国政府の瓦解は時間の問題と思われ、おそらくは大統領選挙に勝つためにトランプ大統領が拙速な合意をタリバンと結んだのだろう、と考えた。私もそうだった。当時は、アフガニスタン共和国政府の瓦解は、あってはならない出来事、と誰もが信じていたのだ。
ただし、それはトランプ大統領が不真面目だった、ということを必ずしも意味していない。先月の共和党全国大会における大統領候補指名受諾演説において、トランプ氏は、おそらくは聴衆のほとんどが理解しないだろうタリバン指導者との会話を回顧したりしていた。日本では、学者層でも、アフガニスタンなどは過去の話で、今さら思い出したり語ったりすることなどないのが普通である。それを考えれば、当時のタリバンとの交渉への自分の想いをまだ強く記憶しているトランプ氏は、真剣である。
はっきり言おう。トランプ氏は、仮にアフガニスタン共和国政府が瓦解する結果を招くとしても、これ以上のアメリカ軍のアフガニスタン駐留はありえない、と判断し、タリバンとの交渉をまとめてしまったのである。当時のガニ大統領の態度を考えれば、政府をまじえている限り、アメリカ軍は永遠に撤退できない、とトランプ氏が感じていたとしたら、そういうことだっただろうと思う。トランプ氏にしてみれば、だからこそ、自分が大統領職にとどまり、21年4月に計画された撤退を完成させたかった、と思っているのだろう。
バイデン氏が大統領に就任した21年1月、アフガニスタンからのアメリカ軍の完全撤退案は、宙に浮いた形になった。撤退はなくなるのではないか、という観測も流れた。ブリンケン国務長官をはじめとする閣僚たちは、撤退そのものを白紙に戻すべきだと意見を持っていたとされる。しかし最後はバイデン大統領が、トランプ大統領が決めたこと、と説明しながら撤退をする、という方針を決めた。ただ逡巡した迷いの期間が生まれたため、4月の撤退は不可能となり、8月末までずれこんだ。おそらくは現場では撤退計画の変更等の混乱もあったのではないかと思われる。
悲劇を生んだのは、5月からの軍事攻勢をすでに準備していたタリバンが、アメリカの撤退の延期に、反発したことだ。そのため、アメリカの撤退に協力することなく、タリバンは共和国政府を追いつめ始めた。
アメリカの撤退が始まるのと、タリバンの大軍事攻勢が始まるのが同時になったことが、共和国政府のパニックに拍車をかけた。ほとんどの場合、共和国側の兵士は戦うことなく逃亡した。そしてこれによってアメリカの撤退計画にも大きな狂いが生じ、持ち帰ったり処分したりする予定だった兵器や装備品を置き去りにせざるを得なくなるような事態も生まれる悪循環に陥った。その混乱の帰結として、カブール空港での惨劇が起こった。
バイデン大統領は、「トランプ氏が決めたこと」という言い訳を、「自分は息子を交通事故で亡くしている」といった心情で補って、撤退の正当化に努めた。だが、撤退そのものの是非と、混乱した稚拙な撤退は不可避だったか、という二つの論点が錯綜する中、アメリカ国民のバイデン大統領に対する支持率は急落した。
この「アフガニスタンの屈辱」を見て、ロシアのプーチン大統領が何を考えていたかは、わからない。だが何か感じていただろう。ソ連軍がアフガニスタンに駐留していた時代にKGB職員だった経歴を持つプーチン氏が、アフガニスタン情勢に強い感情を持って見ていなかったことは、想像できない。
21年8月の「アフガニスタンの屈辱」の後、ロシア軍は19万とされた大軍をウクライナとの国境を接する地域に配備し始める。アメリカ政府は、その年の末までには、侵攻が近い、という警告を発し始めた。渦中のバイデン大統領は、アメリカは軍事介入しない、ということを強く表明したうえで、侵略が始まったらかつてない規模の経済制裁でロシアを苦しめる、と説明した。
これらはいずれも実行に移された。しかしいずれも説明された結果をもたらさなかった。経済制裁は効果を発しなかった。アメリカはウクライナに部隊派遣をしていないが、巨額の終わりの見えない軍事支援の提供国となり、事実上の紛争当事国と言っていい存在になっている。
そして今、ゼレンスキー大統領は、毎日毎日、国民向けのメッセージの機会のほとんどを、アメリカへの繰り返しの延々とした要請に使っている。ウクライナがロシアに勝てないという問題を抱えているのは、全てアメリカが軍事支援を出し渋り、ロシア本土への提供兵器の使用に制限をかけているからだ、という態度である。アメリカがケチで優柔不断なので、ウクライナが苦しんでいる、という含意である。あるいはアメリカが直接軍事介入してくれるのであれば、それに越したことはない、という言葉遣いも目立つようになっている。
トランプ氏、バンス氏、ギャバート氏、RFK Jr.氏らは、ゼレンスキー大統領を見るたびにアフガニスタンを思い出す気持ちになっているだろう。あるいはイラクを、1960年代の南ベトムを思い出す気持ちになっているだろう。そしてアメリカは、一刻も早くウクライナから撤退すべきだ、という立場を、強く確認している。
3年前の「アフガニスタンの屈辱」とは何なのか。それは現在のウクライナ情勢と、どのように関わっているのか。あるいは関わるべきではないのか。大きな問いである。
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