「ウクライナ応援団」はどこへ行くか

9月6日にドイツのラムシュタイン米空軍基地で開かれた会議において、ウクライナへの追加支援が表明されたが、ウクライナ政府が米国などの主要支援国に強く求めてきたロシア領内深く入る攻撃を可能にする長距離砲の使用許可は、認められなかった。

ウクライナ政府は、ロシアに脅かされてはいけない、という内容の主張を続けていた。しかしアメリカは、仮に使用許可を出したとして戦況に大きな変化はない、と冷淡であった。

ラムシュタイン米空軍基地で会見するオースティン米国防長官とゼレンスキー大統領
同大統領インスタグラムより

ウクライナ政府は、「支援国が提供武器をロシア領内への攻撃に使用させてくれないので、ウクライナは勝てない、(支援国が許可すればウクライナはすぐにでも勝つ)」といった言説を繰り返し流布してきた。

これは現実の戦争の停滞の責任を、支援国の臆病風に負わせる、という発想にもとづく宣伝活動であったと言える。この宣伝活動の一環として、ウクライナは、強引に戦局をロシア領内に広げるため、クルスク侵攻作戦という合理性に欠ける行動もあえてとった。

しかし長距離砲の使用で劇的に戦局が変わる、という主張については、アメリカでは軍事専門家の間でも懐疑的な意見が目立つ。また、いかに巨額の支援をウクライナに提供しているといっても、資源は無尽蔵ではない。

有効活用の方法は高度に戦略的かつ知的な作業だ。「支援国がプーチンを恐れるのをやめれば、すぐにでもウクライナは勝利する」といったゼレンスキー大統領の言葉に、精緻な計算に基づく戦略があるかどうか見極めるのは、当然だ。

並行して、ウクライナ政府内では大幅な内閣改造(軍高官の更迭含む)が行われ、クレバ外相も辞任した。新しいやり方が求められている。だが「支援国が臆病であることをやめれば、すぐにでもウクライナは勝利する」といった即効性のある宣伝文句は、なかなか見つからないだろう。より中長期的な視野に立った戦略の立て直しが必至だ。

この情勢の中で、ゼレンスキー大統領の言葉を日本語で拡散する役目を担っていた日本の「ウクライナ応援団」と揶揄されてきている方々は、今後どうするか。

私自身について言うと、2022年ロシアの全面侵攻開始後には、「降伏論」に異議を唱える言説を発表したことがある。それが橋下徹氏の目にとまって非難してもらったことから、私も「ウクライナ応援団」の一員だったとみなされることがある。

私は、現在でもロシアの全面侵攻の違法性と、ウクライナの自衛権行使の合法性、そしてザルジニー総司令官時代のウクライナの抵抗の合理性の評価については、立場を変えていない。

加えて述べれば、ウクライナ人の研究者との紛争解決に向けた共同研究も進めてきていて出版物も出し始めている。市民活動の面では、ブチャの国内避難民の子どもたちのためのアートセラピー活動支援にもかなり奔走した。

22年の降伏が妥当ではなかったことは、2022年の戦局を見れば明らかである。ウクライナは首都キーウに迫るロシア軍を排撃し、一度はロシア軍に占領されたハルキウやヘルソンを奪還した。ウクライナ軍は、2014年以降、事態に備えて準備してきていた。早々と降伏することが、倫理的にも戦術的にも妥当ではなかったことは、間違いなかったと思う。

しかしアメリカの大統領選挙の日程もにらんで開始した2023年の「反転攻勢」が成果を出せなかったところで、戦局の膠着は固まった。2014年以来、ウクライナの統治を離れたドンバス地方を中核とする東部地方の奪還は、著しく難しい。それも現実だ。

最近では、私は「ウクライナ応援団」を裏切ったかのように扱われることが多い。しかし現実を見るべきだ、と言いたいだけである。2年半前も、今も、そうである。成果が期待できるのであれば犠牲にも意味を見出せる。しかし、現実から目を背けて非合理的な作戦を繰り返し、不必要な人命の浪費していく行動は、正当化が難しい。

焦りが目立つウクライナの行動から、最近では国際世論の動向もウクライナに冷淡になってきている。ウクライナ政府は、少しでもロシアに近づく国があれば間髪を入れず激しく糾弾する。自国の軍事作戦の停滞の責任を支援国の臆病さに見出し続ける。この姿勢は、外交的に見ても、持続可能性の高いものであるようには見えない。

私は、2022年当初から、次のように言い続けてきている。「軍事専門家は、ウクライナはロシアに勝てないと言う。歴史家は、ロシアはウクライナに勝てないと言う。双方が正しい。」

ロシアがウクライナを完全屈服させることは、不可能だろう。ウクライナの国家アイデンティティは、それを不可能にする程度に強固だ。しかしウクライナがロシア軍をいつか完全に屈服させる日が来る、と信じるのもまた、非現実的だ。どこかで必ず、二つの不可能の間で、現実の折り合いがつけられる。私は22年初めから、その観点から、戦争の終わらせ方について実際に論じてきた。

このような私自身の見解を述べた後で、私が「ウクライナ応援団」の何について疑問を感じているのか、この機会に明らかにしておこう。ロシアの悪魔化、親露派マッカーシズム、勝利の至上命題化、の三つの観点から、考えてみる。

第一の論点は、ウクライナを応援することは、ロシアを徹底的に悪魔として描写することだ、と信じ切る姿勢である。もちろんロシア軍の侵略や戦争犯罪を断罪することは、国際法にのっとって正しいことである。しかしロシア全体を悪魔化し、戦争の目的を、悪魔の征伐と誤認してしまうような態度は、分析の目を曇らせる。

クルスク侵攻を称賛した人々の中には、「プーチンに一泡吹かせてやった」といったことを言いあって喜ぶ方々がいた。仮にプーチン大統領に何らかの精神的衝動を強く与えて政策変更を導き出すことが、ウクライナにとって合理的な目的追求になるのであれば、それは一つの合理的な政策手段として認められるだろう。私自身はクルスク侵攻がそのような手段であったという主張の妥当性は疑っているが。

もし「プーチン大統領はショックを受けている」という根拠不明であるだけでなく、ウクライナの戦争目的の達成に何の意味があるのか不明な点へのこだわりが、「悪のロシアを少しでも苦しみを味合わせることは正義である」、といった感情に裏付けられているならば、非常に危険である。悪魔を征伐すること自体を目的とみなしてしまうと、本来の政策的目的に照らして合理性のない行動が、正しい善行として称賛されてしまう。結果は、非合理的な作戦行動の積み重ねだ。

第二の論点は、ウクライナを応援することは、親露派を炙り出し、糾弾し、社会的制裁を加えるために「犬笛を吹く」ことだと信じ切る姿勢である。

当初は、ロシアに有利なプロパガンダの拡散を防ぐことが目的だったのだろうが、運動が過熱し、特にロシアを擁護しているわけでもない人物をつかまえて、ロシア系の情報を見ている、ロシアに不利な情報の信憑性を疑っている、といったことだけで非難しようとしたりする。その姿勢は、党派的な発想にもとづくある種のマッカーシズムであると言ってよいだろう。

党派的言説は、党派的言説を喚起する。フォロワーを増やすことを至上命題にしてしまったら、その他の事柄は犠牲になる。

非常に危険なのは、東大の松里公孝教授のように第一級の研究者であり、かつてドンバス地方でも広範な聞き取り調査を行った稀有な経験を持つ人物を、ウクライナに不利な情報を信じている、といった理由で糾弾し、人格の否定につなげようとすることだ。松里教授のような貴重な研究者の業績を完全否定することは、冷静で客観的な情勢分析を阻害する。

実際のところ私は、かなり真面目な国際政治学者の方が、松里教授の実際の著作の内容ではなく、SNSにおける匿名軍事評論家の「犬笛」の言葉の方を信じて、松里教授は相手にしないといった発言をしているのを聞いて、衝撃を受けたことがある。

広範で精緻な分析を自ら禁じてしまうことによって、得られるものはない。偏狭な態度を見せることは、「ウクライナ応援団」の長期的な世論への働きかけにとっても、阻害的な効果しかもたらさないだろう。

第三に、欧州の急進派の政治指導者の合言葉を真似して、「ウクライナは勝利しなければならない」と唱え続けることが、ウクライナを応援することだ、と信じる風潮がある。

しかし、応援することとは「勝利しなければならない」と命令することだ、という考え方は、かなり奇妙である。この言葉を大真面目に信じると、「ウクライナは勝利するまで戦争を止めてはならない」、「ウクライナの勝利を語らない者はウクライナを貶めている者だ」、といった不健全な非分析的な発想に、どんどん陥っていってしまう。

無批判的に無制限のウクライナへの支援を唱えるのでなければ、親露派と同じだ、あるいは国際秩序の破壊を認めたことと同じだ、といった眼差しで、あらたな「隠れ親露派狩り」に奔走し、「犬笛」を吹き、他者に非難の言葉を浴びせることを先導することによって、「ウクライナの勝利のために貢献した」、「国際秩序を守ることに貢献した」、という気持ちに浸ろうとするのだとしたら、それはあまりに安易である。

ロシア・ウクライナ戦争の現実は、ウクライナにとって厳しい。これまでの「ウクライナ応援団」の態度は、いずれ大きな試練を迎えるのではないか。

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