中曽根康弘『自省録』に見る総裁選の今後

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不記載問題に慌てて派閥を潰した岸田総裁の「お陰」で9人が乱立し、バトルロイヤルと化した自民党総裁選に小泉進次郎が出るというので、中曽根康弘の『自省録』(新潮文庫)を再読した。冒頭が、進次郎の父純一郎総裁が中曽根に次期選挙への不出馬を要請する場面から始められているからだ。

03年10月23日の朝方、約束の時間に小泉が中曽根の執務室に現れてソファに腰を下ろすが、「彼はうつむいて」話を始めない。中曽根が「どういうお話の趣旨か知りませんが、まず、あなたのお考えをお聞きしましょう」と口火を切ると、「ようやく目を合わさぬまま」こう口を開いた。

中曽根先生は、国内的にも国際的にも、どういう地位になっても、その発言や行動には皆さんが注目し、影響力があります。今後もそういう形でご活躍願いたい。

要するに「衆議院議員を引退してくれ」ということだった。中曽根は、日本独立直後から訴えて来た政治家としての一生の仕事である「憲法改正」が出来ようとしている寸前に「これを全うさせないとは、総理総裁のやることではない」、「断じて承服できません」とこれを峻拒した。

黙ったままの小泉に、中曽根は、2週間前に出した第一次公認名簿から無断で私(と宮澤喜一)の名前を外しておいて、その後なんの連絡もないことをなじり、「突如来て、爆弾を投げるようなやり方は、一種の政治テロだ」「私はいつでもどこでも政治活動を続ける」と強く述べた。

なおも黙ってうつむく小泉に、「おい、敬老精神がないじゃないか」といった中曽根は、「小泉君には情愛というものがありません」と書き、小沢一郎の、小泉には「理性」「論理」「合理」といった「理」が欠けているとの小泉評を披露して、政治家にはむしろ「理」にもまして「情愛」が必要だとする。

中曽根の小泉批判は続き、「この一件」に「彼の危うさ、『ポピュリズム』への傾斜」が「集約的に現れている」とし、「本来総理総裁の言動というものは、慎重にも慎重を要する」「深くいろいろ考え抜いて・・深い判断のもとに行動すべきもの」と断じている。

この辺り、今般出馬した小泉進次郎の、「解雇規制」と「選択的夫婦別姓」に「1年で決着をつける」との言動と、それに対する他候補や世論の反対論、そして世論調査での支持急落が重なる。両方とも十倉経団連会長と15分面談した影響だろうが、中曽根の「情愛」や「深く考えて、慎重に」との純一郎批判を息子はどう読むだろうか。

筆者は拙稿「幻でなかった『安倍晋三回顧録』」で、「岸信介が岸田の祖父でなかったこと」が安倍と岸田の違いと書き、『岸信介証言録』が孫に与えた影響を推論した。小泉元首相にも『決断のとき』(集英社新書)があるが、郵政民営化を始め、失われた30年初期にそれに棹を差した人物の「回顧録」に読む価値があろうか。

さて、『自省録』には「人物月旦」なる項があり、当時の政治家の人物評をしていて、そこには総裁選を巡る裏話もいくつかある。河野太郎の祖父・河野一郎の項には、60年に新安保条約が発効し、岸内閣が総辞職した際、池田勇人・石井光次郎・大野伴睦が総裁を争った時の話が出てくる。

中曽根に拠れば、大野は「岸内閣成立に協力する代わりに政権を禅譲してもらう」という岸との密約を信じていたから、話し合いによる選出を望んでいたが、池田は公選を主張した。結果、総裁選となり、池田を押す官僚グループと石井・大野の党人派の対立という構図になった。

ところが党人派の河野は大野ではなく石井を担ごうと画策、大野は不本意ながら引くことを決断する。河野派の若手だった中曽根は大野を説得するが聞かず、立てた石井も池田に負けてしまう。この時、離党を考えていた河野は中曽根に「幹事長をやれ」というが、中曽根はのらりくらり話を引き延ばした。

その内に30数人いた河野派で河野についてゆくという者が半数以下になり、中曽根は河野を説得させようと大野を訪ねる。大野は色紙に「百忍憂いなし」と認め、「河野君に自重するようにいえ」と託す。これで河野は思い止まり、池田内閣の建設大臣兼五輪大臣として、国民をして「さすが河野」と言わしめた。

二つ目は66年の佐藤の総裁再選。中曽根のいた河野派は、佐藤支持と反佐藤で割れる。中曽根は前年に亡くなった河野の遺志を継ぎ、負けると判っていながら藤山愛一郎を支援した。その時の境地を「大義名分があり、主義主張が鮮明であれば、負け戦に加担することも政治にはある」と書いている。

ところが選挙に勝った佐藤が保利茂を介して、会いたいと。会うと、「沖縄返還に命懸けで取り組みたい、挙党一致で米国に当たる必要があるので、助けて欲しい」との話。受けた中曽根には運輸大臣を、との話が来、派の野田武夫を押したが聞き入れられず引き受けたので「風見鶏」と言われた頃の話だ。

三つ目の話は佐藤後継の角福戦争。佐藤は予め「どっちが総理になっても喧嘩はするな」と二人を諭していた。つまり、総裁選第一回投票で一位になった者が過半数を取れなくても総裁になって、二位以下の者は譲れ、ということ。二人はこれに同意した。

が、直後に田中は「あの話はなかったことにして欲しい」と佐藤に頼み込む。中曽根は、自らが望む日中国交回復は、岸の流れを汲む台湾派の福田では無理と、これの推進を条件に田中支持に回り、結果は156票の田中が福田に6票差で総裁の座に就いた。3位と4位の大平と三木も日中国交回復派だった。

目下の総裁選に戻れば、まだ10日を残しているものの世論調査を見る限り、小泉・石破・高市と他の6人とは10~20%ポイントの差がある。縷説した中曽根の『自省録』のエピソードを読む限り、自分の政策を実現したいなら、6人は降りて小・石・高の政策を同じくする何れかの応援に回るべきと知れる。

現職幹事長の茂木と現職官房長官の林はプライドが許すまいから、残り10日頑張れば良い。が、若い小林と安定感抜群だが支持率最下位の加藤は、高市を押し上げて政策を実現すべきだ。小泉と石破の政策は、余りに小林・加藤のそれと距離がある。河野は残るも良し、前回の借りがある石破支持に回るも良かろう。

米大統領選では、長丁場の残り4ヵ月という土壇場でバイデン降りざるを得なくなり、副大統領カマラ・ハリスが新婚気分を謳歌していたが、ここへ来て地金が見え始めている。日本の総裁選の世論調査でトップを走っていた小泉も、討論が始まって経験その他の不足が露呈し、支持率が急落しつつある。

総裁選の途中でこれほどメッキが剝がれる事例は、かつてなかったのではあるまいか。筆者の地元も横須賀なので知人も多いが、市政に詳しい二人から最近異口同音に、このままでは彼の政治生命に関わるから、早く降りて欲しいとの話を聞いた。菅前総理の感心しない一面を垣間見た思いがする。

トランプと最後まで予備選を戦ったニキ・ヘイリーがトランプに投票すると述べたのも、民主党から締め出され、無派閥で大統領選を戦っていたロバート・ケネディJr.が撤退してトランプ支持に回ったのも、猟官目的ではあるが、強かに自らの政策を実現する近道を選んだともいえる。見習うべきだ。