ロンドンの夕刊紙が週1回の発行へ:戻らない通勤客

日々起きている、私たちの生活の中の小さな変化を記録している。

前回は英国の老舗の新聞が新興デジタルメディアに買収されつつある話を書いた。

今回は、ロンドンの無料紙のことである。

スウェーデンの例をまねる

1990年代半ば、スウェーデンで無料紙「メトロ」が発行された。広告収入によって成り立つ新聞だが、当時は衝撃的な登場だった。広告や宣伝でいっぱいの紙媒体はたくさんあったけれど、「新聞」といえば、お金を出して買うのが当たり前の時代である。

これが爆発的な人気となったため、英国でもそのビジネスアイデアを導入したいと考えたのがすでに複数の新聞を発行していたアソシエ―テッド・ニューズぺーパーズ社である。

1999年、同社は同じ「メトロ」という名前で朝刊無料紙を発行させた。駅構内の専用ラックにメトロを置いた。

通勤客は電車に乗る前に一部を手に取った。「ただで新聞が読める」なんて、お得な体験に思えたのである。

スマートフォン登場前の話だ。手持ち無沙汰で電車に揺られているより、新聞をペラペラめくった方がいい。

大衆紙と高級紙

有料の新聞は、英国では2つのグループに分けられる。一つは「大衆紙」あるいは「ポピュラープレス」などと呼ばれ、シンプルだが感情に強く訴える記事が満載で、英語は簡単な表現を使う。スターのゴシップ記事やあることないことが虚実入り混じって書かれている。

もう一つは、タイムズ紙やガーディアン紙などの、「高級紙」と呼ばれる新聞だ。こちらは日本でいうと、通常の全国紙(朝日、読売など)・地方紙にあたる。

英国の新聞はそれぞれが政治姿勢を鮮明にし、中立であることを目指さない。そこで、左派系の政治信条の人は左派系の新聞を買うし、保守系は保守系の新聞を買って読む。すみわけの世界である。

「ストレートな事実を知りたい」と思ったら、複数の新聞をいろいろ読み合せてみないと分からない。あるいは、BBCやほかのテレビ局のニュースを見る。テレビ局のニュースは「不偏不党」を義務化されているからだ。

無料新聞のジャーナリズム

そんなところに、無料の朝刊紙メトロが入ってきた。

メトロは通信社の記事が大部分だ。すると、これまでのほかの新聞のように左右いずれかの政治信条に傾いた記事ではなく、いわゆる「中立な」記事が読めることになった。凝った書き方の記事ではなく、表現もストレート。つまるところ、「あっさりしているが、事実が入っており、わかりやすい」記事が満載ということになる。

こうしたジャーナリズムは、既存の新聞の独自なジャーナリズムに慣れてきた人にとって、とても新鮮だった。広告主にとっても、大量の人の目に留まる無料新聞は新たな市場を作ることになって、大歓迎だった。

ロンドンを舞台にして無料紙市場で競争が発生するようになった。経済・金融の朝刊無料紙「シティーAM」も創刊された。

窮地に陥ったイブニング・スタンダード

無料紙が人気になると、困ったのがロンドンの夕刊紙として長年の歴史を持つイブニング・スタンダードだった。お金を出して新聞を買ってもらうことが非常に難しくなってしまったのだ。2009年、とうとう元ソ連のスパイだったアレクサンドル・レベデフ氏に売却されてしまった。同氏は買収後まもなくして、無料新聞に変えた。

しばらくはこれで経営が続いたが、大きな衝撃となったのが、2020年の新型コロナの感染拡大だ。政府が行動規制を敷いたことで、通勤客が激減した。企業は自宅から勤務する制度を導入せざるを得なくなった。コロナ感染が収まった後も、週5日出社するのではなく、リモートワークを組み合わせる会社が出てきて、働く側もリモートワーク制度を取り入れた企業への就職を望むようになった。

通勤客の足がコロナ前のレベルに戻らなくなったので、イブニング・スタンダードは今年8月から、週3回の発行に変えた。それでも経営は難しかった。

そして、9月中旬で週3回発行は終了し、23日の週からは木曜日に発行されるだけとなってしまった。

我慢比べ?

新聞の紙媒体としての発行自体が難しくなっている現状がある。大手高級紙はまだ紙媒体での発行が続いているけれど、いつまで続くかはわからない。2016年には、左派系高級紙「インディペンデント」が紙媒体での発行を停止し、電子版のみでの発行となった。ただし、その簡易版で価格もはるかに安い「アイ」は紙での発行が続いている。

イブニング・スタンダードの場合、ロンドンの無料紙市場で週に数回発行の新聞としては経営が不可能になった。

英国の新聞は紙媒体でいつまで発行するのか。各紙の我慢比べのような状況になってきた。(以下はイブニング・スタンダードのウェブサイト)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2024年9月22日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。