AIの世界の行きつく先:社会の二極化が進むのは避けられない

現在のAIブームはかつてのドットコムブームの時に重ね合わせると成長位置が90年代後半とみる専門家がいるようです。つまりまだこれから数年は爆発的に展開するということでしょうか?90年代、我々の社会にパソコンが当たり前に入り始め、ワープロが消え去ったようにAIが業務を支援することで既存のルーティーンワークが大幅に作業短縮になるとなれば私は嬉しいです。なぜなら新たなことにチャレンジする時間が出来るからです。

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ところが一部の方々の仕事は大きく変化するでしょう。例えばかつてはキーパンチャーという仕事がありました。手書きのモノを入力するといった作業です。今は手書きそのものが激減しています。マシンガン入力が得意技だった方にとって自分は何ができるのか、傍と立ち止まらねばならないかもしれません。

翻訳業も実に微妙な立ち位置にあるかもしれません。世界で出版される書籍は星の数ほどありますが、これが多言語に直ちに翻訳されて、手元のディバイスで読めるならば世界の言語の壁を乗り越えることができます。私の周りに翻訳業をやっている方が何人かいらっしゃいますが、彼らの多くは「機械翻訳では翻訳できないような言語や文体を無理に翻訳するので質が悪い。よって人間が翻訳すべき」というのですが、AIがそれを乗り越えられないはずはなく、個人的には確実に変わるだろうとみています。

また、出版業界は版権ビジネスに変わってきていることもあり、版権を買った方は購入後、鮮度が高いうちに翻訳し販売ルートに乗せることが商売の成否を占います。また印刷する場合はロスが必ず出ますが、電子版の場合にはロスがなくなりますから将来は紙の本は無くなるのでしょう。よって紙の本のように折り曲げられて書籍のように見開く形の軽いディバイスが開発されればこの業界は大激変するとみています。

AIそのものはまだ金儲けのネタにならないとされます。ただ、5年から10年というスパンでそれも変わってくるのでしょう。チャットGPTが音声入力版を有料でリリースしました。月額US20㌦で音声によるやり取りができるそうで、その「会話」のやり取りも人並みのスピードだとのこと。日本語でのやり取りも可能です。そうなると私の友達はチャットGPT、そのうちに画面に映るのは自分の好みに仕上げた仮想のお相手。画面の向こうの彼なり彼女なりと日々、楽しいチャットをすればリアル人間のお友達は必要なくなるかもしれません。心配なのはバーチャル人間との「結婚」。既にそのような例があるようですが、人間の生き方そのものに激変を起こす可能性があります。その場合、子孫繁栄の問題を大きく超えた種の保存の問題が生まれるでしょう。今の増えすぎた人口は先進国を中心に想定を大きく超える激減を経験することになるのでしょうか。

社会には仕事がある人とない人が生まれるとみています。仕事がない人は現在の社会では食うために必死に仕事を探しますが、そのうちにごく一部の優秀でAIを駆使する人々とそれをメンテする人が生み出す生産能力により企業は利益を生み出し、国家にも税収がもたらされ、働かない人にベーシックインカム以上の配分が生まれるという冗談のような社会になるのかもしれません。

国家運営も役所仕事も全部テクノロジーに取って代わり、政治家はバーチャル政治家になります。我々は生身の人間を選挙で選ぶ必要はなく、バーチャル政治家が24時間国民のために働いてくれます。テレビのドラマの俳優は全部仮想の人物、あるいはリアルの俳優をコピーしたバーチャル人間になるでしょう。テレビニュースも天気予報のお姉さんも全部バーチャルです。

さて、質問です。これ、楽しいでしょうか?人間は労働と若干の休息というバランスの中で日々の生活に活力と活気をもたらすはずです。働かないで国家から小遣いをもらって毎日ダラダラしているのは今に生きる人にとって楽園に聞こえますが、1週間もすれば飽きるか堕落しそうです。北米の休暇が1-2週間というのはそれを超えると働く意思が下がり、生産性が落ちるからだと考えています。

AIが急速に普及しつつある今こそ人間の義務と尊厳、機械と人間の役割分担について議論が起きてほしいと思うのです。戦争1つとってもドローンにコンピューター制御のミサイルといった具合で人間が泥まみれ、血まみれになって戦う比重はかつての戦争に比べ大きく下がってしまいました。それが理由で戦争をダラダラと長く続けられる面もあるでしょう。

もしも深い議論もなく機械化とAIが浸透し「便利になって良い時代だね」となった場合、我々古い世代は果たしてついて行けるのか疑問なのです。振り返ればコンピューターが我々人間社会に広く浸透し始めた90年代半ばからまだわずか35年しかたっていないのに加速度的な進化に人はキャッチアップができなく時代がやってくるだろうと思うのです。

当然ながら知的犯罪も増えるでしょう。実に高度な、そしてあっと驚くような大混乱を引き起こすことも可能でしょう。自動運転の車が暴走し、スマホからデータが消滅する事件も起きるかもしれません。銀行にあったそのお金が瞬時に消えるかもしれません。その時、我々は途方に暮れるだけで済むのでしょうか?これは現代社会への警鐘でもあります。私はどこかで歪が来る、そしてその時、どう修復していくのか、AIに聞くのか、聖書の言葉に頼るのか、はたまた使わなくなりさび付いた人間の脳を再度、動かすのか、ジョージ オーウェルがまだ生きているなら聞いてみたいものです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年10月1日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。