靖国参拝問題:総裁選の明暗を分けた参拝論争

9月27日の自民党総裁選で石破茂氏が5度目の挑戦で総裁の座に射止めた。1次投票でトップだった高市早苗氏を、議員票が多くの割合を占める決戦投票で逆転した。

決戦投票での石破氏の議員票が高市氏を42票も上回った理由の一つに、高市氏が靖国参拝を明言したことを多くの議員が危険視したから、との憶測があり、靖国参拝問題が改めてクローズアップされることとなった。

偶さか筆者は、9月24日の拙稿「石破茂候補の的外れな産経インタビュー」で、石破氏が「靖国神社への参拝は、天皇陛下がご親拝できる環境が整わない限り、行わない」と述べたことについて、「総理大臣が参拝しない靖国に、天皇陛下が参拝できるはずがないし、総理がその『環境を整』えずに、誰がやるというのか」「陛下は75年以来、参拝なさっていない。ならば、総理大臣が率先して靖国に参拝し、陛下参拝の道筋を付けるべきではないのか」と書いていた。

そこで、靖国参拝問題について整理してみた。

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天皇陛下の靖国参拝

天皇陛下のご参拝が1975年を最後に途絶えている理由については、公にされていないので不明である、としかいい様がない。が、中国が騒いでいるA級戦犯の合祀と無関係であることは、A級戦犯合祀が78年なので、時系列からも明らかだ。

但し、推測される理由は存在する。それは75年11月21日の吉田法晴社会党衆院議員による「天皇の靖国神社参拝に関する質問主意書」(以下、質問書)である。

質問書に拠れば、陛下による戦後初の靖国ご参拝は45年11月20日の終戦報告であり、これが旧憲法下最後の公式参拝だった。新憲法下でのご参拝は65年10月19日の終戦20周年のご参拝から75年のご参拝まで6度あり、どれも「私的行為」とされた。が、吉田議員は「憲法違反の法制定を推進しようとするものである」として質問書を提出したのである。

これに対して政府は、75年11月28日の答弁書で以下の様に述べている

このたびの天皇の御参拝は、本年春、靖国神社から口頭で終戦三十年につき御参拝願いたい旨の申出があり、昭和四十年十月には終戦二十年につき御参拝になっておられる経緯もあって行われたものである。

御参拝は、天皇の純粋に私人としてのお立場からなされたものであつて、全く政治的な目的を有していない。

天皇が私的なお立場で靖国神社に御参拝になることが日本国憲法の破壊に通じるものとは認められないので、内閣としては、御参拝を中止されるよう助言する考えはない。

この様に政府には、「天皇の私的なお立場」でのご参拝を「内閣としては、御参拝を中止されるよう助言する考えはない」という歴とした公式見解がある。

従って、石破氏が「天皇陛下がご親拝できる環境が整わない限り、行わない」と述べたことは、この75年の政府見解とは異なる見解をお持ちである、ということになる。

では、吉田議員のいう「憲法違反の法制定」とは何かといえば、それは靖国神社を日本政府の管理下に移し、政府が英霊を慰める儀式・行事を行おうという「靖国神社法案」である。

同法案は、議論開始から10年経った74年5月に衆議院本会議で野党欠席のまま記録上は全会一致で修正議決し、参議院に送付されたが、参院では委員会に付されぬまま6月に会期終了となり、審議未了廃案となったのである。

吉田議員は質問書でこう述べている。

これは憲法違反として五度審議未了となった「靖国神社法案」及びその代わりに制定が推進されている「慰霊表敬法案」の重要な中味である「靖国神社の国家護持」と「天皇の靖国神社親拝」を、法成立の事前に実現し、三木首相の靖国神社参拝と共に既成事実を積み重ね、憲法違反の法制定を推進しようとするものである。

かかる問題のある天皇の靖国神社参拝について、社会、公明、共産等各党が反対を表明し、多くの宗教団体関係者が反対しており、このように国論を二分するがごとき行為は「国民統合の象徴」といわれる天皇のなさるべき行為ではない。

結局「靖国神社法案」は廃案となったものの、その事実上の国有化に、野党各党や多くの宗教団体が反対する事態を招いた。そうした経緯のある靖国参拝を陛下がご遠慮なさるお気持ちは推察できる。

では、なぜそれが公にされないかといえば、公表すること自体が「政治的」と見做されかねないからだ。従って、石破総理がやるべきことは、先ず自らが靖国参拝することで75年の政府答弁に改めて光を当て、その上で陛下に「内閣として御参拝されるよう助言する」ことではあるまいか。

首相の参拝とA級戦犯の合祀

この件についてはノンフィクション作家の上坂冬子に『戦争を知らない人のための 靖国問題』(文春新書、06年刊)という、この問題を知るに格好の書があるので、そのエッセンスを以下に紹介する。

因みに天皇のご参拝について上坂は、「天皇のご親拝を実現せねば靖国神社の存在価値がないようにいう人があるが、私はこだわらない」とし、「天皇の地位が『神』から『象徴』になった段階で、天皇と国民との関係も転換しているはず」と述べている。

上坂が靖国問題をどう考えたかの経路あるいは筋道を知るため、以下に同書の目次を掲げてみる(※()内の筆者の補足)。

第一部 靖国神社は日本人にとってどんな存在だったか
第二部 敗戦で立場を失う
第三部 日本は加害者か
第四部 東京裁判とA級戦犯
第五部 無知がまかり通っている
第六部 裁いた側の異色(日本を無罪としたインドのパル判事のこと)
第七部 裁かれた側の異色(東条英機のこと)
第八部 戦犯問題、ここがポイント
第九部 日本から戦犯が消えた日(「刑務死」とされたこと)
第十部 近隣諸国の感情か、内政干渉か
第十一部 靖国神社は今のままで存続可能か
第十二部 靖国問題解決のために
第十三部 論拠のはっきりした政府声明を

上坂は第十三部で、「私の立場から、私なりに靖国問題を近隣諸国との秩序ある論争の場にのせるために、中華人民共和国および大韓民国政府に宛てて日本政府から発信すべき文書の叩き台」として「声明書(案)」を掲げているので、以下の要約に沿って「首相の参拝」と「A級戦犯の合祀」について見てゆきたい。

  1. 犯罪人といえども裁判を受けて刑に服せば事件は決着する。A級戦犯はその様な扱いのもと靖国に祀られている。
  2. 靖国神社は義和団事件(1900年)の30年前に、日本のために命を落とした人々の慰霊の場として建てられた。51年のサンフランシスコ平和条約で独立した翌月、吉田茂首相は衆参両院議長と閣僚と共に靖国に参拝し、日本の独立を報告した。日本と日本人にとり、靖国神社とはそういう場所である。
  3. 日本はサ条約発効の翌年、戦死者、戦傷病死者、戦犯刑死者の全てを、一切区別せずに国家のために命を捧げた人と、国会で決議した。よってA級戦犯の分祀はこの決議から外れる。
  4. サ条約では様々な戦犯の取扱いが取り決められ、日本はそれを遵守してきた。A級戦犯に纏わる問題も、敗戦8年後に取決に基づき処理し、決着済み。サ条約は49ヵ国が署名・批准したが中国も韓国も署名・批准していない。そうした国にはいかなる権利、権限、利益を与えないし、そうした国々によって日本の権益が「減損または害される」ことはないと記されている(第二十五条)。また署名批准国から戦犯問題について異議を申し立てられたことはない。
  5. パル判事は、かつては各国に交戦権があり、他国に対する武力行使を犯罪とする国際法は存在しなかったと述べており、アヘン戦争などはその好例。従い、A級戦犯が問われた「平和に対する罪」などは犯罪に該当しない。

いくつか補足すれば、「3」は52年4月28日のサ条約発効の二日後に成立した「戦傷病者戦没者遺族等救護法」で戦傷病死者と戦没者遺族に遺族年金を保障し、また翌年8月の同法の一部改正で戦犯の遺族にも遺族年金と弔慰金を支給したことを指す。両法とも全会一致であった。これを契機に「戦犯処刑」という語も消え、公文書に「刑務死」と記されるようになった。

関連して、内大臣だった木戸幸一は、45年12月に陛下から夕食に誘われた際、戦犯容疑者指名を理由に固辞したところ、陛下は「米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり」と述べられたと「日記」に記している(上坂本)。

「刑務死」した戦犯の靖国合祀は、56年4月に厚生省引揚援護局が各都道府県に対し、救護法に拠り遺族年金を受けている者の申し出を要請することから始まった。援護局はこの名簿に基づき、祭神として有資格者を靖国神社に通知した。神社側はこれを基に霊璽簿を作成し、59年の春季合祀祭にBC級戦犯が合祀された。

だが、A戦犯合祀は20年後の78年10月まで待たねばならなかった。66年にはA級戦犯の祭神名簿が援護局から靖国神社に送られ、1969年1月にはA級戦犯の合祀と外部発表は行わないことが政府と靖国神社とで合意されていた。が、実際に合祀に至るまでには更に10年を要した。

上坂はその理由として、政治家の不勉強を挙げ、前述した「靖国神社法案」の紛糾によって神社側が合祀を差し控えたのだろうと述べ、BC級と同時に合祀されたかったことを嘆じている。同感である。

首相の靖国参拝についても、2014年12月に提出された「内閣総理大臣が行う靖国神社参拝に関する質問主意書」に対し、政府の答弁書が出されているのでここでは触れない。

筆者の考えを述べるなら、サ条約第二十五条に基けば、これを批准していない中国(東京裁判当時には国すらなかった)や韓国(日本と戦争をしていない)にこれを云々する権限はないのだから、首相や閣僚は九段下を車で通る度に、昇殿参拝でなくとも社殿の前で拝礼をすれば良いのである。

なお、分祀についても神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊(分祀)しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされるから、無意味と考えている。