1966年に静岡県の味噌製造会社の専務一家4人が殺害・放火された、いわゆる「袴田事件」の再審で、9月26日、静岡地裁(國井恒志裁判長、谷田部峻裁判官、益子元暢裁判官)は、死刑が確定していた袴田巌氏に対して無罪の判決を言い渡した。死刑が確定した事件で再審が開始された事件が4件あるが、いずれも再審の一審で無罪判決が出され、検察官が控訴することなく、そのまま確定している。
袴田事件の再審無罪判決も、結論は予想どおりであり、再審請求審、再審で長年にわたって戦い続けてきた弁護団の「全面勝利」の判決で、58年ぶりに袴田氏の潔白が明らかになったのだから、一日も早くそれが「司法の最終判断」となるよう、「検察は控訴をすべきではない」、「即刻上訴権放棄をして、無罪判決を確定させるべき」という論調が大半である。
しかし、今回の再審判決の内容を仔細に検討すると、検察にとっては、「到底受け入れがたい判決」であり、また、弁護側にとっても、結論は「無罪」であるものの、袴田氏は潔白・完全冤罪であるという弁護側主張の大半を排斥した今回の再審判決は、「手放しで喜べる判決」とは言い難い。
控訴期限は10月10日であり、検察組織は、それまでに控訴・不控訴の判断を迫られる。もし、控訴を行った場合、検察は、世の中から、無実の人に58年以上も死刑囚の汚名を着せた上、面子だけにこだわって悔い改めることなく有罪主張を続けることに対して、「人でなしの組織」のような猛烈な批判に晒され、控訴審でも大逆風の中での審理を余儀なくされることになる。
しかし、もし控訴審ということになった場合、弁護側も、控訴審での対応において、極めて困難な判断を迫られることになる。
「検察批判論者」の筆者の袴田事件への論評
私は、23年間検察の組織に属し、検察官としての職務経験を有する「検察OBの弁護士」である。しかし、多くの検察OB弁護士とは異なり、主として特捜部が手掛けた事件について、検察を厳しく批判し、自らも弁護人として、美濃加茂市長事件、青梅談合事件、五輪談合事件などで法廷での「検察との戦い」を繰り広げてきた。
また、2010年に、大阪地検特捜部が村木厚子氏を逮捕・起訴した事件で無罪判決が出され、その直後に、主任検察官による証拠改ざんが明らかになって、検察が世の中から厳しい批判を受けた際、法務省に設置された「検察の在り方検討会議」には、「検察に厳しい論者」の一人として加わり、取調べの可視化、特捜検察の組織の解体等について持論を展開した。同会議での提言を受け、検察改革の一環として出されたのが「検察の理念」である。
かかる意味において、検察OBの中では数少ない「検察批判論者」の筆者だが、袴田事件については、これまで独自の立場からの論評を行ってきた。
2014年に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が出した再審開始決定が、即時抗告審での東京高裁(大島隆明裁判長)の決定で取り消された際には、【袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性】で同決定を支持する論評を行った。
その決定が最高裁で破棄差戻しとなり、東京高裁(大善文男裁判長)が、再審開始決定を出した際には、【「組織的証拠ねつ造」可能性認める袴田事件“再審開始決定”、検察の特別抗告は許されない】と題して、同決定での「捜査機関の証拠改ざんの認定」の背景と意味を解説し、検察官の特別抗告に対して消極の意見を述べた。
そして、上記大善決定に対して検察が特別抗告を断念して再審開始決定が確定し、静岡地裁で始まった再審で、検察官、弁護人の主張が出そろった段階で出した【袴田事件再審「証拠ねつ造の可能性」を徹底分析~「無罪判決」でも事実解明は終わらない】では、再審公判での検察官・弁護人双方の主張について解説し、最大の争点が「5点の着衣の証拠改ざん」であり、それが肯定された場合に、その後に予想される事態、についても私見を述べた。
今回出された再審判決に対しても、マスコミや世の中の論調に流されることなく、内容を客観的に分析し、検察の控訴・不控訴の判断に関して問題となる点を解説すること、そして、この事件をどう決着させるべきかについて私見を述べることは、私自身に課せられた責務と言うべきであろう。
袴田事件再審開始決定までの経過
袴田氏は、裁判では一貫して無罪を訴えたが、1980年に死刑判決が確定、翌年に第一次再審請求が申立てられ、2008年、最高裁で棄却されたが、同年に第2次再審請求が申立てられた。
この第2次再審請求審で、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した」(刑訴法435条6号)として弁護人が主張したのは、袴田氏が逮捕・起訴され公判審理が行われていた最中に味噌樽の底から発見され、袴田氏が犯人であることを裏付ける有力な証拠とされた「5点の衣類」についての、
(ア) 衣類から血液細胞を他の細胞から分離して抽出する「細胞選択的抽出法」を実施した上で、採取した試料のDNA鑑定を行った結果、袴田氏のDNA型とは一致しないという本田克也筑波大学教授のDNA鑑定(本田鑑定)
と、
(イ) 5点の衣類には付着した血痕の色の赤みが残っていたとされるが、1年以上味噌に浸かっていたとは考えられないことを実験によって証明したとする「味噌漬け実験報告書」
の2つであった。
2014年3月、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、(ア)(イ)をいずれも「新証拠」と認め、再審開始を決定(以下、「村山決定」)、袴田氏の死刑および勾留の執行を停止し、袴田氏は釈放された。
即時抗告審の東京高裁(大島隆明裁判長)は、2018年に、(ア)の「本田鑑定」について、
《本田氏の細胞選択的抽出法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在しているにもかかわらず、原決定は細胞選択的抽出法を過大評価しているほか、原決定が前提とした外来DNAの残存可能性に関する科学的原理の理解も誤っている》
《本田鑑定を信用できるとした原決定の判断は不合理なものであって是認できず、本田鑑定で検出したアリルを血液由来のものとして、袴田のアリルと矛盾するとした結果も信用できず、本田鑑定は、袴田の犯人性を認定した確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるような明白性が認められる証拠とはいえない》
として証拠価値を否定し、(イ)の「味噌漬け実験報告書」については、
《5点の衣類の各写真は、写真自体の劣化や、撮影時の露光といった問題があり、発見当時の色合いが正確に再現されていないのであるから、色合いを比較対照する資料とはなり得ないものである上、前記各みそ漬け実験で用いられたみそは、5点の衣類が発見された1号タンク内にあったみその色合いを正確に再現したものとはいえない》
などとして、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出した(以下、「大島決定」)。
それに対して、弁護人が特別抗告を申し立て、2020年12月に、最高裁は、(ア)については、証拠価値を否定した大島決定を支持したが、(イ)については、
《前高裁決定は、みそ漬けされた血液の色調に影響を及ぼす要因、とりわけみそによって生じる血液のメイラード反応に関する専門的知見について審理を尽くすことなく、メイラード反応の影響が小さいものと評価した誤りがあるとし、このことは5点の衣類に付着した血痕に赤みが全く残らないはずであるとは認められないとの前高裁決定の判断に影響を及ぼした可能性がある》
と指摘して、審理を東京高裁に差し戻す決定(以下、「最高裁決定」)を行った。
そして、2023年3月、東京高裁(大善文男裁判長)で、(イ)を、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認める再審開始決定(以下、「大善決定」)が出された。
2種類の無罪
再審開始決定が確定したことにより行われる再審公判では、改めて、通常の刑事事件の一審と同様の手続で刑事裁判がやり直されることになる。再審裁判所は、再審請求審の決定に拘束されるものではなく、検察官が行う主張立証にも制限はないとされている。本件では、検察官は、改めて有罪立証を行い、袴田氏に死刑を求刑した。裁判所は、自由心証により、袴田氏について「犯罪の証明」があるのか、改めて判断することになった。
無罪判決は、検察官が起訴した事件について「犯罪の証明がない」場合に言い渡されるが、その「無罪判決」には二通りある。
犯罪を行った疑いで逮捕・勾留され起訴されたが、「被告人が犯人ではないことの証明」があった場合は、犯罪の疑いが消滅するのであるから、「完全無罪」である。
もう一つは、被告人に対する犯罪の疑いがなくなったわけではないが、被告人が犯人であることの根拠とされた証拠について重大な疑問が生じたり、「拷問による自白」「違法に収集された証拠」など、刑事裁判で証拠とすることができないと判断されたりして、有罪判決に必要とされる「合理的な疑いを容れない程度までの犯罪の証明がない」と判断される場合である。
この場合、「被告人が犯人である可能性」が否定されるわけではないが、「疑わしきは被告人の利益に」の原則から、裁判所の判断によって無罪判決が言い渡される。裁判所の認定による「無罪」、言わば「認定無罪」である。
「被告人と犯行との結びつき」、つまり被告人の犯人性に関しては、「積極証拠」と「消極証拠」があり、その相関関係で、有罪無罪が決せられることになる。被告人のアリバイ成立、真犯人が別人であることなどを証明する証拠が、犯人性についての「消極証拠」であり、それが客観的に明白なものであれば、被告人が犯人ではないことが証明され、「完全無罪」となる。
一方、犯人性についての「積極証拠」の証拠価値や信用性が否定された場合、或いは疑問が生じた場合、被告人の犯人性についての証拠は弱まる。その程度如何では、「認定無罪」となるが、その判断は、被告人の犯人性について疑いが消滅するわけではない。
本件再審公判の証拠構造
再審請求審の過程で、弁護人が「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」と主張し、裁判所も、それを認めたのが前記(ア)(イ)であった。
(ア)のDNA鑑定(本田鑑定)は、その証拠価値・信用性が認められれば、衣類に付着した血痕が別人のものだということになり、5点の衣類が犯行着衣ではなく捜査機関によってねつ造されたことが殆ど疑いの余地がないことになる。しかし、村山決定では証拠価値・信用性が認められたものの、大島決定は証拠価値を否定し、その判断は、最高裁決定でも、大善決定でも変わっておらず、再審公判で証拠価値が認められる可能性は低い。
(イ)の「味噌漬け実験報告書」は、再審請求審において、最終的に「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされた。
袴田氏を有罪とし、死刑とした確定判決では、一審の公判段階で犯行現場付近の味噌樽の底から発見された「5点の衣類」が袴田氏の犯人性についての最大の「積極証拠」とされた。しかし、大善決定は、血痕の色調の変化に関する実験結果と科学的知見に基づき、「味噌樽に隠匿後1年以上経過したものである可能性は極めて低い」と判断し、5点の衣類が、袴田氏が犯行後に隠したものではなく、発見から近接した時期に味噌樽の底に入れられたものであり、それは捜査機関が衣類に血痕を付着させるなどしてねつ造し、味噌樽の底に隠した可能性が高いと判断した。
それによって、袴田氏の犯人性についての最大の証拠である5点の衣類の証拠価値が否定され、他に犯人性についての証拠は、一審の公判段階で発見された「5点の衣類」以外には、袴田氏のパジャマから微量の血液と混合油が検出されたことと自白調書しかない。
自白調書については警察の取調べが、連日長時間にわたる「強制、拷問又は脅迫による自白」だとして任意性が否定され、警察官調書は全く採用されず、証拠採用されたのは検察官調書一通のみである。
「5点の衣類」が「被告人と犯行の結びつき」の積極証拠であることが否定されると、犯人性についての証拠は極めて希薄となり、その結果、「疑わしきは被告人の利益に」の原則にしたがい、裁判所としては「無罪を言い渡すべき」ということになると判断され、(イ)の「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされたものである。
この「味噌漬け実験報告書」は、袴田氏の犯人性についての決定的な「積極証拠」とされた5点の衣類の証拠価値について疑問を生じさせる証拠であり、再審公判でも、その証拠評価が審理の中心となったが、その証拠としての位置づけ、証拠の性格について、特異な要素があることに留意する必要がある。
「味噌漬け実験報告書」の特異性
第一に、「味噌漬け実験報告書」は、本件の証拠である「5点の衣類」自体について、変色の経過等を直接明らかにしたものではない。味噌樽の中に1年以上漬けられた場合の変色の程度について、類似した条件下での変色の経過を実験することによって「類推」したものであり、それによって、本件の証拠の5点の衣類の変色経過を証明できるか否かは、科学的な知見による「評価」が必要となる。結局のところ、それは、変色の速度についての可能性の程度の「判断」に過ぎない。
第二に、仮に、「赤みが残る可能性」が完全に否定されるとすると、必然的に、袴田氏とは別の人物が味噌樽の底に「大量の血痕が付着した5点の衣類を隠匿した」ことになり、それを行ったのは捜査機関である可能性が高いことになる。
この「血痕の付着した5点の衣類を味噌樽の底に沈める」という証拠ねつ造は、その実行のためには、警察が、袴田氏が事件前に着用していた衣類を把握し、それに見合う衣類を調達し、一方で大量の血液を入手して衣類に付着させて「血痕が付着した5点の衣類」を準備し、味噌樽の底に何かを沈めるという行為であり、味噌製造会社側の協力を得て、実際に味噌工場に立ち入って実行することが必要になり、多数の警察官が、「証拠ねつ造」と認識しつつ、その実行に関与したことになる。
捜査機関がそのような証拠ねつ造行為を組織的に行うことが可能であったのか、現実に行い得るものだったのかが問題になるが、もし、その捜査機関によるねつ造の可能性が完全に否定されるか、或いは、可能性が極めて低い、ということになると、逆に、「味噌漬け実験報告書」による「1年以上味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性の否定」に疑問が生じることになる。
第三に、味噌漬け実験報告書によって、仮に、5点の衣類が犯行着衣である可能性が否定され、捜査機関による証拠ねつ造があったとされた場合でも、それは、袴田氏の犯人性についての「積極証拠」が否定され、「合理的な疑いを容れない程度」の証明ではないと判断されて「認定無罪」の判断に至るということであり、それだけで「完全無罪」となるものではない。捜査機関が、袴田氏の犯人性について、証拠による立証は困難だが、「確信」を持っていて、そうであるがゆえに「証拠ねつ造」を敢えて行った、ということも考えられないわけではない。その場合、そのような捜査機関の行為は到底許容されるものではないが、袴田氏の犯人性の判断とは別の問題である。
つまり、「味噌漬け実験報告書」は、その証拠としての性格上、証拠価値が科学的に裏付けられたとしても、そこには、「捜査機関による組織的な証拠ねつ造の可能性」との相関性があり、「ねつ造の可能性」の評価も、再審公判の審理と結論において、極めて重要なものと言わざるを得ないのである。また、「味噌漬け実験報告書」だけでは、袴田氏の犯人性を否定する決定的な「消極証拠」にはならないのであり、「完全無罪」のためには別の証拠が必要となる。
弁護人の「警察による証拠ねつ造の主張」
本件の弁護人は、上記のような証拠構造の下で、「袴田氏は一家4人殺害・放火事件の犯人ではなく、真犯人は別にいる」として、袴田氏の「無実」「潔白」を訴え、「完全無罪」の結論をめざしてきた。
本件の犯人像についても、「単独犯」「内部犯行」「金品取得目的」という警察の見方は、味噌製造会社内部者の犯行であるかのように見せかけるために、事件直後、早いものは事件発生の数時間後から、現場の遺留物等の証拠ねつ造等によって作り上げられたものだと主張し、現場の状況等から、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行であると主張してきた。
再審公判でも、前記 (イ)の「味噌漬け実験報告書」の証拠価値・信用性を、新たな専門家証言等によってさらに補強することに加え、前記(ア)の本田鑑定の証拠価値・信用性を改めて主張した。犯人像についても、「本件は、検察官が主張する、住居侵入、被害者4人の強盗殺人、放火事件ではなく、犯人は一人ではなく複数の外部の者であって、動機は強盗ではなく怨恨だった。
犯人たちは、午前1時過ぎの深夜侵入したのではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいた。そして、4人を殺害して放火した後、表シャッターから逃げて行った」と主張した。
「警察は、袴田氏とは全く犯人像の異なる真犯人が別にいるのに、真犯人を捜査の対象から外し、初動捜査の段階から、証拠のねつ造を重ねて、袴田氏を犯人に仕立てあげた」として、事件発生直後からの捜査の全過程における証拠ねつ造を主張するものだった。
これに対して、検察官は、「味噌漬け実験報告書」については、新たな専門家の証言により、「味噌樽に1年以上浸かっていても赤みが残る可能性はある」と主張し、弁護人の「証拠ねつ造の主張」も全面的に否定し、「5点の衣類」についても、「捜査機関によるねつ造は不可能又は著しく困難であり、被告人が犯行時の着衣を犯行直後に味噌樽の底に隠したもの」と主張した。
再審判決における「認定無罪」の結論
再審判決は、その冒頭で、「判決の骨子」として
被告人が本件犯行の犯人であることを推認させる証拠価値のある証拠には、三つのねつ造があると認められ、これらを排除した他の証拠によって認められる本件の事実関係によっては、被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。
すなわち、①被告人が本件犯行を自白した本件検察官調書は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得され、犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的にねつ造されたものと認められ、刑訴法319条1項の「任意にされたものでない、疑のある自白」に当たり、②被告人の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた5点の衣類は、1号タンクに1年以上みそ漬けされた場合にその血痕に赤みが残るとは認められず、本件事件から相当期間経過後の発見に近い時期に、本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもので、証拠の関連性を欠き、③5点の衣類のうちの鉄紺色ズボンの共布とされる端切れも、捜査機関によってねつ造されたもので、証拠の関連性を欠くから、いずれも証拠とすることができず、職権で、これらを排除した結果、他の証拠によって認められる本件の事実関係には、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない、あるいは、少なくとも説明が極めて困難である事実関係が含まれているとはいえず、被告人が本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。
ねつ造その1(検察官調書)
「3つのねつ造」の一つは、検察官調書を「実質的にねつ造」と評価したものである。
裁判所の判断として、取調べの経緯や状況はともかく、一応、検察官に供述した内容を録取し、供述者が署名押印した検察官調書を、「実質的に」とは言え、「ねつ造された」と評価したのは前代未聞である。
一般的に言えば、むしろ、供述者が言ってもいない内容を調書にして署名させるやり方の方が、実質的な「ねつ造」に近いとも言え、実際にそのような供述調書の作成が問題とされた事例は枚挙にいとまがない。
プレサンスコーポレーション事件での大阪高裁の不審判決定等で検察官の不適切な取調べが大きな問題になっていることもあり、検察官調書が「実質的にねつ造された」との事実認定・評価は、今後の検察の実務に大きな影響を生じかねない判示であり、検察として極めて受け入れ難いものではないかと考えられる。
ねつ造その2(5点の衣類)
二つ目の「ねつ造」は、村山決定、大善決定においても可能性を指摘されていた、捜査機関による「5点の衣類」の証拠ねつ造である。
確定判決においては「5点の衣類」が、犯人が犯行直後に味噌樽に隠した「犯人の着衣」とされていたが、再審請求審においては、その点に合理的な疑いを生じさせた「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新たな証拠」とされ、そこから、論理必然的に、「5点の衣類」は、犯行直後ではなく、発見から近接した時期に味噌タンクに隠したことになり、それを行うとすれば捜査機関の可能性が高いとされ、間接に捜査機関によるねつ造の可能性が指摘されていた。
しかし、再審公判では、再審請求審のように「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」に該当するかどうかを判断するのではなく、通常の刑事裁判と同様に、公訴事実が証拠によって認定できるかどうかを判断することになる。
その事実認定において、検察官が、改めて被告人の犯人性の最大の根拠として主張した「5点の衣類」について、誰が何の目的で味噌タンクの中に隠したのかについても、採用した証拠に基づく事実認定をせざるを得ない。それについて、再審判決は、「本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもの」との積極的な事実認定を行ったのである。
「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについて、大善決定では、「当審で取り調べた各専門的知見から、1年以上みそ漬けされた5点の衣類の血痕の赤みが消失することが化学的機序として合理的に推測できる」としていたが、再審判決は、「その血痕は赤みを失って黒褐色化する」との断定的な判断を示し、それを前提に、「被告人以外の者が5点の衣類をその発見に近い時期に1号タンク内に隠匿したとすると、5点の衣類は、犯人が本件犯行時に着用していた犯行着衣でないと認められる。」「5点の衣類を犯行着衣としてねつ造した者としては、事実上、捜査機関の者以外に想定することができない」として、捜査機関によるねつ造を認定している。
検察官は「捜査機関による5点の衣類のねつ造は非現実的で実行不可能なものである」と主張したが、以下のような理由で退け、捜査機関が、被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあったとしている。
① 5点の衣類が発見される前は、5点の衣類を除く当時の証拠関係では、被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった。
② 捜査機関は、被告人が当時居住していた本件工場の従業員寮の捜索等を実施しており、被告人の着衣を把握していた。被告人の荷物が同年9月2 7日頃に被告人の実家に送付されるまでの間に、実際の被告人の衣類を入手し、ねつ造に及んだ可能性も十分にある。
③ 本件工場の北側出入口は、従業員以外の者も出入りできる状況であったから、捜査機関において、他の従業員に気付かれずに1号タンク内に5点の衣類を隠匿することも可能であり、5点の衣類の隠匿等に本件会社の従業員の協力が不可欠であったとはいえない。従業員の利害は本件会社の経済的利益と必ずしも一致するものではないから、本件会社に経済的打撃が生じることをもって、直ちにその従業員の協力を得ることが著しく困難であったともいい難く、従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性も否定できない。
④ 5点の衣類が発見された当時、被告人の自白の任意性が否定され、被告人が無罪となる可能性が否定できない状況にあり、被告人の自白と矛盾し、検察官の当初の立証方針に沿わないとしても、捜査機関が被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあった。
⑤ 昭和42年8月3 1日に5点の衣類が発見された後の吉村検察官による警察の捜査活動と連携した臨機応変かつ迅速な主張·立証活動を考慮すると、少なくとも吉村検察官にとって、被告人の自白と矛盾するような当初の立証方針の変更は、その立証活動に支障を来すほど影響はなかった。
この「5点の衣類のねつ造」の認定の基礎となっているのは、「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについての「断定的判断」である。弁護人請求の専門家証人のみならず、検察官請求の専門家証人の意見も踏まえて、その結論を導いている。
しかし、そもそも、「味噌漬け実験報告書」は、「5点の衣類」自体についての分析結果ではなく、類似した条件下での血痕の変色の経過の実験による類推と科学的な推論によるものであり、間接的なものに過ぎない。それを「捜査機関による組織的証拠ねつ造」という事実を認定する証拠とすることには、もともと限界がある。
「ねつ造は非現実的で実行不可能」との検察官の主張に対して行っている①~④の反論も、「ねつ造の可能性を完全に否定することはできない」という指摘にとどまるのであり、積極的にねつ造が行われたことの根拠になるものではない。
例えば、③の「味噌製造会社の従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性」について、「会社に無断で従業員が協力する可能性」を完全に否定することはできないことは再審判決の指摘のとおりかもしれない。
しかし、警察が従業員に、何物かを味噌タンクに隠匿したいので協力してほしいと協力を申し入れることになるが、そこには拒絶されるリスクもあるし、それが、後日発見され、袴田氏の刑事裁判で有罪の最大の証拠とされることになった場合、会社に無断で警察に協力した従業員の心理的葛藤は想像を絶するものになるであろう。
そのような証拠ねつ造工作を行うことのリスクは、警察にとって、重要殺人事件で検挙した被告人が無罪となることとは比較にならないほど大きい。
現実的な可能性としては、捜査機関による証拠ねつ造の可能性は極めて低いというのが常識的な見方であろう。
ねつ造その3(共布の端切れ)
「三つ目のねつ造」は、「5点の衣類」の衣類が袴田氏の着衣であったことの認定に関して、袴田氏の実家の捜索で押収したとされた「共布の端切れ」も、捜査機関によるねつ造と認定し、そこに検察官も関わっていると認定したことだ。それは、以下の理由による。
⑥ 5点の衣類の一つの「黒色ようズボン 1枚」(鉄紺色ズボン)は、黒色様とはされているものの、「味噌の水分、塩分などで濡れてやや固くなり、しわまみれ」とされているのに、袴田氏の実家の捜索で「共布の端切れ」を押収した経緯について警察官は、「黒色ようズボン」そのものと「同一生地同一色と認め」たと証言しており、同一生地同一色と判断したのは不合理である。捜査機関の者による持込みなどの方法によって、本件捜索以前に被告人の実家に持ち込まれた後に押収された事実を推認させる。
⑦ 吉村検察官は、昭和42年8月31日に1号タンクから発見された5点の衣類等について、5点の衣類と被告人を結び付ける端切れが押収された9月12日、本件捜索の立会人である袴田ともから事情を聴取した同月17日より前の9月11日に、立証趣旨を「被告人が本件を犯した際着用していた着衣であること」として証拠請求し、13日には、次回の公判期日を待つことなく犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した冒頭陳述の訂正まで行っている。具体的な証拠が乏しい状況で、5点の衣類が被告人の着衣と判断していたと認められ、被告人の実家から端切れが押収されることを本件捜索以前から知っていたことを推認させる。
再審判決は、吉村検察官が、「共布の端切れ」が袴田氏の実家から押収されることを、事前に知っていたと「推認」している。
その主たる理由は、吉村検察官が、5点の衣類と被告人を結び付ける「端切れ」が押収される前から、5点の衣類が犯行着衣であることを前提とする証拠請求、冒頭陳述の訂正等の公判対応を行っていることである。
確かに、「ズボンの共布」が実家から発見されれば、袴田氏の着衣であることの決定的な証拠になる。しかし、大量の血痕が付着した「5点の衣類」は、既に8月31日には味噌タンクの底から発見されているのである。それが犯行着衣である可能性が高いと考え、その時点から、それと被告人との結びつきを明らかにする補充捜査が開始されたはずであり、その結果、袴田氏の着衣と認める証拠が相当程度収集されていた可能性もある。
吉村検察官が「5点の衣類」を犯行着衣と判断して公判対応を行ったことが、それ程不合理なこととは思えないし、ましてや、それだけで、「証拠ねつ造に加担した検察官」と「推認」されるようなこととは思えない。
再審判決の「共布の端切れ」に吉村検察官が関わったかのような事実認定には疑問がある。
袴田氏の母親の供述調書と公判供述の信用性に関する検察官の主張
さらに、再審判決は、前記の「共布の端切れ」について、袴田氏の母親の袴田ともの捜査段階の供述と公判供述の関係について、公判廷では
「そういったものを私は一度も見ませんでした」
「警察官が引き出しの中にあったといって私の前へ見せました」
と端切れが本件捜索前から存在していた点につき記憶がない旨証言し、本件捜索以前から被告人の実家に端切れがあったか否かという点で公判での証言内容と食い違っていることについて、袴田ともの検察官調書に、本件捜索以前から端切れが存在していたかのような記載があることや、袴田ともが端切れの押収当日に「ズボントモキレ」と記載した任意提出書を提出していることは、自らの体験を自発的に供述したというよりも、想定外のものを警察官から発見されたと言われて混乱したまま、捜査機関から、消去法的に、寮から送り返された被告人の荷物の中に端切れがあったという状況で理詰めで供述させられたことを強く疑わせると述べた上、
検察官は、袴田ともが、検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述を した覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していることや、検察官調書に署名・押印していることをもって、その供述内容の信用性が高まるかのように主張する。
しかし、供述証拠の信用性は、他の証拠による裏付けや供述状況等を総合的に評 価して判断されるものである上、検察官が指摘する袴田ともの上記証言や供述調書の署名・押印は、作成の真正、すなわち、取調べにおける供述内容と供述調書の記載内容が一致していることを推認させるにすぎず、これらによって、内容の真正、すなわち、供述内容の真実性が直ちに裏付けられるものではない。検察官の上記主張は、任意性を確保しつつその裏付け捜査等によって十分な証拠の収集・把握に努めて供述を吟味するという、捜査機関が自ら規律する取調べの在るべき姿(犯罪捜査規範168条、173条(改正前の165条、170条)、検察の理念の4項、5項参照)にも反しかねない主張であって、採用できない。
と判示している。
前記の「3つのねつ造」についての事実認定は、すべて、袴田氏の確定判決に至るまでの50年前の警察や検察官の対応に関するものであるが、上記の供述調書の信用性に関する検察官の主張に対する判示は、現在行われている再審公判での検察官の対応の問題だ。
そこでの検察官の対応が「検察の理念」に反しかねないと批判されているのは、「検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述をした覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していること」「検察官調書に署名・押印していること」を供述内容の信用性が高まる事由として主張することである。
大阪地検特捜部の不祥事等を受けて、それまでの検察の「調書中心主義」が反省を迫られ、公判中心の立証が指向されていることは確かであり、そのような現在の刑事裁判において、上記のようなワンパターンのやり方で供述調書の信用性を主張するのは「時代錯誤」だという批判である。
「検察の理念」は、上記の検察不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の提言を受けて検察が策定したものである。それだけに、「検察の理念」に基づく判決の批判は、検察にとって極めて重いものであり、公判での立証活動全体にも影響を及ぼしかねない。
袴田弁護団にとっても受け入れがたい「再審判決の理由」
以上のとおり、再審判決が認めた「3つのねつ造」は、検察官にとって到底受け入れがたいもののように思える。
では、その再審判決が、これまで長年にわたって、冤罪との戦いを続けてきた弁護人たち、袴田弁護団にとって、手放しで喜べる内容であったかと言えば、決してそうではない。
袴田氏の再審の扉を開く契機となった村山決定が最も重視した「5点の衣類」についてのDNA鑑定(本田鑑定)の証拠価値を否定しただけでなく、「5点の衣類」が袴田氏の着衣ではないことについてのズボンのサイズ、血痕の付着状況などについての弁護人主張は、「味噌漬け実験報告書」以外はすべて排斥した。
そして、弁護人が、袴田氏が犯人ではなく、別に真犯人がいると主張する根拠としてきた、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする犯人像の主張、それに関連する事件発生直後からの警察の証拠ねつ造の主張など、袴田氏の犯人性を否定する主張は悉く排斥している。一方で、多くの事実について、「被告人が本件の犯人であることとの整合性」を認める判示を行っている。
現場の状況、凶器等の現場の遺留物についての判断から、袴田氏以外の犯人の可能性もあると述べる一方で、犯人像の中に袴田氏が含まれることは否定していないのである。
「5点の衣類」のねつ造の認定に関する再審判決の判示の「被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった」との表現からも、再審判決が認定した「捜査機関によるねつ造」は、弁護人が主張するように、真犯人がいることを認識しつつ、敢えて袴田氏を犯人に仕立て上げる、という「悪意」によるものではなく、袴田氏が犯人であると確信し、しかし、それを立証する証拠が十分ではないことから、「無罪判決によって真犯人を野に放ち、4人惨殺事件は迷宮入りする」という捜査機関にとって「最悪」の事態を回避するための「究極の選択」として行われた可能性を想定し、だからこそ、常識的には想定し難い「捜査機関による証拠ねつ造」も、本件に限っては想定できないものではないと判断したとも考えられる。
そのような「被告人が有罪であるとの捜査機関側の確信」についての再審裁判所の認識は、犯人像についての弁護人の主張を悉く否定し、「被告人が犯人であることと整合する」との表現を多用していることにも表れているように思える。
そのような再審判決の認定は、弁護団が「完全無罪」をめざし一貫して主張してきた「犯人像についての主張」「初動捜査における証拠ねつ造の主張」などに対して十分な反論になっているのだろうか。特に「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする弁護人の犯人像についての主張は、相応に説得力があるように思えるが、再審判決の判示が、そのような弁護団の根本的な疑問を解消するに十分なものであるようには思えない。
再審判決は、袴田氏は犯人ではなく、真犯人は別にいると一貫して「完全無罪」を主張してきた弁護人にとっても、容易に受け入れることができるものではないように思える。
再審判決に対して「検察の控訴断念」はあり得るのか
今回の再審判決の認定は、これまで弁護人が一貫して訴えてきた、「袴田氏は無実であり真犯人は別にいる」とする「実体的不正義」の主張のほとんどを排斥し、袴田氏を含む犯人像の想定は否定しない一方で、捜査機関側の「手続的不正義」を徹底して糾弾し、犯人性についての証拠の大半を排除し、それによって証拠が不十分であることを理由に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫いて袴田氏無罪を結論づけたものである。
「手続的不正義」についての捜査機関に対する糾弾には、人権を無視した拷問的取調べなど、捜査機関側にとって弁解の余地のないものもある一方で、刑事判決の事実認定として疑問な点も少なくない。
とりわけ、「5点の衣類」のねつ造の事実認定、確定審の一審を担当した吉村検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定は、検察としては許容し難いものであろう。
また、検察官調書が「実質的に捏造されたもの」との評価や再審公判での検察官の検察官調書の信用性に関する主張が「検察の理念」に反するとの批判も、検察にとっては相当異論があるところであろう。
再審判決に対して検察官が控訴せず確定した場合、刑事裁判で事実認定が行われた「3つのねつ造」について、捜査機関側に対して国家賠償請求が提起されることは避けられないし、捜査機関による組織的なねつ造について検証と事実解明が求められることも考えられる。また、「公判での主張が『検察の理念』に反する」との裁判所の指摘を受け入れたということになれば、今後の検察の公判立証への影響も大きなものとなる。
一方で、弁護人にとってみれば、これまで40年以上にわたって、再審で袴田氏の冤罪を晴らし、無実を明らかにする戦いを続けてきた活動を思えば、捜査機関のねつ造を認める一方で袴田氏の犯人性を否定する弁護人の主張は採用せず「疑わしきは被告人の利益に」との原則によって無罪とした今回の判決の理由には承服しがたい点も多いのではないかと思える。
弁護人は、無罪判決に対する控訴はできないが、もし、検察官が控訴を申立てた場合には、控訴答弁書においてどのような主張を行うべきか、困難な判断を迫られることになる。
筆者も、美濃加茂市長事件で一審無罪判決に対して、検察官が控訴を申立て、一審での検察官の主張とは異なる主張を行って一審無罪判決を批判してきた際、弁護人として、「一審無罪判決の擁護」と「控訴審での検察官主張への反論」のどちらを優先するのか苦悩した経験がある。
袴田弁護団としても、もし、検察官控訴で控訴審に対応することになった場合、一審無罪判決に対してどのような姿勢で臨むのか困難な状況に直面することになるかもしれない。
このように、検察の立場からは受け入れ難く、弁護人の立場からも、無罪の結論はともかく、理由は受け入れがたい再審判決だが、それでは、再審裁判所として、どのような審理を行い、どのような判断が行えたのか。
50年以上前の一家4人惨殺事件という、刑事事件として最も重大な死刑求刑事件の刑事裁判を、改めて刑訴法の規定に基づいて行うこと、それによって、証拠に基づく事実認定を行うこと自体が、極めて困難である。そもそも、犯人像についての疑問など、事件から58年経った現在において、証拠に基づく判断で解消されることなど考えられない。だからこそ、再審判決は「手続的正義」を全面に掲げて捜査機関を論難する方向に走らざるを得なかったと考えることができる。
しかし、そのような本件についての審理・判断の困難さは、検察官が控訴を申立てた場合に、控訴審を担当する裁判所にとって一層大きくなることは想像に難くない。そういう意味で、この事件の真相解明は、もはや刑訴法に基づく刑事裁判の範疇を超えているというべきであろう。
法務大臣指揮権による最終決着を
再審判決の「3つのねつ造」の認定と再審公判での主張に対する批判は、検察にとって受け入れ難いものであり、現行法の解釈・実務において、無罪判決に対する検察官控訴が許容されている以上、再審判決に対しては控訴を申立てる以外に選択肢はないように思える。
そして、検察官控訴が行われた場合、弁護人も、困難な判断に迫られることになり、控訴審は、簡単に「控訴棄却」で決着するとは考えらえない。相応の期間がかかることは覚悟せざるを得ないだろう。
しかし、一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容できない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。もし、高齢の二人のいずれかに万が一のことがあった場合には、検察批判の大炎上を招くことは必至だ。
上記述べたように、既に、刑訴法に基づく刑事裁判として解決する範疇を超えているように思えるこの「袴田事件」の最終決着のための唯一の方法は、法務大臣の指揮権(検察庁法14条但し書)によって、控訴申立を行わないように、もし控訴を申立てた場合には取下げるように、検事総長に対して指示することではないか。
法務大臣自身が、自らの責任において、明示的に14条但し書きの個別の事件の捜査・処分についての指揮権を行使することがあり得る。それが実際に行われたのが、造船疑獄における法務大臣の指揮権の行使であり、通常、「指揮権発動」というのは、このことを指している。
検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないから、どのような瑣末な事件でも、法務大臣が関心を持てば、検事総長を通じて捜査・処分に介入することは可能である。しかし、一般的な犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足り、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、介入することは、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになる。
しかし、例外的に、検察組織内部の決定だけに委ねておくことが適切ではない場合に、法務大臣が指揮権の行使について検討し、判断することが必要とされることもある。それは刑事事件の捜査・処分について、検察として判断を行うことが適切ではない場合である。
その典型例の一つが、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣と協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。
2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件で、船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認め、検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行った。
このような法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例においても、検察官の訴追裁量権の枠内で判断することを是とするような検察内部の考え方があり、そして、それを支持する世の中の論調がある。
しかし、今回の袴田事件の再審判決への対応は、事件から58年の間の刑事裁判、再審請求審の経過、袴田氏が34年にわたって確定死刑囚として、死刑を執行される以上の精神的苦痛を受け、その精神を病むところまで追い込まれていること、そして、確定審の認定に重大な疑問が生じ、再審開始が決定され、実際に再審公判が行われたものの、刑事裁判によって、この事件が解決されるどころか、判決の内容を見る限り、再審判決で確定させることは、刑事司法の枠内で考える限り困難であることなどから考えると、「刑事司法の枠を超えた法務大臣の責任による判断」として、控訴を行わないように、或いは取り下げるように検事総長を指揮することで、本件の最終決着を図るべき事案である。
検察官による事実誤認を理由とする控訴は、英米法の諸国においては「二重の危険の禁止」の法理の下に禁止され、また大陸法の諸国においても、参審制等により国民の司法参加が認められていること、控訴審の機能は誤判救済にあると位置付けられていることなどから、多くの国で禁止されている。我が国においても、憲法第39条において「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されているのを「二重の危険の禁止」の法理であると解する見解が有力であり、検察官による上訴は憲法違反の疑いがある。
無罪判決に対する検察官控訴に対しては、そのような憲法上の疑義があることをも考慮すれば、この袴田事件の無罪判決についての検察官への不控訴の指示は、憲法の趣旨にも沿うものとの見方も可能である。
指揮を受けた検事総長は、「再審判決の事実認定は承服しがたいものであるが、検察庁法に基づく法務大臣の指揮を受けたので、それに従う」と述べて不控訴で事件を決着させることになる。
その場合、この事件の過程で問題になった再審の在り方についての問題の指摘、検察の公判対応への批判などは、すべて法務大臣自身が受け止めて、この事件での著しい審理の長期化を招いた再審に関する法整備、無罪判決に対する検察官控訴の是非の検討などを、その責任において、今後の対応を行うということになるであろう。
長年、袴田氏の冤罪救済の活動に懸命に取り組んできた弁護団、与えられた刑訴法の権限に基づき、再審請求審、再審への対応を行ってきた検察官、そして、50年以上も過去の事件について証拠による事実認定という極めて困難な審理判断を行う裁判所、もう十分にその使命は果たしてきた。
袴田巌氏と姉のひで子氏を刑事裁判から解放し、静かな余生を送ってもらうため、ここで「ノーサイド」の笛を吹くことができるのは法務大臣しかいない。