パレスチナ自治区ガザを実質支配するイスラム過激テロ組織「ハマス」がイスラム領土に武装侵入し、1200人以上のユダヤ人を殺害、251人余りを拉致した「10・7奇襲テロ事件」から7日で一年目を迎えた。同テロ事件を契機に報復攻撃に出たイスラエル軍はハマスとの間でガザ戦闘を展開し、両者に多数の犠牲者が出ている。パエスチナ保健当局によると、ガザ戦闘で約4万2000人が犠牲となった。ここにきてイランに軍事支援を受けたレバノンのシーア派武装組織「ヒズボラ」とイスラエルの間で本格的な戦闘が始まった。同時に、ヒズボラの最高指導者ナスララ師の暗殺への報復攻撃に出たイランに対し、イスラエルも報復を宣言するなど、「攻撃」と「報復」のサイクルで戦闘は拡散する様相を深めてきている。
ユダヤ人作家で歴史家のドロン・ラビノヴィチ氏はオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「10・7はイスラエル国民にとってトラウマとなっている。国民はこれからはショアのようなことは二度と起きないといった安全意識があったが、10・7の奇襲テロでそれが吹っ飛んでしまった」という。イスラエル国内では人質解放を要求する国民が連日、ネタニヤフ首相にハマスとの人質釈放交渉を要求するなど、国内情勢は混とんとしている。一方、ガザ戦闘での激しい軍事攻勢に対し、国際社会から批判を受けているネタニヤフ首相は、「ハマスの壊滅」、そして「ヒズボラの弱体化」を目標に軍事攻勢を続けているが、戦後秩序の計画が描かれない状況にある。ラビノヴィチ氏は「(このままでは)イスラエルは戦闘に勝利できるが、何も得ることができない」と予想しているほどだ。
ところで、ハマスの奇襲テロ後、欧州全土で反ユダヤ主義的言動が拡散してきた。グラーツ大学のユダヤ学センターの教授であり、オーストリア科学アカデミー(OAW)の反ユダヤ主義研究グループのリーダーであるゲラルド・ランプレヒト教授は「10月7日のハマスの奇襲テロが触媒として働いた。事件の数だけでなく内容の深刻さも増している。同時に、反イスラム的な人種差別も急増し、社会的・政治的な議論が大幅に激化している」と述べている。
反ユダヤ主義の報告機関の年次報告によると、ハマスの攻撃以降、報告された反ユダヤ主義的な事件の数は5倍に急増。2023年10月7日までオーストリアでは1日平均1.55件の事件が報告されていたが、それ以降は8.31件に増加した。昨年報告された事件の総数は1147件で、その内容は侮辱、建物の壁への落書き、中央墓地のユダヤ人地区にある式典ホールへの放火など多岐にわたる。一方、反イスラム主義やイスラムフォビアも増え、昨年1522件のイスラム教徒への人種差別的攻撃を記録した。これは2015年に記録が開始されて以来、最高の数字だ。
ランプレヒト教授によると、イスラエルの行動に対する批判が必ずしも反ユダヤ主義ではないが、非常に頻繁にそうであるという。同教授は反ユダヤ主義を定義するための基準として、①イスラエル国家の正当性が否定され、その存在権が否定された場合、②イスラエルを悪魔化し、イスラエルが唯一の責任者であり、絶対的な「悪」として描かれる時、③イスラエルに対して他国では容認されることが認められない場合だ。例えば、イスラエルの自衛権が認められない場合がそれに該当するという。
ドイツのユダヤ人中央評議会ヨーゼフ・シュスター会長は「10月7日は世界的に反ユダヤ主義を引き起こす触媒として作用した。ハマスによるテロ攻撃の後に示されたイスラエルへの連帯は、すぐに崩れ始めた」と指摘している。同会長は4日、南ドイツ新聞に対し「ハマスの攻撃後、イスラエル政府の政策への批判が、迅速にヨーロッパのユダヤ人全体に向けられた。これは非常に憂慮すべき事態だ」と述べている。
また、カトリックのドイツ司教会議の議長であるゲオルク・ベッツィング司教と、ドイツ福音教会の評議会議長であるキルステン・フェアス司教は4日、ハマスのテロ攻撃の1周年を迎え、中東の現状について共同声明を発表した。声明では「10月7日のテロ攻撃は、イスラエルの国民と国家の安全に対する前例のない攻撃であり、その結果イスラエルは自衛権を行使し、断固たる対応を行った」と、イスラエル側の立場を擁護する一方、「イスラエルの軍事的対応とガザ地区での戦闘が、数万人のパレスチナ民間人の命を奪った事実を無視することはできない。パレスチナ側の人道的な悲劇もまた深刻であり、私たちは大量の死、テロリズム、そして暴力に甘んじるわけにはいかない」と警告した。
ちなみに、2013年11月、ウィーンで開催された「グローバル・フォーラム」に参加した米ユダヤ教宗派間対話促進委員会事務局長のラビ、デヴィト・ローゼン師(David Rosen)に欧州で広がる反ユダヤ主義の背景などについて聞いたことがある。10・7テロ事件の10年前のことだ。ローゼン師は「反ユダヤ主義は人類歴史の中に彷徨っている耐性化ウィルスだ。そのウィルスのルーツは何か。多くの原因が考えられるが、主因は人間がスケープゴート(贖罪の山羊、生贄)を必要としている存在だということだ。何が悪い事が生じると、誰かをその原因として非難する。そしてユダヤ人は伝統的にスケープゴート役を担ってきた」と述べたのを今でも記憶する。時代が閉鎖的で未来への展望が見いだせない時代、10・7のハマスの奇襲テロが起きると、世界的に反ユダヤ主義が急速に拡散していくのを、私たちは今、目撃しているわけだ。
なお、ネタニヤフ首相は5日、国民に向けて声明を発表している。同首相はイスラエルへの武器支援を停止すべきだというフランスのマクロン大統領らに対し、「なんと恥ずべきことだ。イスラエルは彼らの支援の有無にかかわらず勝利するだろう。しかし彼らの恥は、戦争が終わった後も長く続くだろう。安心してください、イスラエルは私たちのため、そして世界の平和と安全のために、勝利するまで戦う」と述べている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。