いやー、なんか、「石破総理大臣」誕生ってなんか世界が激変したような感じですね。
ここ一ヶ月ぐらい久々に出す新刊本の執筆に脳のリソースを取られすぎていて、SNSもほとんど更新しなかったし、総裁選のニュースも横目で見てるだけだったんで、突然の「次は石破」報道には急に頭をガーンと殴られたようなショックがありました。しばらく頭がついてこなかったです。
でもx(Twitter)で知らない人が『自民総裁選でアベ政治が終わり、立民代表戦で反アベ政治が終わった』と言っていて、これは名言だなと(笑)
実は立民の方も代表選挙が行われていて、それで候補者のうち野田・(あと枝野も?)は安保法制容認に転換したんですね。結果として野田さんになったのでそれが党方針になったはず。
これ↑、地味に「石破首相誕生」に勝るとも劣らないぐらい衝撃的なことじゃないですか?
(後日追記なんですが、厳密には「安保法制容認」とまでは言えず、色々と候補者によってニュアンスの違いがあるそうです。一方で多くの候補者間では日米同盟重視の姿勢は明らかに共通して明確化されていて、その上で細部で言いたいことがあるというトーンになっているのは、”安倍政権時代”から比べれば全く違った情勢になったことは確かだと思います)
なんせ、
「安保法制を整備して、”自由で開かれたインド太平洋”作戦で対中包囲網を作り、習近平にはプーチンみたいなことはさせない」
…という一点のために(結果として欧州で戦争はおきたがアジアでは起きてない)、
「安倍政権の色々な強引さとそれゆえのある部分での傲慢さ」
…と、それに対する
リベラル勢力の(理性的なものも狂気的なものも含めた)全力の抵抗
…みたいな
『安倍時代の基本風景』
…はあったので。
安倍政権が終わってもう四年、安倍晋三氏が亡くなってからもう二年、「アベ」も「反アベ」もやっと終焉し、その「次」が見えてきたのだ、といえるのかも。
さっき引用したx(Twitter)の人は、あのポストに続けて「政権交代可能な、理想的な二大政党制の入口に我々は立つことができました」と言ってましたが(まあそこまで行けるかどうかはこれからの野党議員次第ですが)、全体として、私が10年前に出した本(をまとめた二ヶ月前のYouTube動画)の『予言』の通りに推移してきていると言えるのかも?
↓『最初の10分』だけでいいので見ると、ものすごく「日本の政治に対する解像度が急激に上がった!」と色んな人に言われていますので、お時間ある時にぜひ。(チャンネル登録もお願いしますw)
■
というわけで、今回は、
・経済・金融
・外交・安全保障
のそれぞれにおいて、「安倍時代が終わる」というのはどういう事なのか?石破時代の日本はどこに向かいつつあるのか?について考察する記事を書きます。
1. 『石破ショック』は大恐慌につながるか?
まず、ある種のネオリベ人間の一部からは「もう石破になって日本経済は終わった」みたいな雰囲気流れてましたけど、まあ今後次第ですけどそこまでではないと思うんですよね。
一気に数円も円高になったのは、昨今円安でこれだけ苦しんでいたのでそれ自体歓迎すべきことと考える人が多いでしょうし(といってもまだ140円台なんで、数年前から考えるとものすごい円安ですしね)、一方で株価の方も・・・
今日も『急落!市場の洗礼!』みたいなニュース流れてましたけど、以下を見たらわかるように、27日の総裁選の数日前から「高市新総理来るか?」という思惑で急激に上げた分が戻ってきてるだけで、「石破ショック」というのは早いと思います。(スクショ撮ったのが昼なんでこれよりもう少し落ちましたが大勢は変わってません)
もちろん、今後はわかりませんが…
ただ、一部の左翼系論者が資本主義的なものをすべて憎むがゆえに「金融市場関係者ができるだけ困ることをやってやれ!それが正しい民主主義なのだ!」みたいな悪霊に取り憑かれてるのを時々見ますが、石破氏はそういう感じでもなさそうですよね。
総裁選当選後のニュース番組で色々と聞かれて、
・「”貯蓄から投資へ”は大事だ。そこに水を指すことはしない」
・「金融緩和路線を完全に転換することは考えていない」
…みたいな事を言っていたので、とにかく何が何でも日銀に大号令をかけて金利を上げまくれ!そして金持ちには当然増税だ!…みたいな話ではなさそうです。
保守派の一部では石破茂は心底嫌われてるので、「こいつは安倍さんへの恨みだけで動いてる人間だから、アベノミクスを否定するためにはなんでもやるだろう」みたいな事を言われてるのを見ましたが、どうやらそういう感じじゃないのは安心できそうですね。
「金融関係者」といっても色々いて、「変動金利でタワマン買ってて大変なんです」とか「株買って損したじゃないかどうしてくれる」みたいなのは心底「自己責任って言葉知ってましたかね」案件なので別として、特に日本国債関連のガチの金融関連担当者からは、結構石破新総裁でホッとしたというような意見が出ているのを聞きました。
イギリスの「トラスショック」ってありましたけど、ああいうのを心配する声も結構あった。国内世論として「すべて財務省が悪い」という事にし続ける風潮自体に限界が来つつあるのを、色んな人がすでに肌で感じているところがあると思います。
だからといって急激に金融も財政も緊縮化しろ!という風になられたらもっと困るわけですが、
・考えなしにいきなり全力でアクセル踏んだりしない
・考えなしにいきなり全力でブレーキ踏んだりしない
現時点での石破はこういうこと↑を言っているにすぎないところがあると思います。
そしてそれは、単に株価とかいう意味でも長期的には意味がある事なんじゃないかという風に、総裁選後数日たってやっと私はある程度ポジティブに受け止められるようになってきました。
2. ”健全な株価上昇”に必要な仕切り直しができるかが問われている
なんせ、株価だけあがって国民が心底の怨嗟の声をあげているような状況はサステナブルじゃないですからね。
「株価が上がる要因」も、日本企業の新陳代謝が進んでどんどん海外市場に進出して目が覚めるような活躍をして…ってアメリカのテック株みたいな理由で上がるんならいいですけど、昭和時代からの既得権益で確保したキャッシュを賃上げに使わないで自社株買いに使って…とかで株価上がっても仕方ない。
ベンチャー関連でも、数日前にある若手ベンチャー経営者が書いた、「日本のベンチャーは一塁打ばっかじゃなくてちゃんとホームラン狙えよ!」っていう檄文みたいなのが出回ってましたが…
日本の「ベンチャー」に、いわゆる「小粒な上場ゴール」で創業者界隈だけ小金持ちになるけどその先何のイノベーションもない…みたいなのが多いというのは、ベンチャー界隈ですら言ってる人が沢山いる情勢だったんで、上記noteは批判されてる上の世代のベンチャー界隈の人からもまあまあ好意的に受け止められているのを見ました。
小泉進次郎が『起業応援税制』を提案してて、それに対してベンチャー界隈でも「さすがにモラルハザードでは?」って言ってる人いましたが、アレもコレも色々と「優遇」された状況で、そこから出てくる『イノベーション』とやらが「交通規制を謎のパワーで緩和して電動キックボードを普及させます」とかだと!
本当にGoogleや、せめてネットフリックスぐらいの存在を作ってくれるなら「優遇」する価値もあるけどね…みたいに徐々に思われているところがあるかもしれません(笑)
逆に今後は、むしろそういう「既存社会をぶっ壊す新しい発想!」とかよりも、今後の日本ではむしろ大企業と連携して物流2025問題を解決するための自動運転技術の普及…みたいな形で、「ちゃんと日本社会と噛み合った」形でのイノベーションの追求がトレンドになってくるんじゃないかと私は感じてます。
あと、海外のITが「インテリ主導で現場レベルの人間をどんどん排除する」構造になりがちなのに対して、日本のITは「現場レベルの人がスマホゲーム感覚で使える」形を追求することに可能性があるんじゃないか?って私はクライアントの経営者といつも話していてですね…
さっき紹介した若手ベンチャー経営者の会社はダイニーっていうんですけど、「まさにそういうスタイル」で成功しかかっててめっちゃ期待してます。
もうほんと「ガチの外食産業の現場レベル」まで浸透させるアプリを東大中退のインテリが必死にやってて、それに対してグローバルでめちゃ有名なベンチャーキャピタルが巨額投資して・・・というのはすごい新しい時代を感じました。
ちょっとこのベンチャーすごいな、と思ってて色々言いたいことがあるんですが、石破さんの話からは外れるので、以下に別記事で思ったことを書くのでぜひこっちも読んでみてください。
とにかく、
・「株価を上げるためには何でもする!」
…も駄目だし、
・「株価なんか知るか!人民が大事なんだ。むしろ日経平均が3分の1になって金持ちが困ったりしたらスカッとするぜ!」
…になられても困るという『当たり前の話』があるじゃないですか。
石破時代が本当に意味があるものになるには、そこの「当たり前の話」をちゃんとやる流れになる事が大事だと思います。
3. 「極論を超えたコミュニケーションを生み出せるか?」
なんだかんだ、「直近の自分の金銭的利益」以上の視点で見ている人の中では、石破総理をそこまで嫌がってない感じもあるように思うんですね。
たとえばSNSで「俺の株下がったじゃないかどうしてくれる」って騒いでる「普段は”自己責任だろ?”が信条のネオリベ投資家サマ」の影で、案外ガチの金融専門家で日本版トラスショックを恐れていた層などはまあまあポジティブに感じていたりした。
進次郎の「起業家応援税制」みたいなのも、さすがにやりすぎでは?という声がベンチャー界隈からも聞こえていて、むしろ「日本のベンチャーちゃんとホームラン狙えよ!上場ゴールして創業者だけ金持ちになってパパ活して終わりになってんじゃねえ」みたいな記事がめっちゃバズっていたりして。
「ただ直近で株価を上げるためなら円安になってもいい」というのは、国民生活の基礎を掘り崩して、タワマン買った小金持ちの資産額の増減に国家の政治が全振りしているようなものなので、そういうのはサステナブルじゃないですよね。
かといって、「株価が3分の1になったら金持ちが損して爽快だなあ!それこそが人民の勝利なのだ!」みたいな狂気に飲み込まれたらオシマイですけどね。
だからこそ、「アベノミクスのやり過ぎ部分を丁寧に見直して、もう一度色々な立場の日本人の相互信頼を温め直す」ことができるのは、長期的に見れば株価にもプラスだと思います。
4●結局アベノミクスとは何だったのか
これはいつも言ってる話ですけど、アベノミクスというのは(というかありとあらゆる経済政策は)「功罪両面」あるわけですよね。
以下の記事にも書いたように…
アベノミクスを批判する人がよく言うような、こういうグラフ(以下は立民の政策パンフから)の視点と…
アベノミクスを肯定する側から見た以下のような視点は…
片方だけが真実で片方が嘘なのではなくて、「同じ現象を逆側から見た」現象にすぎない。
ざっくりと言うと、民主党政権末期に円高になりすぎて産業空洞化が懸念されていたところ、アベノミクスは円安に誘導するようなことをやって、とりあえず国全体で「安売りしてでも仕事を取ってくる」状態にしたことでみんな忙しく働けるようにした…みたいな因果関係があるので。
・“雇用の量”的な面で言えば圧倒的に改善している
・“雇用の質”的な面で言えばかなり厳しい状況に追い込まれた
…というかたちになるのは表裏一体のどちらも真実な現象としてある。つまり「どちらも嘘を言っているわけではない」のです。
で、民主党政権末期の日本に、「超円高を乗り越えられるようなビジョン」があったかっていうと…まあなかったですよね(これは別に民主党の政治家の責任とは言えない国民全体の課題だと思います)。
「実質賃金を下げたくない」「自分を安売りしたくない」で行くなら、徹底的に高度研究投資に金を使いまくって「最先端技術競争」をすることが必要ですが、当時の民主党がやってたのはむしろ「二位じゃダメなんですか?by蓮舫さん」系統の話だったんで…
だから、「円高でも戦える産業を構想する能力」が当時の日本にはなかったんだから、しばらく「安売りしてでも自分たちを売り込む経済にしよう」という方向に行った事自体は誰も否定できない必然としてあったと言えるはず。
それは「国民の総意」みたいなものなんで、否定しても仕方ないんですよね。
なぜなら、あの時の「民主党時代」の流れのままでただ突き進めば、アメリカが「ラストベルト(錆びついた製造業地帯)」と呼ばれるようなゾーンを国内に多く抱えて、政治的に強烈な不安定さの原因になってしまったような状況になっていたことはほぼ疑いないからです。
「日本版ラストベルト」があちこちにできて、社会がもっと殺伐として街には薬物中毒者が溢れてる状況と(しかもその上でアメリカみたいに高度産業を伸ばすことができない可能性もあった)、「今のなんとなく安定はしてる日本」と、どっちが「今後の可能性」が開けているか?という話を考えてみるべきなのだと思います。
5. 「平成時代の呑気さ」は国民の望みだった。これからの変化の時代も同じ。
その「平成時代のまどろみ」みたいなのは、「とにかく個人の力を全開にして徹底的に活躍したい」人には息苦しい時代だったかと思います。
でも「平成時代の呑気さ」を懐かしんでる国民は結構いる体感はあるんですよね。
私は経営コンサル業のかたわら趣味で色んな人と「文通」しながら人生について考えるという仕事もしていて(ご興味があればこちら)、そのクライアントには20代から上は70代まで老若男女いるんですが…
ある30代の「平成時代が青春だった」という男性が言ってた以下のような話がすごい印象的でした。
(生まれてこのかたずっと不況不況って言われ続けてきたけど)「どんどん便利に、どんどん安く、どんどん痒いところに手が届くように」なるという形で、俺が生きてきた平成時代にも「豊かさ」は右肩上がりに進行していた、という感覚があります。
多分「平成時代に生まれ育った」という人は、結構これ↑と似たような感覚を持ってる人も多いんじゃないかと思います。
「デフレ」時代は消費者には悪いことじゃないですからね。
たとえそれが「昭和の経済大国の遺産を食い延ばす」ような行為だったとしても、それによって「国民の絆」を必死に守り、「一部の金持ちだけじゃなく”みんな”が一緒にいられるように」頑張ってきた”日本人の集合的無意識”の真心がそこにはあった、みたいな面はあると思います。
それがコロナ後ぐらいからちょっと崩れてきて、円安でさらに崩れてきて…
岸田政権の低支持率は岸田が悪いというより、この「日本国民の集合的無意識の望み」に対して、アベノミクス方式ではもう応えきれなくなってきた事の現れだったと言えるはず。
その先では、ある種の「当たり前の市場主義」をちゃんとやって経済を強くしていきつつ、「協力し合って日本社会を作っているのだ」という幻想の絆が破壊されてしまわないような、そういうチャレンジがこれから求められていると言えるでしょう。
6. 『安保・外交面』における安倍時代の終わりとは?
結構長くなってきましたが、次に「安保・外交面」における安倍時代の終わりという話をしたいんですが…
この記事冒頭でも書いたけど、「立民が安保法制容認になった」っていうのは本当にド直球ストレートで「安倍時代終わったなあ!」って感じありますよね。
僕はこの点においてはリベラル勢力に対して強い怒りがあって、自民党に対して「そんな戦争がしたいのか」とか言うのって、ディープステート陰謀論ぐらい無茶苦茶なこと言ってるのに、左派政治家や左派メディアじゃ当たり前のように大騒ぎしててほんと何考えてるんだ!と思ってました。
そりゃ安倍政権は国会でテキトーな答弁したり色々ゴリ押しなことをしてたかもしれないが、「戦争になるよりマシじゃん」というのが僕の正直な感想だったんで。
人類の歴史の中で「覇権国家」に対して「次のチャレンジャー」が拮抗するぐらいのパワーを持つようになったら戦争になる…っていうのは「ほぼ避けられない」ぐらいのルールみたいなものなんで、中国のGDP総額が近いうちにアメリカを超えるかも?という状況になったら情勢が緊迫するのは当然すぎるほど当然の現象としてあった。
それを「自民党のせい」と考えるのは、よくSNSでネタにされてる
安倍晋三『やれ』
習近平・トランプ(バイデン)・金正恩『はい』
…みたいな世界観じゃないですか。
こういうリベラル勢力の暴走が悲劇を招かないために安倍時代の”高圧姿勢”があったとして、それを自民党側だけの落ち度にするのはものすごいアンフェアなことだと私は思います。
なんでこうなるか?っていうと、要するに戦争の反省を本当にはしてないからなんですよね。
当時の「煽りまくったメディア、突き上げまくった国民」には罪が全くなくて、「軍」とかいう「私たち完全な善人とは一切関係がない絶対悪」がどこかから何の意味もなくやってきて悲劇を起こしたと考えてるからこうなってしまう。
普通に戦争に突入した経緯を考えると、以下みたいなことは「ヤバいからやめろ」っていう学びを普通に得ているはずなんですよね。
・英米秩序がムカつくからといってそれに挑戦する新興のコワモテ二番手と結ぶべきだと言い始める(昔はドイツ、今は中国)
・国際的事情からの妥協に対して「弱腰だ!」と激怒して徹底的に政府を突き上げる (昔は軍縮条約とかその他、今は基地問題とかその他)
両方とも、平和な時ならいいけど国際的な勢力バランスがデリケートな時期に暴走したら、ドミノ倒し的に火種が膨らんで「まじでヤバい」案件ですよね。
そこで「自民党はそんな戦争がしたいのか!」とか吠えまくってるのはほんと、先の戦争の失敗をまじで反省していただきたい『狂気』だったと言えるでしょう。
「反省する」っていうのは「自分たちは何も悪くないけど日本政府とかいう極悪人が無理やりやってきて」とかいう責任転嫁をすることじゃないんですよ。
安倍時代の外交安保問題は、そういう「狂気」vs.「現実主義」の戦いだったと言えます。
7●「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと…」
とはいえ!この狂気の分断もそろそろ終わりですよね。
プーチンの暴走があって実際に悲惨な戦争が続いている今となっては、「軍事バランスをちゃんと保ってちょっとした出来心で火がつかないようにする」のって大事だよね、というのは知れ渡ったからというのもあります。
結果として、最大野党の立民も安保法制容認に転換したし、安倍氏が相当に無理して作り上げた地球全体規模の同盟関係による「対中軍事的拮抗策」は揺るぎなく国際社会の基礎となった。
で、この「平和を守るための国際的な必死の取り組み」に対して日本が真剣に参加する流れが確実に盤石になればなるほど、むしろ
・無駄に中国人個人を蔑視したり攻撃的な意見を煽るのは良くない
・米軍基地問題の負担軽減を行ったり、日米地位協定の見直しをしたりすべき
…といった事をちゃんと政治的にアジェンダに載せることも可能になってくる。
なんか石破氏は安全保障専門家が引いちゃうぐらい独自に安全保障について考えまくってる人らしく、そこもまあ「独自理論」すぎてリスクはあるけど、丁寧に専門家との議論が進むなら悪いことではないと思います。
実際、日米地位協定の見直しもするとか言ってたみたいですし、「反アベの狂気」が終わることで、「安倍時代はできなかったこと」も一歩ずつ進められる情勢になっていくといいですね。
まとめ
いやほんと、石破新総裁!ニュースには「すごい激変」を感じて、これからどうなるんだ!ってめっちゃ不安になってましたけど、数日たってみると「まあ悪くないかも」ぐらいの気持ちは個人的には湧いてきました。
岸田氏は「黙々と大事な決断をする」のは得意だったけど、国民がちゃんと「話を聞いてもらえてる」と感じるタイプの人ではなかったので。
石破になって、ニュースでの振る舞いとかが「ちゃんと民主主義国家のリーダーとして当然の話し方をしている!」って騒いでるリベラル側の人が結構いましたけど(笑)
僕個人も反省を込めていうんですが、「結局いつまでに何が実現するかが大事だろ」って強く思うタイプは、石破さんみたいな語り方の事を心底バカバカしいものと思いがちですよね。
でも、ああやって「ちゃんと話を受け止めてる感」みたいなものが出せる人を求めている世論は明らかにあって、それが高支持率に繋がっている面はあると思います。
そしてそれは、「アベノミクスの否定」「安倍時代外交の否定」というよりは、
「あと一歩双方向的に意見を出し合える環境を作らないと日本はさらに前には進めないという危機感」
…なのだ、というように理解すると良いのだと思います。
アメリカみたいに国民の半分が残りの国民半分を死ぬほど憎悪してるみたいな国になっていいのか?という瀬戸際で、そうならないために選ばれたのが石破茂ということなんじゃないでしょうか。
総裁選前の決選投票直前の、石破茂の演説がすごい良かった!って言ってる人は、まあまあネオリベ寄りの人にもチラホラいたんですが、以下の部分とかすごい印象的でしたよね。
(60年前の初出馬の時に夏祭りに行った話から)
今ほど豊かではなかったけれど、そこには大勢の人の笑顔がありました。今ほど豊かではなかったかもしれないが、そこでは大勢の人が幸せそうにしていました。もう一度そういう日本を取り戻したいと思っています。互いが悪口を言い合ったり、足をひっぱったりするのではなく、ともに助け合い、悲しい思いをする人苦しい思いでいる人、そういう人たちを助け合うように、そういう日本にしてまいりたいと思っております。
これ、「三丁目の夕日」かよ!って感じですが、別にこれは「貧乏になってもいいじゃないか」的な「脱成長論」を言ってるんじゃないと思うんですね。
ただ、さっき僕の文通の仕事で繋がってる30代男性が言ってた「平成時代の気楽さ」っていうのは、なんだかんだこの「三丁目の夕日感」を維持できていたところがあったはずですよね。
そして今後も必要な経済的転換はしていくとしても、この「日本人の相互信頼感」が基礎ごと崩壊してしまったら、おそらく日本という国の「強み」にあたるものはほぼ全て雲散霧消してしまって、余計に経済成長どころではなくなってしまうのではないか?という危機感には、ある程度頷けるものがある人が多いはずです。
さっきも言ったけど、「ガチの金融関係者」とか「ガチのベンチャー起業家」とかは、「アベノミクス路線が徐々に転換されること」に対してそこまでネガティブじゃないところがある。
「そこに新しい協力関係を作っていけるか」が、石破茂を選んだ日本の今後を意味あるものにできるかどうかの分水嶺となっていくでしょう。
10年以上続いた「アベvs反アベ」の不毛な争いを超えて、ノーサイドに新しい「眼の前の課題に向き合える国」にしていければいいですね!
■
長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。
ここからは、高市さん関連で再度紛糾していた「靖国神社」問題について掘り下げたいと思っています。
靖国神社関連の発言をすれば絶対に紛糾するのはわかりきっていて、高市さんにとってあの発言は短期的にトクしたか損したかという話でいえば明らかに損していたと思います。
(なんか、高市さんは前回出馬した「vs岸田」の時はかなりリベラル層からも一目置かれてた記憶がある「バランス感覚と政策の細部への理解のある人」という印象だったのに、今回はものすごく雑な発言が多くて危なっかしかったですね。ある種の能力は高い人だしまだ比較的若いので、依然”初の女性首相”に最も近い位置にいる人だと思いますし、最右翼層との距離感を見直して長期戦を戦ってくれたらと思っています)
ただ、靖国神社みたいな問題は短期的に「損とかトクとか」で考えるべきではない、という意思が彼らにはあるんだと思いますし、それはなかなか否定できるものでもないなと思うんですよね。
というのは、「欧米が人類社会のほんの一部に転落していく時代にそれでも欧米的理想を広く共有する」ためには、「欧米に征服”された”側の”意地”や”メンツ”の部分がいかに否定されないストーリーテリングができるか」がものすごく重要になってくるからです。
ただしこれは旧軍はどこ行っても品行方正だったと言い張るとか、アジアの人に「自分たちのお陰で独立できましたよね感謝してください」と言って回るという話とは全然違うんですよ。
そうじゃなくてもっと本質的な意味で、例えば古事記とか日本書紀みたいな世界で、「征服された側がもともと祀っていた神々が、なんかヤマト王権の親戚みたいなものにされていく」みたいなプロセス(笑)が必要なんですね。
「あらゆる民族に共通の欧米的理想を受け入れてもらう」時に、「その理想に反対しているわけじゃないがこっちにも意地ってもんがある」みたいなゾーンの感情をいかに内側に取り込めるかがものすごい重要な時代になってきてるんですよ。
そしてそういう部分は、日本人にも韓国人にもベトナム人にも・・・ととにかくあらゆる民族が持っている。
たとえば左翼的な韓国人が、北朝鮮との融和姿勢を「反政府的な立場の人をマシンガンで銃殺するような、あんな非人間的な独裁国家に対して少しでも情をかけるなんて、人権を理解しない劣等民族と言われてもしかたないんじゃないですか」とか言われたら、やはりカチンと来ると思うんですよね。
「単一の正しさ」だけですべてを語れると思うなよ!ってなるでしょう。
そういう感じで、「絶対善としての欧米秩序とその”敵”」みたいな世界観が隠し持つ帝国主義性がサステナブルでなくなっていく時代に、それでも欧米的な理想とシステムが吹き飛んでしまわないためには、「被征服者側の意地」をいかに取り込めるかが重要になってくるんですよ。
そのプロセスの中には、南北分断された韓国人の無念や、今の「対中包囲網」を不満に思う中国人の思いも、そして靖国神社のような論争的な存在に眠る「日本人の立場から見た意地」のようなものもいかに「(文学理論で言う)ポリフォニー的なストーリー」の中に吸収していけるかどうか?というチャレンジが必要になる。
その時代になってくれば、むしろ靖国神社は「今の形」とは違うストーリーではあれ、国際的にちゃんと提示できる「日本の自己像」の中に昇華できるようになるので、今の間は紛糾しておくしかない…という感じなんですよね。
それが生まれるまでは、まあ「わかりあえない事が当然」であり、「今はわかりあえない」ことによってのみ、将来本当の意味で「わかりあえる」道も開けてくるのだ、という話なわけですね。
もちろん、日本の旧軍が行く先々で決して品行方正でなく色々悲劇を巻き起こしてしまった事が忘れがちなのだ、という意見も消えないように主張し続ける人たちも必要ですが、それが広く安定的に受容されるようになるには、人類史全体に対するもっと広く深い見方で「あらゆる存在の意地がポリフォニー的に吸い上げられる」ようになることが必要だということですね。
そのあたりで、「靖国問題」みたいなものをどう捉えかえし、そしてその先であの「かなり右翼的な人でもちょっと問題では?と感じる遊就館の展示」をどう変えていくべきなのか?みたいな話についても考察します。
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。