公共と国営の間で揺れるNHK

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「尖閣諸島は中国のものだ!」

NHK関連会社の中国籍契約スタッフが、生放送中にそう発言したという事件。その余波が未だ収まらない。

元NHK職員として心穏やかでいられないし、本件で引責辞任した当時の国際担当理事・傍田賢治氏は昭和61年入局の私の同期でもある。同じく同期で、女性初の専務理事として話題になった林理恵氏も別の事件で理事を辞めているので、この年の入局組は受難の世代なのかもしれない。それが証拠に、現在のNHK役員リストの入局年次を見ると、昭和61年だけがスッポリと抜けている。

学生時代に交換留学の経験があった傍田氏は、入局当時から目立つ国際派だった。事実、中堅職員となった彼はBS海外ニュース番組のキャスターとして活躍するなど、その能力を十分に発揮していたように私には見えた。その彼が、事件による辞任から時をおかずしてNHKにプロデューサーとして再雇用されたことで、多方面に波紋を広げている。事件はさらに複雑になり、私の心も複雑だ。

いっそう問題なのは、個人への誹謗中傷ばかりが横行していて、この事件のそもそもの本質について語る人がいないことだ。事件後、幾つかのワイドショーを梯子して、元NHKアナや元NHK記者といった業界諸氏がどのような説明をしているかを聞いたが、正直どれもこれも隔靴掻痒の感が拭えなかった。ひょっとすると、現役のNHK職員たち自身もこの問題の本質を理解していないのかもしれない。

そのことを説明するには、公共放送と国営放送の違いから話さなければならない。NHKは前者であり、世界ではイギリスのBBCが最も有名だ。他にも、ドイツやイタリア、韓国などにあり、これらに共通しているのはその経営主体が国そのものでなく、何らかの権限を持った(国とは別の)公共事業体であるという点だ。他方、国営放送は国自体が放送事業を担う形態で、ロシアや中国といった専制国家のプロパガンダを思い浮かべれば良い。

但し、公共放送としてのNHKには例外がある。それが今回問題となった海外向けの国際放送だ。この部分だけが国営放送なのである。国際放送の受益者は主として海外在住の人たちであり、日本政府はそうした人々に対して現地語(今回の事件では中国語)または日本語で日本政府の公式見解に基づいた番組を放送している。

海外在住の人たちなので、国内とは違って受信料は取れない。よって、国の税金が投入される。最初はラジオだけだったが、今はテレビ放送も実施しているので、私が職員だった80-90年代と比べれば予算もさぞかし大幅に増えているだろう。

NHKが国内向けに制作した通常のトーク番組で、例えば中国人の有識者が尖閣は中国の領土だと主張し、それに対して日本人の学者が反対意見を述べるといったようなことは当然あり得る。けれど今回の事件では、日本政府がNHKの手を借りて世界に向けて放送した国営放送の番組の中で、一人のスタッフが政府の公式見解とは異なる発言をしてしまった。明確な契約違反であり、本質的な問題はそこである。

事件後、政府(総務省)がNHK会長をすぐさま呼びつけたのはそのためであり、NHKが国内向けに流している個別番組に意見を差し挟んだわけでも、憲法にある表現の自由に土足で踏み込んだわけでもない。

因みに、今回問題となった番組を制作したのはNHKの関連団体であり、NHK本体ではない。NHKは政府から国際放送の業務をずっと以前から長期で受託し、その円滑な実施のために専門の会社を本体とは別に立ち上げた。せっかく業務を限定し、責任や権限、指揮命令系統を分けたのに、いざ事件を起こしたら本体の会長が国に呼び出され、理事が事実上解任されるのではおよそ意味がない。

今回の事件では、国際放送を管轄するNHK本体の国際局長も一緒に更迭されている。ならばいっそ国際局自体をNHK本体から切り離し、別会社に移してしまってはどうなのだろうか。同期である傍田氏を個人的にかばうわけではない。より恒常的、組織的な問題だ。