大学への進学率は、ぶっちゃけ何%が社会にとって「適正な水準」なのか?

先週刊行の『表現者クライテリオン』11月号にも、連載「在野の「知」を歩く」が掲載です! 以前もご案内した、コンサルタントの勅使川原真衣さんとの対談の後半部。

自分で言うのもなんですが、前半よりもなお一層、幅広い話題をがっつり詰め込んでお届けしています。ぜひ書店で、手に取ってみてください。

日本人はなぜ、ここまで他人に共感できなくなったのか|Yonaha Jun
先週発売の『表現者クライテリオン』9月号でも、連載「在野の「知」を歩く」を掲載していただいています。綿野恵太さんに次ぐ2人目のゲストは、コンサルタントの勅使川原真衣さん。 勅使川原さんとの対談は、Foresight に掲載のものに続いて2回目になります! 従来もこのnote にて、記事を出してきました(こちらとこちら...

さてその紹介ですが、なかでも極めつけの読みどころは、ここかなと。

與那覇:大学と能力主義の関係では、エマニュエル・トッドが鋭い指摘をしています。世界のどこでも「ある年齢層の25%が高等教育を受けた時点で、『平等』の意識は失われ、上層部の人々は自らを『新たなエリート』と認識するようになる」と(『第三次世界大戦はもう始まっている』文春新書、125頁)。

大卒以上の学歴を持つ人が数パーセントなら、自ずと「恵まれている自分は、持っている才能を社会に活かさなくては」と考え、平等主義に貢献する。しかし4人に1人が大卒になってしまうと、そこまで高邁な意識を抱けるほど、その資格はレアじゃない(苦笑)。なので「優秀な俺たちを、もっと社会は尊重せよ!」とする自意識を持ち、能力主義による格差を肯定し始める。

トッドいわく「高等教育の25%ライン」を超えるのは、アメリカでは1960年代の前半で、これは公民権運動のピークですね。つまり肌の色による差別が(公的には)撤廃され、「白人だから」というだけでは優越感を満たせなくなった時期に、「そうそう。同じ白人でも、能力がある奴とない奴は違うからね」と言われてしまった。目下のトランプ現象とは、この時始まった憤懣が、逆流のように噴出しているわけです。

一方でロシア(ソ連)では、同じ閾値を超えるのが80年代後半だという。つまり、それまでなら共産党の幹部になったはずの層が、「共産主義っておかしくないか? なぜ能力の高い俺を、低い奴らと同じに扱う?」と感じ始める。こうしてソ連が崩壊すると。

148頁
算用数字に改め、強調を付与

いやぁ、耳が痛い……っていうか、もっと痛くなるべき面々が大学教員しながらTwitterとかやってる気がしますが、おーい、聞いてるかぁ?(苦笑)。ちょっとは反省せぇよ。

オープンレター前史: それは「鍵をかけた」ことで始まった|Yonaha Jun
昨日の記事に対しては、おそらく見えないところで(いや、公然とかな?)揶揄する人が出てくると思うので、あらかじめ釘を刺しておく。 2021年の3月に、鍵をかけたアカウント(フォロワーは4000人前後で、9万3000人の東野篤子氏よりだいぶ少ない)の内側での発言がきっかけで、大炎上を起こした学者がいる。私まで巻き込まれて...

それはともかく、日本はいつこの「大学進学率25%ライン」を越えたかというと、(短大も含めた場合)70年安保の全共闘運動の頃で……という話が、同誌でも続くのですが、再読して大事なことに気がつきました。

2018年の『知性は死なない』では、トッドらの知見も引用しつつ、ソ連崩壊やトランプによる「パクス・アメリカーナ放棄」、欧州での反EU世論の高まりを帝国の崩壊として論じました。共通の背景にはいわゆる反知性主義、すなわち理性偏重のエリート主義への反発があるとも(ソ連はエリート自身が放り出した点が、やや違いますが)。

対して日本の場合、「帝国の崩壊」という表現が最もあてはまるのはむろん1945年の敗戦ですが、当時は(よその国もだけど)大学教育を受けたエリート層が25%なんて、もちろんいない。

つまり近代国家として最大のトラウマを、高等教育が大衆化する以前に体験したことで、諸外国と比べても「いやいや。エリートの数さえ増えれば or 権限を彼らに委ねれば、うまくいく!」という幻想に弱いのかもしれない、日本人は。

だから「悪いのはぜんぶ亜インテリであり、インテリがファクトチェックでネットを規制すれば解決だあぁぁ!」「そうだそうだあぁぁ!」みたいなコール&レスポンスが、始終SNSの片隅を賑わせてるわけですが、そんなのぜんぜん機能してないだろってのは、前に実例を示したとおりでして。

「日米安保かNATOか?」: 自民党総裁選の埋もれた争点|Yonaha Jun
9月27日、実質的には次の首相を決める自民党総裁選が行われる。 本命だった小泉進次郎氏が失速し、石破茂・高市早苗の両氏と三つ巴だと言われる。「どの2人」が決選投票に残るかで、最後の勝者も動く。先日も論じる配信をしたけど、私は政局は趣味でないから、予想はしない。 むしろ今回の総裁選では、あまり注目されないが将来、...

平成史』ほかで何度も指摘しましたが、1990年に36%だった日本の大学進学率は、2000年に49%。わずか10年で「3人に1人」を「2人に1人」に引き上げたのだから、大したものです。逆にいうと、それで社会がよくならないなら、「大学で知に触れる人口を増やせば増やすほどよい」とする処方箋そのものが、まちがってたわけで。

この点さすがだったのは、東京帝大に勤めて辞めた夏目漱石ですね。前回採り上げた『それから』でも、「もっと大学を増やせば」政策が招いた混乱を、冷ややか~に描写しています。文部省が東大に商業学科を設けようとし、いまの一橋大で反対運動が起きた事件を、踏まえていわく――

資料室: 明治維新と日本の競争社会の「それから」|Yonaha Jun
今月10日の先崎彰容さんとのイベントは、オンラインでの視聴も含めると70名超が参加して盛り上がった。終了後も、筆ペンで丁寧にサインする先崎さんに長蛇の列ができて、散会したのはなんと1時間後である。 唯一の心残りは戦後日本論が弾みすぎて、『批評回帰宣言』でいちばん好きな漱石を論じる章を、話題にし損ねたことくらいか。採り...

「君、あれは本当に校長が悪らしくって排斥するのか、他に損得問題があって排斥するのか知ってますか」と云いながら〔、代助は〕鉄瓶の湯を紅茶茶碗の中へ注した。
「知りませんな。何ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思って、あんな騒動をやるもんかね。ありゃ方便だよ、君」

(中 略)

大隈〔重信〕伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。それが中々強い言葉で出ている。代助はこう云う記事を読むと、これは大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。

新潮文庫版、8・89頁

かつてなら喝采されたはずの「大学無償化」も、もはやみーんな方便で言ってるだけダロ、と、有権者の見る目が厳しくなりましたよね。それくらい、高等教育は広げるほどよいとする信仰は、賞味期限が切れつつある。「在官」の大学教員のみなさんの威信低下も、その表れなんで、Twitterでだけイキってても意味ないんすよ(笑)。

なぜ学者は、いくらSNSを使っても世の中をよくできないのか|Yonaha Jun
週末に新潟の温泉旅館・嵐渓荘で開かれたイベント「らんまる」は、最終的に70人近くが宿泊を伴う参加で、大いに盛り上がった(ヘッダー写真は〆の朝食)。個人的にもこんなに素敵な宿に泊めてもらう体験は、もうない気がする。旅館主の大竹啓五さんはじめ運営スタッフのみなさん、参加者のみなさん、心よりありがとうございます。 友...

じゃあどうするのかの特効薬は、私も持ってないのですが、しかしまずは「正しい問いを立てる」ことが、最初の一歩かなと。

今回はまさに、その糸口になる対談だと思っております! どうぞ、多くの方にお目通しいただければ幸いです。


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年10月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。