いよいよ久々の衆院選の投票日が来るけど、こんなに妙な選挙は有権者として、記憶がない。
どこの政党も「脛に傷あり」の状態なので、投票する意欲は盛り上がらないけど、その分結果がどこまで行くかが見えないので、予想の当てっこはむしろ盛り上がる。政党という単位で見れば、勝ちに行くというより「少なく負けるレース」で、全党が競いあっている感さえある。
なので選挙戦中、いちばん印象に残ったのは、日本維新の会を追い出される形で今回「不出馬」となった、足立康史前議員の発言だった。
日本維新の会は、日本共産党ともども、もう終了でいいのではないでしょうか。大阪の地方政治においては引き続き役割があるので地域政党は頑張ってほしいが、国政にあっては、松井さん馬場さんの仲間たちを養うくらいの意味しか無くなってしまった。
流動化する日本政治。
この総選挙で選択すべきは、政党ではなく人物。
10月21日の足立康史氏Twitterより
(強調は引用者)
……うーむ、ついにここまで来たかぁ。
平成に行われた(国政の)政治改革は、「人物ではなく政党」で選べる民主主義こそが、ほんものなんだとして、日本での実現をめざす試みだった。地方政治が絡むからちょっと複雑だけど、大きく言えば維新の会だって、そうした流れで生まれた政党である。
戦後昭和の中選挙区制(1選挙区から3~5人が当選)では、同じ自民党から複数の候補者が出て争うため、有権者は自ずと「政党より人物」を選んでいた。そう表現すると聞こえがいいけど、実態は「こっちの先生の後援会の方がうまい飯を食わせる」といった、金権政治になりがちだった。
なので、1993年に成立した最初の非自民政権の下で、衆議院は(比例代表と並立しつつ)小選挙区制に切り替えることにした。1選挙区から選ばれるのは1人、だから今後は「政党ごと」の勝負で行きましょうというわけだ。
もちろん、「人物より政党」で戦う選挙にするなら、小選挙区制ではなく比例代表制という選択肢もあった。平成のあいだは、どちらかというと僕は、そちらにシンパシーがあったと思う。
たとえば全党のマニフェストを選管が自宅まで送付して、有権者はそれらを読み比べ、いちばん気に入った党を選ぶ。特定の政治家の個人的な人気にぶら下がるポピュリズムじゃなくて、「政策本位」で選挙をするなら、それがいちばん理想の形ではあった(まぁ小党分立になるとか、周知の色んな欠点はあるけどね)。
しかしいまは、それでは結局、人は動かないんじゃと思えてならない。
たとえばSNSでのケンカを見てほしい。Twitterなんて140字なんだから(足立さんのように課金して長文を投稿する人もいるけど)、論争している双方の主張を読んで、「内容本位」で賛否を決めるなんて容易なはずだ。
しかし圧倒的多数のユーザーは、その程度の文字数を読むコストすら払わずに、「前からフォローしてるこの人」「勢いがあって勝ちそうなこの人」の味方につく。学問や教養の有無は関係なくて、現に大学教授とかが率先してそうやっている。
そんな状況で「有権者は全党のマニフェストを熟読、比較して……」なんて、夢のまた夢だろう。
ただ、「人への信頼」という情報圧縮技術を経由して、現実に触れるあり方が、常にダメなものかというと、そうではない気もする。
仕事の絡みでたまたま、堤清二(辻井喬)が1969年に出した自伝小説『彷徨の季節の中で』を読んでいた。有名な話だけど、妾腹ながら西武グループの御曹司だった堤は、父親への反抗心もあり戦後の共産党に走った。そこで挫折を迎えるまでが、真摯な情緒の溢れる筆致で綴られている。
選挙での自民党の内輪揉めは(平成期の新党ブームも含めて)定期的に起きるけど、鉄の規律の共産党にも、分裂選挙の時代があった。1951年4月の都知事選では、主流の所感派が社会党の加藤勘十に相乗りしたのに対し、傍流の国際派は東大教授だった出隆(ギリシャ哲学)を擁立した。
堤が属した東大細胞は、宮本顕治の影響もあり国際派が多かった。で、堤も出への投票を促しに回るのだが、最も信頼していた「自由労働者の峰岸という男」について、こんなふうに書いている。
彼は数年前九月に日本で革命が起るという共産党の話を信じて問屋の権利や家屋敷を党に寄附してしまい、身軽になったのだと私に話してくれた。
「お父ちゃん正直でしょう。だから全部、本当に全部寄附しちゃったのよ」峰岸夫人は労務者達の住居になっている棟割長屋の一室で両手を拡げてそう私に説明すると大きな声で笑った。
「まあいいさ、ワハハ」と峰岸も笑った。それを話す彼等の楽天的な表情と語調がはじめ私を戸惑わせ、次に近しい気持を起させた。
中公文庫版、209頁
(改行・強調は引用者)
こんな人柄の峰岸がついて来てくれると、いざ選挙運動となっても、「マニフェスト」に精通するインテリの堤に出番はない。
「今晩ね、出隆って言う大学の偉い先生の話があるんだ。聞きに行かないかね」と峰岸が話している。
「そりゃあ共産党かい」と誰かが聞く。
「うん、いや、まあこっちが本当の共産党だがね」峰岸が答える。
「峰岸さんが行くならつきあうかね」別の声が仲間を振返って言う。
いつもなら立上って日本共産党主流派と私達の違いを説明しはじめるのだが、今日の私にはそれが大儀だった。私達の争いは彼等大衆には関係ないのだ、という想いが、まといつくように重く私を捕えた。
213頁
ぶっちゃけ、共産主義も「政党ではなく人物」なのか? と疑問が兆したところに、選挙は惨敗。国際派は中ソに切り捨てられ、幹部が主流派に屈服し、学生たちは見棄てられる。党活動で作った彼女まで、さっさと自己批判書を出して「転向」し、なぜあなたは出さないのと問い詰めてくる。
ショックで堤は結核を悪化させ、入院と療養の果てに党を離れる。孤独を抱えた彼が最後、故郷の秋田に戻ってこけし作りを始めた峰岸に話を聞いてもらおうと、列車に乗り込んだところで小説は幕を閉じる。
(ちなみに東大細胞で知りあい、生涯を通じて堤の親友になった安東仁兵衛のことは、今年7月の都知事選でも紹介しました)
政党ではなく人物で選ぶことには、相応の危うさがある。個人崇拝に陥ったり、縁故での依頼を断れなかったり、好感度だけで投票するうちに首尾一貫しなくなったり。
ただなんかねぇ、最近は欧米でも実質「トランプ党」「マクロン党」のように政党自体が個人化してますやん? みたいなのを見ると、それはもうヒトの認知機能の限界なのかなという気もするんすよ。もちろん、権威主義国の政党支持は個人への信頼とイコールです、「プーチン党」とか。
政党ではなく人物、なのかはともかく、「人物」を抜きにして政治や社会を営むことはどうも無理らしい、というのが、世界の民主主義がたどり着いた結論だった。「この人はいいな」と思える人物のバリエーションが広い社会が、いわゆる自由民主主義で、狭い(最悪ひとり)と選挙独裁になる。
投票箱の前で、名簿に載っている候補者のほかに、どれだけ「こんな政治家に居てほしい」と思える記憶を、社会としてストックできるか。民主主義国における歴史の意味はおそらく、そうしたものに変わっていくだろう。
逆に「『正しい歴史観』に基づきこの党に入れろ」みたいな、前世紀以来の勘違いを続ける歴史学者は、そろそろごみ箱に入れてよいころだ。
投票箱の前で、あなたは自国のどんな過去を思い出すだろうか。そのときなるべく多くの「思い出し方」を認めるのが、リベラルな社会であり、それにふさわしい語りを提供する人だけが、いまも歴史家の名に値すると思う。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。