選挙戦が終わり、衆議院選挙の日となった。私個人の感想として残念だったのは、国際問題が選挙戦でほとんど話題にならなかったことだ。もちろんそれは日本国内に問題が山積しているからだろう。国際情勢にまで目を向ける余裕がないことを、悪いことだ、と言いたいわけではない。
ただ現実には、国力が疲弊すれば疲弊するほど、国際情勢に翻弄される度合いも高まる。むしろ国際情勢を分析していくことの重要性は高まる。選挙で話題にしなければ、そのまま国際情勢に関わることなく、平和に暮らしていけるわけではないことは言うまでもない。選挙の争点にしなかったことが、国際情勢に対する無知や無関心を意味しないことを、祈るだけである。
この流れを作り出したのは、自民党の石破総裁だろう。総裁就任前に「アジア版NATO」などの国際的な防衛安全保障の議論を喚起しようとする素振りが見えた。選挙中は、それを徹底的に封印した。「この話はヤバい話だ」という雰囲気を与党関係者に作り出すのに貢献しただろう。
あえて言えば、憲法改正についてふれる政党は複数あった。しかし憲法9条を語った場合であっても、憲法とは国内の問題である。少なくとも国際情勢にからめて憲法論を展開した政党があったという印象はない。
アメリカではウクライナやガザをめぐる立場の違いが、大統領選挙の大きな争点になったり、候補者に対する評価の理由の一つになったりしている。日本はアメリカほどには目立った外交政策をとっているわけではない、外交政策に関しては超党派の合意がある、といった事情も、あると言えばあるのだろう。それにしても、これらの現下の国際情勢の最重要事項が、選挙とは全く関係のない出来事として扱われたのは、やはり残念ではあった。
例外的な存在は、れいわ新選組であった。れいわは、中東情勢をめぐって明確にイスラエル批判を行っている唯一の党だろう。ロシア・ウクライナ戦争についても、独自路線をとっている。
ただ、イスラエル批判を日本の外交政策にどう反映させるかという点において、具体性に欠けた印象はぬぐえない。より明快な態度をとるべきだという主張は、外交政策の方向性を示す大きな論点ではある。だがもう少し「それでは日本はまず何をするべきなのか」が語られないと、有権者の関心も得られにくいということは言えるだろう。
政治家の「外遊」が、お金の無駄遣いだと批判される機会が増えた。これについて大雑把な擁護論もあるが、欧州の観光地に大挙していく「外遊」の意義について、国民が精査を求めるのは、おかしなこととは思えない。
日本の国会議員には、官僚出身者が多い。この階層は、省庁の予算で留学させてもらっている階層だ。国際経験が皆無ではない階層である。私もロンドンのLSE留学時代に、たくさんの政府官僚の方々とお会いした。
ただ欧米の有名大学にこだわり、あとは旧来の冷戦時代からの政府間の付き合いにだけ流されていると、視野が狭くなる。非欧米系の担当になると霞が関における地位が低いかのような偏見が生まれる鋼鉄の人事体系も根深い。
激動の国際社会の中で、未来を構想する視野を培うための経験を持っている方々が、果たしてどれくらいいるのだろうか。
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