政権交代で「非自民連立政権」は生まれるか

石破首相は引責辞任を拒否して連立工作を始めているが、国民民主党も維新も泥舟に乗る気はない。それより注目されるのは、立民・国民・維新の3党による第2次野田内閣が生まれる可能性である。国民民主の玉木代表も、首班指名で野田氏に投票する可能性を示唆した。

「野田首班」の指名は可能だが…

問題は自民党が来月11日の特別国会までに、石破氏以外の首班候補を立てられるかである。図のように与党は最大221議席だが、野党が全部まとまると244議席と多数派なので、石破vs野田の決選投票になると野田氏が勝つ。石破氏では内閣不信任案を出されたら終わりだ。

石破氏以外の候補が出ても、第1回投票では各党が党首に投票するが、決選投票で野党が票を野田氏に集めると、彼が指名される可能性がある。今回は共産党も野田氏に投票する可能性を示唆している。

ZAKZAKより

政策合意なしでできた細川連立政権

問題はその後である。このように自民党が少数派になったのは、1993年の宮沢内閣不信任案が成立したときに似ている。その後の総選挙で自民党が過半数を割り、8会派の非自民連立政権で細川護煕氏が首相になった。このとき連立の中心になったのは新生党の小沢代表幹事であり、細川首相はできたばかりの日本新党の党首だった。政策合意はなく、政権交代が目的だった。

細川内閣(朝日新聞より)

しかし細川政権は8会派の寄り合い所帯で、特に最大会派の社会党が小沢氏の強引な政局運営に反発したので、政策らしい政策は打ち出せなかった。

小沢氏が大蔵省と組んで出した消費税の7%への増税(国民福祉税)は、さきがけの武村官房長官の反対で一夜にして撤回された。唯一の成果は公職選挙法の改正(小選挙区制)だったが、社会党が連立から離脱して10ヶ月で非自民連立政権は終わってしまった。

玉木代表は「小沢代表幹事」になれるか

今回、1993年の小沢代表幹事の役割を果たす可能性があるのは、国民民主党の玉木代表である。政策的にも立民とは近いので、国民が維新と立民を仲介すれば3党で214議席。少数与党だが、連立すれば自民党より多くなる。

しかし立民党には安保法制や憲法改正に反対する極左勢力が残っており、これが国民民主とまとまれない原因になってきた。また支持者の平均年齢が自民党より高い立民が、社会保障改革で現役世代に重点を置く維新と歩調を合わせられるだろうか。維新は今回大敗し、馬場代表が辞任を迫られているので当事者能力がない。

もう一つは参議院である。こちらは自民・公明で140議席と安定多数なので、衆議院で非自民が政権をつくっても、衆参のねじれで国会運営は困難になるが、これも政権に求心力があれば乗り超えられる。

数の上では非自民連立政権は可能だが、政策調整がうまく行かないと、細川・羽田政権のように10ヶ月で空中分解してしまう。特別国会までに党首会談などで調整し、合意形成して政策協定を結ぶべきだ。