ハンガリーのオルバン首相は10月31日、隣国のオーストリアの首都ウィーンを短時間訪問した。隣国の首相を迎え入れたのはオーストリアのネハンマー首相ではなく、極右党「自由党」所属のローゼンクランツ国会議長だった。オーストリアでは国会議長は連邦大統領に次いでプロトコール上、ナンバー2の立場だ。大統領に代わって外国の政治首脳を迎えることはある。オルバン首相のウィーン訪問は野党から批判の声はあったが、問題はなかった。
会合は議会内の歓迎ホールで行われ、自由党のキックル党首も同席した。議会の広報によると、オルバン首相の訪問は公式訪問とされ、相応の安全対策が取られたという。事前情報によれば、ネハンマー首相(国民党党首)との会見は予定されていなかった。
ところが、自由党のキッケル党首とオルバン首相が「ウィーン宣言」という文書に署名したのだ。ここで問題が出てきた。キックル党首は連邦議会選(9月29日実施)で第1党となった政党の党首だが、まだ新政権で首相に任命された立場でもない。オーストリアの名前で外国の政治首脳と文書を署名する権利はもちろん、ない。キックル党首が「オーストリアの代表」としてハンガリーの首相と一種の外交文書に署名したということが伝わると、与野党の中で職権乱用、権限逸脱といった批判が出てきた。以下、物議を醸したオルバン首相のウィーン訪問の波紋を紹介する。
自由党は9月末に実施された国民議会選で連邦レベルの選挙では初めて第1党となった。保守派政党の与党「国民党」は第2党に後退し、社会民主党は第3党だった。同国では選挙で第1党となった政党が国民議会議長(第1国民議会議長)に、第2党から第2議長、3党から第3議長がそれぞれ選出されるのがこれまでの慣習だった。そこでキックル党首の自由党から弁護士のローゼンクランツ氏が自由党初の第1国民議長に選出されたわけだ。議会での投票では国民党、社会党、ネオスの3党は議会の慣習に従ってローゼンクランツ氏に投票したが、「緑の党」だけが議会の慣習に反して第1党の候補者に反対票を投じた。
晴れて国民議会の議長に選出されたローゼンクランツ氏は就任最初の外国からのゲストに欧州連合(EU)から異端児と呼ばれているハンガリーのオルバン首相を招いたのだ。その時点で、「緑の党」はローゼンクランツ議長を批判したが、プロトコール上は問題はない。オスバン首相は現在、今年下半期のEU議長国のハンガリーの政府首脳だ。オーストリア国民議長がそのオルバン首相を国会に招いたとしても問題はない。ただ、極右政党出身の国会議長がEUに批判的な政治家で親露派と見られているオルバン首相を招いたことでメディアが騒いだこともあって、注目されたわけだ。オーストリア国営放送の報道によると、ローゼンクランツ議長とオルバン首相の会談は45分間程度で大きな議題はなく、「象徴的な会談だった」という。
ローゼンクランツ議長との会談後、オルバン首相はキックル党首と2者会談し、そこで「ウィーン宣言」に署名している。両者は「隣国としての友好関係」を示すものとして「ウィーン宣言」に署名したという。報道によれば、「ウィーン宣言」は、自由党とオルバン首相が率いる右派民族主義政党フィデスのヨーロッパ観に基づく主要原則をまとめたものだ。宣言の冒頭では「ハンガリーとオーストリアはここに、隣国としての友好関係と歴史的・文化的に強い絆を再確認する」と記されている。テキストでは、EUによる中央集権化が批判され、「男女以外の性自認」は拒否されている、といった具合だ。
ちなみに、ウィーンで6月30日、欧州の右派勢力、オーストリアの野党「自由党」、ハンガリーのオルバン首相の「フィデス=ハンガリー市民同盟」(Fidesz)、そしてチェコのバビシュ元首相の「ANO」の3党が欧州議会で新しい会派「Patriotsf or Europe」(欧州のための愛国者)の結成を表明している(「欧州右派3党、新しい会派を創設へ」2024年7月2日参考)。
「ウィーン宣言」の署名に対し、国民党はキックル党首に「職権乱用」の疑いを指摘している。国民党のシュトッカー幹事長は1日、「キックル党首がオーストリアの名の下に署名するのは政治的な職権乱用に相当する。彼にはオーストリアを対外的に代表する公式な権限がない」と批判した。また、オルバン首相がローゼンクランツ議長を訪問した際に、議会の接見室からEU旗が片付けられていたことも問題視し、「キックル党首がオーストリアやEUに対していかに軽視しているかが表れている」と主張している。なお、「オーストリアの名」で宣言に署名できるのは連邦大統領または首相のみだ。職権乱用罪は最長6か月の懲役刑が科される。
「緑の党」のマウラー議員は「キックル氏にはオーストリアの名で署名する権限はない。彼は我が国を代表しておらず、開かれた公正な社会を信じる人々のための声でもない。彼と自由党が行っていることは、計算された誇大妄想の劇だ」と批判している。
オルバン首相が訪問する先々でこれまで様々な政治的な波紋が投じられてきた。その意味で同首相のウィーン訪問も例外ではなかったが、極右「自由党」が先の総選挙で第1党に躍進した直後だけに、その波紋も一層大きかったわけだ。
いずれにしても、ファン・デア・ベレン大統領が選挙後、第1党の自由党のキックル党首ではなく、第2党の国民党のネハンマー首相に新政権発足の連立交渉を要請したことで、自由党内で不満の声が高まっていた。それだけに、オルバン首相のウィーン訪問は自由党にとってその政治力を誇示できる絶好の機会ともなったはずだ。国民議会議長という国家の要職を握ったキックル「自由党」は今後、様々な政治的アクションを展開し、政界を揺れ動かしていくものと予想される。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年11月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。