率直に言って、私の主たるテーマではなく、もうあまり関わりたくないのだが、インターネットで流布する言論が粗雑にすぎるので、手短に。
11月5日に、文春オンラインが「東野篤子氏をX上で中傷した警察官が、略式起訴され罰金刑になった」旨で、以下の記事を出した。ヘッダー写真のとおり「Webオリジナル」の表記があり、書類送検時には紙媒体(『週刊文春』本年6月27日号)でも報道されたのに比べると、扱いは軽い。
報道を受けて翌6日に、東野氏がnoteで背景を説明した。一方で、彼女からX上でネットリンチの被害に遭った羽藤由美氏は、大変怒っている。
東野氏が更新したnoteは、以下のもので、こう綴られている。
また〔自分を中傷した〕元警部は、私の職場である筑波大学に極めて近い場所に居住しています。このため現在も、私は元警部と勤務地近辺で遭遇するリスクを抱えています。
(中 略)
このため私は現在も、元警部の顔を知らないまま、彼の生活圏内で勤務を続けざるを得ない状況です。このため、私の公的・私的生活は大きく制限を受け続けています。自分自身の身の安全を守るため、つくば駅から勤務先まで、自己負担でタクシー通勤を余儀なくされました。
東野氏の上記noteより
ネットで自分を中傷してきた人物が、居住地の警察官だったというのは、少なからず不気味な事態である。もちろんこの件で、東野氏が被害者であることは疑いない。
一方で、この東野氏のnoteには、(末尾の署名を除くと)日付の表記がまったくなく、それだけ読んでも問題の時系列がわからない。
前提として、2023年3月~24年3月にかけて、東野氏は在外研究でオーストラリアに滞在していた。以下の本人のnote(本年4月)と、科研費の報告書にも記載されているから、絶対に間違いがない。
私は2023年3月から2024年3月まで、オーストラリア国立大学ヨーロッパ研究所でサバティカル生活を送っていたのですが、その生活がまもなく終わるという2024年2月以降は業務による一時帰国……キャンベラでの住居の引き払い等で極めて多忙になりました。
東野篤子氏note、4月7日付
その上で、先に挙げた文春の2度の報道に基づいて、警察官による中傷から判決に至る経緯を復元すると、以下のようになる。
23年3月 東野氏がオーストラリアに赴任する。
5月 警察官がXで最初の中傷を行う。
24年1月 東野氏の弁護士が損害賠償を求める通知を送る。
2月 警察官が居直り、Xでの中傷を続ける。
3月 東野氏がオーストラリアから帰国する。
4月 東野氏が刑事告訴を行う。
5月 警察官が異動となり、事実上の謹慎。
6月 茨城県警が送検し、最初の文春報道。
(この時点までに、警察官が謝罪文を東野氏に提出)
10月 略式起訴で罰金30万円が命じられる。
11月 2度目の文春報道。
茨城県警とオーストラリアで生活圏は重ならないから、東野氏が当該の人物と出会う不安に直面したのは、(民事の賠償請求ではなく)刑事告訴を選んだ後である。同氏のnoteからは、ここがわからないので、多くの読者は中傷がなされていた間から、一貫して恐怖に駆られたと誤読するだろう。
もちろん、相手が力ある者(居住地の警察官)だからと言って、泣き寝入りを強いられる事態はおかしい。だがX上での加害/被害と、刑事告訴後に生じた問題の前後関係を混乱させ、中傷行為のあいだ中ずっと遭遇への不安に曝されたという印象で、経緯を広めるのは正確ではない。
今回の文春の第2報、および東野氏自身のnoteを読んでも、6月に私が問題提起した、X上の誹謗に対して①なぜ民事の賠償請求ではなく刑事告訴を選んだのか、②相手の職業をどうやって知ったのか、の答えは得られなかった。
加害者の問題ぶりに照らすと、素で職場(警察署)のPCから中傷していた可能性も想定しえたが、判決を受けてNHKと毎日新聞は、ともに「自宅から自分のスマートフォンで投稿した」と報道している。だとするとますます、いかにして勤務先を特定したかがわからない。
なんであれ加害行為(の報道)に接したとき、被害者の側に共感するのは当然だ。しかし、それは事態を正確に認識しないことの免罪符にはならないし、まして「共感ゆえの別の加害行為」を生んでよいことにもならない。
実際に文春の第2報では、所轄上の責任者という趣旨で茨城県警本部長の写真が載っているが、これを加害した警察官だと誤認して罵倒している例が見られる。ソースを提示せず、読者にとっては真偽不明のままで、「加害者の姓名と写真」と称する情報を拡散している人もいた。
かつてスマイリーキクチ氏が、根拠なく著名な事件の犯人だと吹聴され、一時はネット上で「定説」のようになりかけた例は、広く知られる。
ショッキングな被害が報じられるたび、そうした教訓すら上書きされて消えるようでは、今回の事件もまた、ネットユーザーのリテラシーを高めることなく終わるだろう。あるいは、自ら調べる手間をかける気のない話題は、ひとまず「叫ぶより黙る」ネガティブ・リテラシーを身につけることだけが、最後のモラルとして残るに違いない。
参考記事(本稿に反論されたい方は必ず読了を)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。