『SNSってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ』とでも言わんばかり。
読売新聞は「良いものを広める」という価値観を否定するのでしょうか?
3日連続で1面+αで兵庫県知事選に関する「SNSの問題」を論じてきた読売新聞。
11月26日の1面では、わざわざ宗教学者を引っ張ってきて「ファンダム」などという謎のジャーゴンを持ち出してるが、こんなのはただの庶民によるSNSでの情報共有を言い換えただけに過ぎない。
※fanとkingdomの造語であって、特に宗教学の専門用語ということでもないらしい
「ファンダムが形成されると民意が操作される危険」?
そんなもの、人と人が関わる(情報)空間では常に付きまとう話でしょう。
庶民の間で情報共有、世論形成をするのが気に入らず、自分らが造り出した情報やムーブメントに乗っからないのは悪だという認識が根底にあると疑わざるを得ない。
新聞テレビが民意操作しようとしてきたから、お株を奪われて悔しいんだろう。
露悪的表現が持て囃され、「いじり」芸が横行した昔の芸能界・お笑い界・言論界・文芸界の神通力が無くなった現状が、気に入らないんだろう。
ここで書かれていることは全部マスメディアが既にやってきたことでしょ。
「被害者を創り出して加害者叩きを連日行う」なんて、ワイドショーでずっと行われてきたこと。モーニングショーが典型例。
そんなにフェイクの危険を言い立てるなら、SNS上で広まってる認識について即座に解説記事を出せ。一般ユーザーはやってるんだぞ。拡散されてないだけで。
マスメディア側からは片側だけのファクトチェックしか出てこないから、以下のような記事が必要になってくる。
「斎藤元彦=被害者」化はマスメディアに責任がある
さらに、本件で「斎藤=被害者」化がされたこと自体、マスメディアに責任がある。
怪文書を「公益通報」と呼び無理筋の批判を繰り返しても、企業人は、あんなのが公益通報とはたまったもんじゃないと思う。
あの泉房穂を重用しておきながらパワハラに焦点を当てて斎藤批判しても、一般人なら「それくらいよくあるだろ・泉の方が悪質だろ・どの口で言ってるんだ」で終わり。
【マスメディアが政治家を無理筋批判して間違った方向に誘導する】というのを、過去から現在までの報道で知っている者や、特に近年では安倍総理に関する森加計問題捏造報道で散々見せつけられてきた有権者には、もうそういうものは通用しない。高齢者にすら。
本来、斎藤元彦という人物の評価は、知事職という権力者としての資質、県政の停滞に関する危惧など、もっと論じられるべき話は、いくらでも転がっていた。
それを県民局長の死をきっかけに、怪文書にある「パワハラ疑惑・おねだり」という分かりやすいものに飛びついて騒ぎ立てたマスメディアが、マシな論点を覆い隠して斎藤勝利の道筋を作った。
外からみてると、そういう風にしか見えない。
「無能な味方はなんとやら」
承認欲求おっぴろげ社長なんかより、よっぽどマスメディアの方がそっち側でしょう。
海の向こう側・アメリカ・英語圏でもマスメディアの論調が変化し始めた
マスメディアの論調が、特定の界隈がゴリ推す「ただしさ」を軸にすることを辞め始める、という展開が英語圏の記事をみてると感ぜられます。
日本国内ではハフポストの相本啓太氏による取材、記事が、福島第一原発関連、処理水の海洋放出について、従来路線からの修正が見られています。
SNSもメディアの一つでしかなく、情報の拡散・共有手段の一形態に過ぎません。
「一次情報・一次ソース」の以前に、その情報そのものたるファクトを生み出している人・組織がいます。そうした人たちを軽視・バカにしてきたら、愛想を尽かせられるのは当たり前です。
産業界・経済界の中に居たら、その末端の者ですら、目の前の現実と乖離した報道・情報がマスメディアから垂れ流されている様、識者と称する偽物が声高に語っている様を見せつけられてきたわけです。もちろん、それはネット上の言説もです。
マスメディアもXやYouTubeにアカウントを持ち発信しているのに、自分らはそれとは無関係である、SNS上の言論空間の形成に関与していないという態度なのは、いったい何なんでしょうか?
まずは、この欺瞞から抜け出すことがマスメディアに必要なことであり、それが健全な言論・情報空間の形成に貢献すると思うのです。
編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年11月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。