SNSは現代社会に何をもたらしたのか? 豪州では英断と言える法案が可決

先日ある居酒屋のランチで海鮮丼を注文したところ、どんぶりはなく、白い皿にどんぶりで型をとったご飯の上にてんこ盛りの海鮮がのっていました。同席の人たちが「これ、どんぶりじゃない」と笑うのですが、要はインスタ映えを狙ったものなのでしょう。

この「映え」を動画としてYouTubeで流すのもこれまた定番で飲食店ビジネスは味とサービスと値段の3拍子に見栄えという4つ目の柱がないとやっていけない時代なのかもしれません。

ViewApart/iStock

美的センスで見栄えを生み出せない店はてんこ盛りという愚策に出ます。どう見ても食べきれないだろうという量に「へぇー」でSNSに写真を投稿してくれれば店側はしめたもの。

しかし、よく考えてみれば写真を投稿するために飲食店に行くわけではなく、腹を満たし、うまかったと言うために行くわけであって自分の注文した商品を第三者に無意識で宣伝するという行為はかつてありませんでした。

明らかにSNSが作り出した常識観の変化です。

なぜ無意識で投稿するのでしょうか?たぶん、自己顕示欲の一端があるのだと思います。兵庫知事選のSNS問題で話題の広告会社社長の折田氏は見栄の塊で高級ブランドを見せびらかすようなSNSの投稿が多かったとメディアが指摘しています。

私が兵庫県知事選のSNS問題が急激に話題になり始め、公職選挙法違反の疑いあり、という報道がこれまた一斉射撃のように行われたとき、私は内心、「あほやなぁ」と嘲笑しておりました。

その時は折田氏のパーソナリティはまだ報道されていませんでしたが、「私が全部やりました」という言動そのものが明らかにおかしいのは小学生でも読み取れるわけでそれを「やっぱり斎藤氏は…」というトーンにもっていこうとするメディアの魂胆が丸見えでした。

大手はともかく無数にある中小メディアにはポリシーなど二の次で、とにかくアクセスを増やすことだけに全てを注ぎます。よって過激タイトルだし、文章構成に中立なんて許されず、右寄りか左寄りかしっかりした色付けをすることで一定層の読み手のハートを掴もうとするわけです。

読み手である一般大衆はそれに振り回されるし、もっと知りたいと思う人は信憑性が怪しいものや一面性だけを捉えた情報に「ほら、こんな話もあるよ」と飛びつき拡散するという流れでしょうか?共同通信社も生稲晃子議員に関して誤報しそれが国際問題にまで飛躍したのは、同社の記者が他社の記者から得たLINE情報をうのみしたのが原因でした。

私が見る現代のSNS構造は個人投稿のSNSにアクセス数を求める中小のメディア会社の影響力が大衆を扇動する流れではないかと感じています。中小メディアとSNSの二人三脚と言ったらよいでしょうか?

もう10年以上前から私は「SNSをやりすぎるとバカになるよ」と申し上げてきました。短文構成の表現には事実誤認をさせ、意図を十分伝えることができず、「『断面の認定』を公開することで社会に参加し、情報をシェアをするという意識」をすべての人に与えると考えるからです。

例えば冒頭の飲食店の料理は見た目という断面だけの話です。では私に「うまかった?」と聞く人がいたら「二度と注文しないと思うよ」という答えが返ってくるとは誰も知らないわけです。味もイマイチだったのですが、それ以上に箸では食べられないのでスプーンですくって食べると海鮮の山が崩れてしまい、見た目が汚くておいしそうにならないのです。

つまり料理を提供された一瞬だけの断面と実際に食した者の意見はまるで違うのですが、SNSでは後者の部分は伝わらないわけです。

オーストラリアで英断とも言える法案が可決しました。16歳以下はSNS禁止です。ただし、使用側の罰則規定はなく、提供側の本人認識の強化ということになっています。もちろん、この禁止がすぐさま100点満点の成果を得ることはなく、試行錯誤を繰り返すと思いますが、オーストラリア政府としてSNSの青少年への影響を深く懸念した結果の判断だと察しています。

SNSをするのに本人確認をするのには二段階確認などの手法により大多数の抑制は出来ると思います。もちろん、VPNなどを使えばどうにかなるという意見もありますが、そこまでして繋がりたいか、といえば多くの人は諦めると思います。SNSは同世代の人たちが読んでくれることで盛り上がるわけでその大きな柱が失われれば自然崩壊するのでしょう。

余談ですが、チャットGPTで試験の解答をすることが問題になりました。当地の大学ではレポートなどにAIによる支援を受けたと思われる内容があった場合、1度目は厳しい警告、2度目は即刻退学処分になるため、学生は参照にはすれどそのまま書き写すという愚はほとんどないようです。

私の関連する事業の採用面接の際に簡単な質問を提出いただいています。ある応募者がチャットGPTの回答を丸写ししてきました。この方に面接で「あなたの言葉でもう一度答えてください」と聞きましたが採用に至りませんでした。姑息なことはバレるし、心証は極めて悪いということです。

私はSNSは悪だとは微塵も思っていません。要は使い方であり、発信者の責任と受信側の認識を時間をかけながらもよりレベルの高いものにしていく必要があるのだろうと思います。

ものごとには100の断面があるのです。そのうちのごく1つ2つをもって「こうだった」「あぁだった」といかにも断定的な口調で断じるのはおかしいし、受け手側もそれをまともに受けてはいけないのだということに早く気がつくべきでしょう。ましてや中小メディアの火に油を注ぐような低レベルの報道、そしてそれをウェブなどであたかも人気記事のような扱いにする運営会社共々、SNSの品格というものを学んでもらいたいと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年12月1日の記事より転載させていただきました。

アバター画像
会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。