「久世?なーんもないっすよ!」
中国勝山のバス待合所でチューハイを飲んでいたそのおじさんはそう教えてくれました。生まれも育ちも岡山県北・美作地方。だからこの土地のことは何でも知っているといいます。久世行きのバスを待つ20分ほどの間、ときおり聞き取りづらい方言をまじえながらどこの店がうまいだのいろんなことを教えてくれました。
でもそのおじさんは知りませんでした。
何もない久世にはこんな素晴らしい文化財があることを。
ここは旧遷喬尋常小学校。もちろんおじさんはこの建物の存在は知っていましたが、この建物から放たれるノスタルジックな空気は、訪れる者だれもを魅了させるほどだということを知りませんでした。
全国旅をしていて廃校を訪ねたことはたくさんありますが、わたしはここ以上に懐かしさを感じた場所はありません。生きてきた時代も場所も違うはずなのに言い知れぬほどのノスタルジアを感じる、そんな魅力を持つ建物です。その魅力は映画界にも知られ、「ALWAYS 三丁目の夕日」などの映画のロケ地にもなっています。
旧遷喬小学校は明治40年に開校しました。町の予算の約3倍もの費用を掛けられて造ったといいますからこの学校の開学に対する意気込みがわかります。「遷喬」とは『詩経』の一節、「出世幽谷遷于喬谷」からとられ、鶯が深い山から飛び立ち、高(喬)い木に遷ることから卒業生が立身出世することを願ってつけられた名だと言われています。戦後は遷喬小学校となり、平成2年まで学び舎として使われてきました。
建物はルネッサンス時代の洋風建築を模したもので、岡山の建築技師、江川三郎八が設計しました。備前市の登録有形文化財・閑谷学校も彼の手によって設計されており、江川式建築と呼ばれる木造大型建築を残しています。中央棟を中心に左右に広がる両翼部分に教室棟が伸びています。校章はかつてこの地方で多くの船が荷物を運んだとされる高瀬舟を立身出世の「立」の字に見立てたものです。
それでは校内をご紹介しましょう。
先述しましたが、この建物は町の予算の3年分が投じられています。真庭産の上質な杉やヒノキ、分厚い松材などが使われているためか100年経った今でもそこまでの古さを感じません。いや、時を経たことでかえって美しささえ感じます。
こちらは2階の教室。1階の教室は昔の教科書など資料館となっていますが、2階は机をリニューアルした部分はあるものの、昔の教室の姿を残しています。
講堂に来ました。今の学校だと体育館など別棟になっていることが多いですが、遷喬尋常小学校では建物の2階中央部分にありました。
講堂の見どころは何といってもこの二重折上げ格天井。高級感を感じさせる設えです。曲線部分もある天井は施工が難しく費用もかかったと思います。そんな施工を小学校で行った、当時の町の心意気に感服します。
気付けば電車の時間ぎりぎりまで1時間以上滞在して写真を撮りまくっていました。何もないと聞いてやってきた久世にはこんな素晴らしい財産がありました。おじさんにはこんないい場所がありますよ、もっと誇りにしてくださいと言いたいです。
行楽日和の日曜日でしたが滞在中に出会った来場者は1組だけ。交通の不便な場所ではありますが、もっと有名になってもいい場所だと思います。岡山県北にお出かけの際は是非一度立寄って、しばし懐かしさに浸ってみてもらいたいです。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年12月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。