人口減少時代は絶望しかないか?

要点まとめ

日本経済はこれから深刻な人口減少と人手不足に直面しますが、それを乗り越える鍵は「省人化技術」や「労働環境の改善」にあります。この変化に対応するためには、社会全体で課題意識を共有し、協力して効率的な解決策を進めることが重要です。また、技術革新が「効率化」だけでなく、「人に優しい社会」の構築に寄与することが求められています。こうした取り組みを通じて、日本は独自の強みを活かし、新しい時代に適応できる未来を創造できる可能性があります。

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ものすごく絶望的な話を聞かされるのかな?と思って読み始めたら妙に希望の持てる分析で、なんだか自分が考えている日本経済の今後とも合致する感じがした本を紹介したいんですよ。

それは、以下の本なんですが…

ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』(坂本 貴志)

この本は、以下に今後の日本が

いかに想像を絶するほどの人口減少局面に入るか

…を分析していると同時に、

案外考え方を変えてそれに取り組めば良い未来が見えてくるかも?

…とも思わせてくれる本でした。

今回はその話をしながら、「今まで」と「これから」で発想をどう変えていけばいいのか?について考えていきます。

1. 人口減少?人手不足?”これからが本当の地獄だ”

人口減少、少子高齢化、人手不足ってみんな言ってるけど、そこまでまだ「致命的」なダメージは感じたことないけどなあ・・・って思ってる人は多いと思うんですね。

コロナ禍以後コンビニの深夜営業が止まってる店が出てきたりラーメン屋がはやく閉まったりして、ちょっとずつヒタヒタと「変化」は感じているけど、まだまだ「過去の延長」の日本経済を続けられているイメージはあった。

でも、以下の図を見てもわかるように2000年前後から2015年ぐらいまでは「調整局面」であり、今の日本はやっと「減少局面」に入ったばかりなんですね。

坂本氏の本の中では、今の日本は「人口減少局面のジェットコースターの頂上から少し下ったところで、その加速度の激しさに動揺している」状態だと述べています。こわっ!

なんせこれから毎年、例えば”島根県の人口丸ごと”ってぐらいの人数が減っていくらしいんですよ。

しかも、安倍政権以後の日本というのは、「足りない労働力」を、「老人も女性もみんな働く」事でなんとか持たせてきたわけですが…

そういう「全員参加型経済」をやるのもちょっと限界が来つつある。

今や女性の労働参加率は既にG7でも上位に入っていて近々トップに躍り出る見通しな上に、以下の図のように65−74歳の就業率とか他の国とは別次元に高い。

そうはいっても70代の人が80代になっても働き続けられるかっていうと難しいわけで、ありとあらゆる手段で問題を先送りしてきた課題が一気に噴出してくる様子がわかりますね。

え?既に人手不足って言われてるのにこれがまだ「ほんの入口」状態ってヤバない?っていう感じなんですが、そういう絶望的な話を延々聞かされる本なのかと思って読んでたらそうじゃなかったんですね!

2. 労働力の”売り手市場”化

結果として、日本経済には着実に大きな構造的変化が起きていて、それは要するに「労働者の立場が強くなった(売り手市場化)」してるってことなんですね。

結果として以下のような変化は明確に起きているというデータが分析されていました。

非正規雇用の正規雇用化
非正規雇用の時給上昇
地方・中小企業・エッセンシャルワーカーの賃金の伸びが大きい
大卒初任給も大きく伸びている

あらゆる現象をすべて「ならした」ところの「実質年収」は下がっているように見えるんですが、それは要するにある時期から女性や高齢者も「全員参加型経済」に転換していく中で、「短時間だけ働いている」人のデータが紛れ込んでいるかららしいです。

「時給」はどんどん上がっているのに「平均年収」は下がっているのは、「平均の労働時間」がかなり大幅に減少しているからなんですね。

実質年収はどんどん下がっているように見えるが…

実質”時給”で見ると2015年あたりから既にかなりの上昇傾向にある。

この本は「データ」「全体感」「事例」のバランスがすごく良い本なんですが、こういう情勢下で、例えば酒田市の中小企業が待遇改善に必死になっている様子が取材されていたりもして、全体として大きな変化は既に日本経済の中で進行中であることが多面的に論証されていました。

3. 発想を変えれば怖くない?

この本読んでてなるほどなあ、と思ったのは、過去の日本経済は「需要が足りない」事で延々と苦労してきたわけですが、これからは「供給が足りない」ことをなんとかすることが重要になってくるという話です。

要するに、アベノミクス時代のように政府と中央銀行がものすごく必死になって「需要」を創り出したりしなくても、人手不足が深刻すぎて自然と「仕事はいきわたる」というか、何なら勝手に給料は上がっていく循環に当然のように入っていくことになる。(むしろ供給力不足で経済が縮小しかねないので、供給サイドの改善こそが中心課題になっていく)

少し長めに本の中から引用しますが、

これからの経済の需給環境を決定する主役は財政・金融政策ではなく、人口動態の変化に伴う構造的な人手不足に移りつあるということなのである。

今後の日本経済においては、政府・中央銀行による積極的な介入なくしても、人口動態の変化に伴って自然と市場の需給は逼迫した状態が常態化していくだろう。そうなれば、これからの日本の経済を占う上で重要になるのは、経済全体の供給能力をいかにして高めていくかという、経済学が本来想定している問題に回帰していくことになる。そして、これからの人手不足が常態化する局面においては、市場メカニズムが健全に発露する中でそれが企業の変革を促す圧力となり、日本経済のさらなる行動化を促す原動力となるのである。

で、本の中で言われてるのはこれから重要なのは「省人化投資」で、これはあふれるほど不法移民が入ってくるアメリカとかではなかなか発展させづらく、産業用ロボット技術の基盤があり、現場人材と技術者の間の距離が近いカルチャーもある日本のこれからの有望分野となるだろうという事が指摘されています。

実際に、東名自動車道の自動運転の話とか、ゼネコンが導入を模索している「ロボットと人の協業」の技術や、センシング技術を利用した介護の省人化の事例などが紹介されています。

またこの事例の選び方がすごい良い本だったんで、ぜひ詳しい話はこの本を読んでいただければと!

ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』(坂本 貴志)

4. ヤルこと決まっててて協力しあえる機運ができれば…

なんだかんだ、「省人化投資がこれからの日本じゃ大事なんです!」ってことになって、一緒になって協力していこうという雰囲気になれば、日本全体が「共通テーマ」を持てる良い効果もあるんじゃないかと思いました。

今はなんか、「この課題」がいかに日本社会にとって致命的な問題なのかを誰もアナウンスしないので、「ええ〜セルフレジやだ〜」とか「延々文句を言い合うことで仲間意識を高めてる」みたいなところがありますけど。

この記事に書いたように、ある程度資産額に余裕のある老人の医療費問題とかについても、ちゃんと老人に「若い人のために協力してください」とまっすぐ言うようなことをしていくべきだと思うんですよね。

それと同時に、「省人化投資」がいかに今後の日本にとっても大事なのか・・・をちゃんと協力しあって、ロボットと一緒に働いてる建設現場の日常!みたいなのがどんどんメディアで紹介されるようになってくる先に、「協力しあって課題を解決していける」機運を高めていければと思いました。

あと、日本社会でよくある過剰サービスみたいなものを、今後どうしていくべきかとか、移民政策にどれほどオープンであるべきかとかについて、問いかけられている本でもあったので、そこも考えさせられましたね。

移民反対の保守派の人は、この「全力の省人化投資の流れ」に必死にコミットして後押ししていただければと思います。

正直、この「省人化技術の進展」がないと、社会のあちこちで機能不全が起きて外国人は増え続けざるを得ない(規制してもブラックマーケット的に入ってくる)みたいになりそうなので。

僕の意見としては、「全力で省人化技術を磨き続ける国民的合意を作り必死にやる」上で、それでも足りない部分は自然と外国人に頼らざるを得なくなるだろうから、そこはちゃんと日本語覚えてもらって日本社会に馴染んでもらう仕組みが必要だよね、というぐらいの感じでしょうか。

なんにせよこの本読んでて思ったのは、2000年代〜アベノミクス時代の日本というのは、「必死にみんなに職を配る」ことをあらゆる点で優先していて、それが色々と「非合理な部分も温存」していた部分はあったといえるのかもとおもいましたね。

これからは「少ない人員で必要な供給をやりきる」ためには、もう必死になって「効率化」をしていかないといけない状況に追い込まれるのは、「日本的苦労の押し売り」みたいなのが大嫌いだった人にとっては良い風潮になりえるのかも。

あと、「脱成長」云々みたいなことを言っていた人が「本当は目指したかった形」も実はこういうところにあるんじゃないかという感じもしますね。

「無理やり数字を作るためのかさ増し」を政府がやるんじゃなくて、実際に切実なニーズがあるところに適宜供給が自由自在にいきわたるようなメカニズムを信頼して・・・みたいな流れになっていくことは、やたら国家主導経済にアメリカも中国もなっていく流れに逆行する形で「本来的な」ゴールを目指せる流れになりえるのかもと思いました。

今年のノーベル経済学賞研究を引用したこの記事で書いたように「国家が無理やり握りしめる経済」を徐々に手放していかないと、中国経済の不調の二の舞いみたいになっちゃいますからね。

そこにむしろ「経済学の教科書通り」の形が見えてくるのはいいことなのかもしれません。

5. 「雨が降ったら傘をさせばええんですな」

「無駄に需要を作らない、供給を徹底に効率化する」という「今後の世界」を考えると、”経営の神様”松下幸之助が言ったという「雨が降ったら傘をさせばええんですな」という精神が大事になってくるんですよね。

これ、めちゃくちゃ日常風にテキトーな事を言っているようで、ものすごく本質を突いた発言という感じで僕は好きなんですが。

雨が降ってきたら傘をさせばいい。寒くなったらコートを着れば良い。暑くなったら脱げば良い。いちいち大騒ぎしないで「対応」していけばいいし、それこそが「経営」なのだ、っていう金言ですね。

「需要側でなく供給側こそが課題」の時代には、この「雨が降ったら傘をさせば」型の「こだわりのない対応精神」が大事になってくるなと思ってます。

それと同時に、今回紹介した坂本さんの本は来年出る僕の本と本当に似た未来を想定している部分があるんですが、「省人化技術」のイノベーションを日本で急激に起こしていける可能性は必ずあるはずだと思っています。

そのためには、さっきもちょっと書いたけど「日本経済の強い部分」がちゃんと「必要なイノベーション」を起こせる流れを自然に共有していけるといいですね。

「新興のベンチャーしかイノベーションはできない」みたいな話、日本でもそうでなくては!って思ってるとあまりうまく行かない可能性あるなと思うんですよね。

「物流の人手不足」とか「地方の交通問題」とかそういう「ガチの課題」に対して、官民&オールドメディア一体となってちゃんと対応していく流れが実現していく方が、日本らしい成功にはなりえるんじゃないかと思ってます。

そうやって「お茶の間の関心事」と「最新技術の実装プロセス」みたいなのがうまくシナジーするようになっていくと、今の日本に薄っすら蔓延している「新しい技術嫌い」みたいな雰囲気も変わってくるんじゃないかと感じてます。

今はなんか、「お茶の間とは関係ないところ」でMBA的人材とソフトウェアエンジニアだけが密室で謀議してる印象になってるからね・・・

ここ10年〜20年ぐらいの世界的なイノベーションは本当にアメリカに新興ビッグテック主導のものばかりのように見えるんで、「ソレ以外のやり方」なんかありえないのでは?って思っちゃうんですが…

でも、世界中で2007年にiPhoneが発売されるより8年も前の1999年から当たり前に携帯でインターネット接続ができた神秘の国が極東にあったことを思い出しましょう。

あれ、電通とか官業由来の大企業とかも入ってて、決して「MBA人材とソフトウェアエンジニア」だけで全部決めてない感じだったのが、ある種の「日本らしさ」としての成功要因になってた部分はあるように思うんですよね。

人手不足という「ワイドショーレベルでも理解できる現実」に対して「じゃじゃーん、こういうソリューションができました〜」ってワイワイ毎回やりながら進めるという迂遠なようなことをちゃんとやるってことが大事なんじゃないかと思います。

アメリカでも自動運転タクシーが群衆に嫌われて炎上させられたりする事例起きてるんで、「さぁてみなさんご一緒に!」みたいな要素がなくなっちゃうと人間社会はダメなんだ、という当たり前の話が徐々に明らかになってきてる時代でもありますよね。

「やるべき事が決まっていて解くべき課題がわかっているものをカイゼンし効率化する」のは日本の得意分野だし、移民を入れまくっている諸外国に比べると切実なニーズが断然あるから、日本がそこで活躍できる可能性は十分あるはず。(坂本さんの本にもまさにそういう話が書かれていました)

ほんと、なんか「めっちゃ絶望的な話」を聞かされるのかと思ったら「妙に希望がある話」に着地して「おや?」ってなった感じの名著でしたね。

それと同時に、今の日本社会でそれぞれの持場で働いている同世代が、「同じようなビジョン」を目指して仕事をしているんだなあ、という「同志に出会えた喜び」みたいなものも感じました。

「雨が降っているからといって傘をさすというのは人間としてどうか」「傘をさせない人のことを考えたことがあるんですか」みたいなそういう事を延々言ってないで「傘あるなら傘さしてくださいよ。あと傘させないタイプの人に傘させるようにしてあげる工夫も一緒に考えましょう」という当たり前の話をプレーンにクリーンに積み重ねていける情勢にどんどん変えていきましょう。

ちょっと風邪が酷いのでいつもより短めですが、それでもそこそこの分量の記事を読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、最近の大病院はめっちゃ効率的でその「効率性に癒やされる」みたいな話をさせてください。

ここ二週間ぐらい妻の体調が本当に悪くて、原因不明の酷い頭痛で何度も明け方に吐いたりして、何度か深夜に車で病院につれてったりしたりして、なんかその「看病疲れ」で僕の方まで今風邪引いちゃってるみたいになってるんですが。

その担当してくれた若い女医さんが、「平成時代風キラキラネーム」の人で(笑)、また見学してるZ世代の研修医さん(男の子)とのコンビがなんかすごい良い感じだったんですよね。

その他、色々と「流れ作業」に病院全体が組み上げられていて、なんだかんだこの「効率性」が快適だなあ、と思ったという話をします(だいぶん奥さんの体調が回復してきてそれぐらいの事を思う余裕ができてからの話ですが)。

で、考えたいことっていうのは、多分、古いタイプのお医者さんが患者さんにウェットなレベルで思い入れていた気持ちと、その「若い女医さんの診察スタイル」が患者さんに対してものすごく親身になって情報を得ようとしてくれる基本的なモードを身に着けているのとは、「全然違うなりたち」で出来上がってるんだろうなと思う部分なんですよね。

その女医さんは旧世代的なお医者さんに比べると根底的にはかなりドライな世界観で出来上がっていて、でもそれがお互いにとっていい、みたいな感じはあるなと思いました。

なんかそのあたりの考察と、でもそこに「新しい時代の文明の優しさ」というものがあるのかも、という話を聞いてほしいんですよね。

そこから、これから進むべき日本における「省人化投資」が殺伐としたものにならず、「文明の優しさ」が感じられるようになるために必要な配慮はどういうことか?という考察をしてみたいと思っています。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。