黒坂岳央です。
人生には「後からどうやっても取り戻せない要素」がある。多くの人は「お金」をそのように考えがちだが、お金は明確に違う。その気になれば必要なだけ働いて取り戻せばいいからだ。しかし、一度取り逃がすと二度と返ってこないものが人生にはいくつもある。
若さ
その最大の要素とは「若さ」である。ここでいう若さとは体力的なものや、挑戦、容姿ではない。何歳になっても過去の自分が出来なかった領域に挑戦し続ける人はいくらでもいるし、体力も運動をすることで後から作ることだってできる。容姿はむしろ、人間離れした若さを求めるより「年相応」で十分だろう。
それでは若さにおける真価とはなにか?それは「感受性」である。若い時は知識や経験がないために、世界のすべてが輝いて見える。いいガジェットに心ときめき、海外に心躍らせ、人との出会いがある度に刺激を受ける。しかし、年を取ると感受性は衰える。
しかし、人生経験をして知ってしまうことで、受け身の娯楽がくすんで見えるようになる。筆者はサウンド好きで、先日40万円近くのスピーカーを購入した。スイッチを入れるとまるで目の前に雷が落ちるようなド派手な重低音が響き、想定以上だったので強く感動をした。だが、思い返せば若い頃に1万円にも満たない「重低音ヘッドホン」を手に入れた時は嬉しくて目を輝かせていた。感受性が衰えると感動する基準値がこのように年々ドンドン高くなっていく。
また、「若い時にしかできないチャンス」も忘れてはならない。若い人の輪に入って騒ぐ体験や、過去のアセットをすべて捨てて未開拓の地にリスクを取って挑戦することは極めて難しい。年を取ると物理的に可能でも社会的に不可能になることはたくさん増えていく。
目先の小銭を貯めるよりも、若い時にしかできない年齢相応の体験をしておかなければ、後からどれだけ巨万の富を得てももう二度と買うことが出来なくなる。
社会性のある人格
人間はどこまでいっても社会的な動物である。それは独立しても全く変わらない。むしろ、独立すると会社員のように軌道修正してくれる人はいなくなってしまうので、かなり意識して自分で好ましい振る舞いが出来ているかを気をつけるべきだ。
ところが、社会生活を送る上で難しい人格が世の中にはある。たとえば負の感情で相手を従わせようとするものや、依存体質、ネガティブ思考で愚痴不満が多すぎる、そして相手から奪うことしか考えないテイカー気質といったものがあげられる。
人格は一度形成されるとなかなか後から変えることが出来なくなってしまうので、こうした社会性の欠如した思考・行動で成功体験を得ることでその後の振る舞いも反社会的な人格が深く根付いてしまう。
一度こうなるとよほど強い意志力、メタ認知力、論理的思考力があるか、もしくは真摯に助言してくれる友がいなければ後から軌道修正は難しい。年を取ると注意してくれる人もいなくなるので、理想的には人生の早い段階でこうした行動にダメ出しを受けることで「こういう生き方は回り回って自分が損をするのだ」という理解をするのがよいだろう。
友達
中高年以降は誰しも痛感するのが「友達の獲得は若い頃の特権」という事実だ。
ありがたいことに仕事を通じて、強い信頼関係のある取引先、顧客を自分は持っている。子供のクラスメイトのパパ友、パパ友にあたる人も何人かいる。だが彼らは「友達」とは明確に違う。真の友達とは完全に利害関係のない相手なのだ。
一緒に食事をしてバカ話をしたり、旅行へ行って騒いだりといった相手は40を過ぎるといよいよいなくなる。長く連絡をしないと名前を忘れてしまう。相手はこちらを覚えていても自分は覚えていない、ということもある。
友達は非常に脆いつながりであり、一度切れてしまうともう二度とつながることはない。かといって今から作ることはもはや不可能、大人になるとどうやっても利害が生まれて友達ではなくなる。
「仲の良かったあの人、連絡先を聞いておけばよかった」と思うことが今でもある。だがもう二度と届くことはない。
◇
人生は生命活動を停止するまでずっと続いていく。その過程で一度失うと二度と戻ってこない要素はいくつもある。その時、手元にあるタイミングでその価値に気づくことは大変難しい。人間は失ってからしかその価値の本質を理解することがない生き物なのだ。
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