今日はマネーの哲学を考えてみたいと思います。人はなぜお金にこだわるのか、です。
マネーがない時代、人間は物々交換という手段で違うモノを入手していました。生きるという前提の中でわずかな選択肢をまるでカードゲームのようにこれとこれをトレードする、という形で必需品を確保していました。
時代が進むと交換手段の媒介にマネーが生まれます。そりゃそうです。江戸時代のように石高で言われてもコメの持ち運びを含め、うまくないわけです。江戸時代の人の食事は質素でしたが、それは流通という手段がなかったこととそれを媒介する貨幣経済が十分に育っていなかったことがあるでしょう。
現代社会で流通も貨幣も十分に発達すると、我々は本来交換手段であるはずのマネーを重んじるようになりました。そうです。ここに話の原点があるのです。マネーは手段でしかなく、あくまでも本人が何らかの物質的提供をすることでそのマネーを取得できるのです。
江戸時代の士農工商のうち、農工商は労役を行い、一定の商品を提供したり物流やサービスを提供することでマネーを得ていました。故に江戸時代に一番、金を持っていたのは商人であったわけです。金がないのが士であり役人でした。争いが少ない江戸時代の士は下働きしてようやく食っていけたのです。つまり労務という提供があってこそ、マネーを得ることができたのです。
これを原点とすれば、食うために労務を提供する、つまり死活問題ともいえます。
ところが現代社会では食うだけはなく衣と住をまず確保し、その上でさらに蓄財をして欲望を満たそうとします。これがマネーを欲する理由です。若者が「金がねぇー」というのは若いうちは物事に対する興味が旺盛であり、個人の欲望も全く満たされていません。わかりやすく言えばコップに欲望というミルクを注ぎ込むようなものです。これが年齢と共に満たされていき、60歳代ぐらいになればコップはほぼ満タンの状態になります。もちろん、例外もあるしこれがすべてを語るわけではありません。
非常に簡略化していえば私の見立てる人間の金銭欲というのはこのようなものだろうと察しています。唯一の違いはこのコップの大きさであります。ある人の金銭欲はひと息で飲める180mlのカップ、ある人はミルクピッチャーサイズであるわけです。ミルクピッチャーの欲望の人にミルクが半分しか入っていなければ「もっと欲しい」と思い続けます。
ではここで質問。大きいミルクピッチャーの人はその金銭欲で何を得ようとしているのでしょうか?こんな質問をすると「お前、馬鹿じゃないの?欲しいものなんていくらでもある」と言われそうです。確かに賃貸アパートより眺望の良い超高層マンション、軽自動車よりベンツ、ユニクロのダウンじゃなくてモンクレールを着たいとかあるでしょう。でも私にはそれは足が地についていない浮ついた消費を個人の価値観というより他人との比較の中で欲しているように感じるのです。
コロナの時、化粧品や衣服の売り上げが落ちたのは「他人の目」消費がなく、本質消費になっていたとも言えないでしょうか?
私は飛行機はいつもエコノミークラス。しかも大学生が買うような一番安いチケット(今はエコノミークラスも3段階ぐらい価格差があります。)です。「お前、たまにはビジネスとか乗りたくないの?」と言われれば「ただなら乗ってもよいが4倍のお金を払う価値を見出せない」と答えます。JRのグリーン車料金は付加価値に対して妥当だと思うので喜んで払います。
つまり私の場合は他人の目なんて全く気にならない、あくまでも自己の信念に基づいてのみ、消費活動をします。その中で自分の価値観を満たすために必要なお金はどれぐらいかということはもう何十年も家計簿を通じて月々すべての消費額を把握しているので「これぐらい」というものがあるのです。
バブルが崩壊した頃、日本では高額ブランドもの消費志向から自分の身の丈消費に変わりました。(いや、変わらされたというべきかもしれません。)これはある意味、多くの日本人を目覚めさせたのです。「他人の目じゃない、自分の目だ」と。これは多くの日本人がお金にとらわれ過ぎない幸福を追求するようになったきっかけだと思います。
バブル崩壊後を「失われた〇年」という表現をします。私も確かにそういわせて頂きました。ただ、実は得るものもあったのです。それはお金では得られない価値観です。私のようにカナダと日本を年に4回ほどコンスタントに行き来していると人の価値観の違いを感じるのです。
端的に言うと北米はかつて運動会でやった人間ピラミッド(組体操)のように人と人が上下の関係なのです。なので下の者が押しつぶされれる前に少しでも上に行こうと努力します。一方、日本は横一線で飛び出す者も少ない感じ。また、ゆとり教育時代とは違い、皆がそれぞれに個性を持ち合わせている感じです。
ひたすらお金持ちになりたい人はそれを目指せばよいでしょう。ただし、事業経営者として申し上げれば事業で成功する人はお金儲けをしたいからではありません。その商品なりサービスを多くの人に紹介し、提供したいという愛がビジネスを成功させるのです。お金は後からついてくるものです。
お金、お金という人をたまにお見掛けします。そういう方を英語でgreedy(貪欲)と言います。そういう人とは価値観の相違を感じます。この人はお金以外に信じるものがない不幸な方なのかもしれない、と。
人はどうしてお金持ちになりたいのだろう、という命題に対して私はこう答えます。お金持ちになりたいと思わせられているだけですよ、と。老後が心配でいくら必要という話とは切り離すべきです。メディアが「数千万円入りますよ」というのは一般論であって個別で見れば1億円必要な人もいれば今の年金だけでやっていける人もいるのです。まずは自分の価値観に見合ったお金との付き合い方を考えたい、これがお金の哲学じゃないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年12月22日の記事より転載させていただきました。