「生涯学習のユーキャン」の「アンガーマネジメントコラム」に、「感情コントロールするための7つのポイント|感情のコントロールが難しい原因とは?」と題された記事があります。その7ポイントとは、①深呼吸をして数秒待つ、②怒りのポイントをよく見極める、③ポジティブな言葉で自分の思いを伝える、④完璧な理解者はいないと考える、⑤物事を引きずらないための自分のルールを作っておく、⑥自分を癒せることをする、⑦睡眠を十分に取る、とのことです。陽明学の祖・王陽明の言、「天下の事、万変と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以(ゆえん)は喜怒哀楽の四者を出でず」の中にも「怒」が含まれているように、怒りという感情を持った動物として天は我々人間を創りたもうたのです。人間である以上、誰しも腹が立つことはありましょう。
例えば孔子は顔回の「怒りを遷(うつ)さず」(雍也第六の三)という態度、即ち八つ当たりをしないという部分を高く評価していたわけですが、『論語』を読んでいますと孔子自身も之また強く怒っている場面が殆ど見られません。但し、常に穏やかな人物であったと想像できる孔子でも、全く怒らなかったというわけではありません。宰予という弟子が昼寝をしているのを見、「朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、糞土の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。予に於いて何ぞ誅(せ)めん・・・腐った木に彫刻はできない。汚れた土塀は塗りかえできない。おまえのような男は叱る価値すらない」(公冶長第五の十)と、殆ど罵倒と言って良い程の激しい言葉で叱責しています。解釈本に拠れば此のとき宰予は女性と一緒に寝床にいたという説もありますが、馬鹿に付ける薬はないという位の厳しい調子で孔子も非難しているのです。
私は嘗て当ブログ「北尾吉孝日記」(16年6月15日)で次のように述べておきました――人を怒るということは基本、その人の何かが悪いから怒るわけで、先ずは何ゆえ怒っているのかその理由をクリアに示さねばなりません。怒った結果、プラスに働かず寧ろマイナスに働くのであれば、怒ってみても仕方がないかもしれません。怒っている理由が怒られている方に理解され、納得が得られるよう丁寧に伝えねばなりません。様々な言い方を用いて工夫しながら、説明することも大切です。また怒ったらそれで仕舞ではなしに、今後二度と同じような問題が生じないよう、よく念押しをすることも求められます。また念押しした後は、何時までもぐずぐず言ってみても仕方がないわけで、その話は之以てストップとしなければなりません。
私自身は、あらゆる怒りが全て悪いことではないと思っています。例えば「義憤:ぎふん…道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり」という言葉がありますが、取り分け正義や大義が踏み躙られたことに対する憤は当然あるべきで、絶対に無くしてはいけないものです。但し言うまでもなく、憤懣(ふんまん)を抱いても決して暴力に訴えてはなりません。怒るということは、大変なエネルギーを要します。怒る時には下らない事柄で怒るのではなくて、社会正義に照らし正しいかどうかを判断基準とし、常に抑えるべきところは抑え、真に怒るべきところに大いに怒らねばなりません。
余計なことは考えず先ずはタイムリーに怒るべきをきちっと怒り、その後きれいさっぱり忘れて何事もなかったようにするのがベターです。怒られた人が翌日まで落ち込まぬよう、フォローしてやることはあっても良いかもしれません。私は上記こそが、例えば上司の在るべき姿であり、「アンガーマネジメント」における要諦だと思っています。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年12月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。