『裁判官訴追委員会への提出』は後付けされていた:元医大生2名大阪高裁逆転無罪判決の抗議署名

署名という手法そのものへの攻撃

『裁判官訴追委員会への提出』は後付けされていた

魚拓

Change org上で10万名の署名を集めた、元医大生2名に対する大阪高裁による逆転無罪判決に対するネット抗議署名が複数回変遷していたことを前回記事で整理しましたが、署名を立ち上げた本人が、『裁判官訴追委員会への提出』という記述は当初は無く、後付けされていたことを暴露していました。

なお、このアカウントが署名作成者本人であることの判断は以下。

署名は名宛人・提出先が重要な要素:瑕疵ある署名を提出するのか

とある署名活動のためのアカウント on X: "@KvqzUKFg5681909 内容を書き換えたのは、“背信”と捉える方もいらっしゃるか…

署名って【どこに送付するか?】が重要な要素でしょう。その根幹目的を変更するなんて、署名という文化、手続をなんだと思ってるんでしょうか?

X上を少し調べただけでも、裁判官訴追委員会への署名提出があるから署名をした者も相当数います。10万の署名が集まったのは、大半が「個人で訴追請求事由を記した文書と共に」が書かれた状態の期間です。

署名ページの内容が何度も変わって送付先も変わってるのに、署名ページにその旨を記さず、変更されたことも不十分にしか通知されてないのに「騙しだと感じるなら署名のキャンセルをお願いしています」っていうのは、あまりにも不十分な対応でしょう。

現在の当該ページに書かれている署名の扱いは、裁判官訴追委員会へは法律上の罷免請求の添付資料ではなく、単なる意見書の添付資料として送付することを考えているという趣旨のことが書いています。

が、法律上の手続であるかどうかによって署名の扱いの問題は変わらないでしょう。

本文も当初は「拒否の言葉を卑猥な発言」と真逆に誤認していた

12月21日2時31分47秒時点の魚拓

現場映像での女性の、「やめてください」「絶対だめ」「嫌だ」といった拒否の言葉を、「性的な行為の際に見られることもある卑猥な発言という範疇のもの」と判断した

更に、署名の本文も当初は「拒否の言葉を卑猥な発言」と真逆に誤認していました。

この時点で6000人が署名してたのに。

現在は以下の記述に変わっています。

現場映像での女性の、「やめてください」「絶対だめ」「嫌だ」といった明確な拒否の言葉があったにも関わらず、加害男性の暴力的な言動を「性的な行為の際に見られることもある卑猥な発言という範疇のもの」とし

この記述は報道で説明されている高裁判決の内容を踏まえたものになっています。男性側の発言が「卑猥な発言」でした。

21日の11時56分39秒から12時5分57秒の間に修正されたようです。

「やさしさ」による暴走とVictimhood=被害者文化による責任回避仕草

archive.md

勢いや怒りのままに起こした行動」と本人が書いていたにもかかわらず、その後、多数人から署名の撤回を求められたら、自己を『「弱者」のために表現の自由を行使する「やさしい」人』と見られたいかのような発言が振り撒かれました。

武器にならないように気を付けます」とか、言葉だけ並べてるけど、やってること・やろうとしたことの本質は、喩えで言うなら爆弾を投げようとしてることでしょう。

国家権力を発動させて他者の生業を奪おうとしているのだから。

正当な活動だというなら、その重さから逃げるな。

自分の行動の源泉が「やさしさ」だと思ってるのでしょう。

箴言してる人に対しても「強い言葉をお使いに」と、自身への攻撃と受け取って被害者ポジションを取り、「このアカウントの過去のポスト並びにいただいたリプライへの返答に全て目を通して」と、過大な要求をしつつ…

「個人の意見の表明かつ賛同の場を、やってはいけない、と言うことは流石に私でも違う」「強制的な意見に私は弱者が立ち止まってしまうことに“NO”と申しあげ」などと、いつの間にか自分を「弱者」「被害者」に見立てています。

こういうムーヴが、【「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」[ 林智裕 ]】で示された Victimhood Culture=【被害者文化】と呼ぶべきなのでしょう。

『罷免の訴追を求めることができる』という裁判官弾劾法の法律上の文言を引いて『行使することは正当な権利』とまで書いてるにもかかわらず、『この一件で罷免が決まることもおかしいと考えています』とか書いているのは、自分の発言の客観的な意味とは真逆の考えを持っていたということを意味するのですが…

これでよく”No means No“とか言えるなと。

こんな署名に、東京大学の教授を含めた60万もの署名が集まっているという恐怖。

こうした軽挙妄動が、災害時や事件が報道された際に何度も発生し、マスメディアによって助長されてきた。こうした動きは「社会知」として記憶にとどめておくべきでしょう。


編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年12月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。