問題をいつも先送りにするのが日本の政治
首相公選制の必要性を中曽根元首相が説いたのはもう半世紀前になる。日本の政界で改革の必要性を説いても、それは言葉だけで終わってしまうのが常なることである。元々、保守的な国民性の間にあって、しかも平和な世の中だと、犠牲を伴う改革などできはしない。
例えば、経済成長について挙げると、この30余年全く進展がない。他の先進国であれば国民が黙ってはいない。同様に少子化問題についても、30年前からその問題が分かっていた。ところが、今もそれに真剣に取り組んでいない。もう手遅れの感がする。
アルゼンチンの凋落は日本の将来を暗示している
アルゼンチンは19世紀末から20世紀初頭において世界経済でトップの国の一角を占めていた。当時は食料の宝庫としてヨーロッパ向けに輸出していた。この100年余りの凋落で、戦後デフォルトを8回もやる国になり、毎年のごとく高騰インフレに苦しむ国になってしまった。その根底にある問題は、政治の腐敗とお金のバラマキ、それにインフレである。それから脱却するには強度の改革が必要であるが、これまで誰も手を付けなかった。
ところが、3年前に初めて国会議員となり、嘗ての経済大国に復活させると誓って昨年大統領選に立候補し当選した人物がいる。彼の名前はハビエル・ミレイ。オーストリア学派とシカゴ学派を信奉する経済学者で、自由経済の必要性を説いた。これまでの社会主義的政治は規制が多すぎるとして、それを廃止して行くことを公約に掲げた。そして公営企業も民営化させるとした。勿論、インフレもなくすと誓った。
アルゼンチンでは高騰インフレと政治家の汚職で長年経済が発展しないことに多くの市民は不満を感じていた。そこにアルゼンチンを自由経済に戻し、高騰インフレから脱却し、経済大国に変身させると誓って登場したミレイ氏に多くの国民が期待を寄せた。特に、高騰インフレの国としてしか知らない多くの若者はミレイ氏を全面的に支持した。
また彼は私生活でも一風変わった人物として良く知られた。最初は一匹の犬が唯一の相棒だった。その犬が亡くなると、そのクローン犬を5匹育てている。その5匹の犬の名前はオーストリア学派とシカゴ学派の著名学者の名前を付けている。しかも、問題があると、その問題の内容によって相談する担当の犬がいて、その犬から回答を得ているという。それをテレビ対談などで真顔で語るので、ミレイ氏は「気の変な人物だ」という異名がついた。と同時に、彼は神様の力を信ずる人物でもある。
長年の慢性インフレから僅か11カ月で脱却
筆者がミレイ氏を取り上げたのは、昨年12月に大統領に就任して僅か1年でアルゼンチンの長年の慢性病であった高騰インフレから脱却させたからである。これは奇跡と言えるほどの偉業だ。ミレイ氏は高騰インフレから脱却するには歳出の削減と財政の黒字化。インフレを誘う紙幣の発行の禁止。これらのことをほぼパーフェクトに実行して行ったのである。彼が大統領選の決戦投票で56%の支持を集めて勝利したが、1年経過した現在でも50%以上の支持率を維持している。
歳出削減ということで、それまで政府から多くの部門に補助金が支給されていたのも大幅に削減。それは特に貧困層に影響を与えている。しかし、それでもインフレから解放されて、給与アップ率が物価上昇率を上回ったのである。また、政府で不必要な部署や業務が重複している部署も廃止した。それで3万4000人の官僚を解雇して歳出を削減した。ゼネストもこれまで2回経験しているが、労働を意味なく邪魔する労働組合を弱体化させる方向に向かっている。それを国民もまた支持している。
また公営企業についても民営化にする課程を既に歩んでいる。
選挙で公約したことは必ず実行に移している
ミレイ氏は選挙戦で有権者に公約したことを実行している。単に、選挙戦の公約だけで終わっていない。勿論、彼が所属している政党「自由なる前進」は議会では非常に少数派でしかない。それでも法案ごとに野党を説得して賛成に回られているのである。それには、今も国民からの支持率が断然高いというのが強力な味方になっている。だから、野党も国民には逆らえないのである。
日本で首相公選制なくして改革は無理だ
筆者がミレイ氏の例を挙げたのは、日本で首相を有権者が直接選ぶような制度が必要だということである。首相を有権者が直接選ぶようにすれば、首相候補者は必要な改革を公約として国民の前に誓うことができる。それで選ばれたのであるから首相はその公約を実行して行かねばならない必要に迫られる。
今の国会議員と党員が首相を選ぶ制度では、首相に選ばれても必要な改革を実行していないというのがこれまでの実情である。また実行しなくても、党内で充分な支持を確保していれば首相であり続けることができることになっている。
首相公選制にするには憲法を改正せねばならないという意見がある。それは改正すれがよいことだ。戦後、米国から押し付けられた憲法を金科玉条のごとく今も守り続けていること自体が異常である。
兎に角、現行の政治制度では改革など単に言葉だけで終わってしまう。それがこれまで証明されている。首相がリーダーシップを発揮するには国民から直接選ばれたというバックボーンが必要である。そして選ばれた首相は国民からの支持を支えにして必要な改革を断行していくことになる。
そうなれば、自ずと首相が先頭を切って閣僚そして官僚を指示して行くことができる。それに従わないのであれば、解雇すればよい。それだけの権利を国民から与えられているのである。ミレイ氏の場合、政権誕生から1年が経過したが、大臣や局長や次長などトップ官僚ら凡そ100名が入れ替わっている。大統領が国民に公約したことを大臣と官僚が遂行しないからである。
金権政治が蔓延している今の政治では政治家が動かない
最後に付け加えねばならないことがある。現在の国会議員、特に与党議員の政治献金に甘えている現状では首相公選制が国の為に良いと分かっていても、それをやるだけの勇気はない。なぜなら、ひとりの議員が抱えている複数の秘書に給与を払って行くには政治献金失くして維持は難しいからである。だからこの改革に乗り出すと落選すかも知らないと思うと、改革をしようという勇断は下せない。なぜならそれで落選したら秘書を解雇せねばならなくなるからである。
だから首相公選制を実施できるようにするには国民が強い圧力を政治家に加える必要がある。これを推し進めないと落選するかもしれないという危機意識を政治家にもたせるぐらいの圧力が必要である。
と同時に改革せねばならないのは、今の日本の政治体制では政権が代わっても、官僚は同じだ。これでは改革は無理である。
このまま改革なく日本の政治が続くようであれば、日本は近い招来間違いなく後進国になる。