今月発売の『文藝春秋』2月号にも、連載「「保守」と「リベラル」のための教科書」が掲載です。戦後80年の最初の月に寄せて、私が採り上げたのは石川淳の代表作「焼跡のイエス」(1946年)。
敗戦直後を代表するこの短編のあらましは、ずばり、まずは以下のリンクから読めるところまで読んでいただくとして、文字数の関係でどうしても書けなかったことを、今回はお話ししたく。
この小説、舞台が前半と後半で微妙に違うんですよね。コラムで採り上げた喧騒溢れる上野の闇市は、前半。後半はそこからちょっと歩いて、むしろ閑静な谷中に移ります。
「太宰春台の墓のある寺」と記されますから、台東区谷中の天眼寺。今日の様子や上野との位置関係は、こちらのサイトが見やすいかと。
作者の石川自身を思わせる主人公は、春台の墓石に彫られた銘文に興味があり、拓本をとって持ち帰ろうとしている。別に豪邸に飾ろうというのではなく、ボロ家でせめてもの文人趣味を満たしたいだけの、けなげな話です。
ところが彼を、上野の闇市に顕現した「イエス」――あらゆる理解や安易な同情を拒絶するかのような浮浪児が、追いかけてくる。その描写が迫真で、かつ、大事なことを読む者に伝えてきます。
わたしは小さい風呂敷包をさげている。包の中には、拓本用の紙墨とともに弁当用のコペ〔パン〕が二きれはいっている。拓本がとれたときには、それは亡びた世の、詩文の歴史の残欠となるだろう。仮寓の壁の破れをつくろうにはちょうどよい。
(中 略)
不思議なことには、この山の上の広い場所で眺めると、〔追ってくる〕少年の姿は市場の中におけるがごときイエスらしい生彩をうしなって、ただ野獣などの食をあさってうろつくよう、聖書に記されている悪鬼が乗り移った豚の裔の、いまだに山のほとり水のふちをさまよっているかのようであった。
『日本近代短篇小説選 昭和篇2』
岩波文庫、60頁
(強調は引用者)
上野から谷中に移った作者(だとして)は、太宰春台という著名な歴史上の人物と、ゆかりの碑文を入手することに心奪われている。つまり、後世に作られた評価に基づいて、「あぁ、春台の墓の銘なら、思想史の史料として価値がございますなぁ」みたいな評判を得たいと思っている。
こうして視点が同時代を外れてしまった結果、さっきまではイエスのように畏怖を覚えていた浮浪児の姿も、単に「汚ったねぇなぁ」という風にだけ見えてしまう。しかしこの後、「イエス」は主人公に追いつき、そうした驕慢に徹底的な復讐を果たして(読んでのお楽しみ!)、去ってゆく。
文学性のない口語体に翻訳しますと、「これ、江戸時代に彫られた貴重な文章なんすよぉ」と、まるで骨董いじりみたいに自国の過去に接して、ウッヒョー俺の歴史研究ってジッショー的! と舞い上がる主人公を、
「だからなんなん? そんなんがお前にとっては歴史なん?」
と、歴史それ自体が殴りつける話としても読める。ここにたまらない爽快感を覚えるわけです、私としては(笑)。
元日に、今年の夏まではにわかに「歴史の大事さ」を説く人が大量発生しますと、警鐘を鳴らしました。改めて、ホンモノとニセモノの歴史を区別する基準を確認しますと、こんな感じになります。
過去を訪れるとき、自分がいま持っている(つまり、後世に作られた)先入見や価値観をいちどは捨てて、まだ一切の意味づけがなされていない「イエス」のような存在に出会う準備ができている。そうした姿勢で描かれる歴史が、ホンモノ。
逆に、これは史実、あれは違うと、あたかも「大審問官」かなにかのようにエラソーな判定を下しながら、実際はすでに自分が持っている価値づけを前提として、それに沿う形でのみ、過去からファクトをつまみ食いする歴史は、ニセモノです。
辞めたおかげで遠慮なく本当のことが言えるわけですが、歴史学者って、はっきりいって大審問官が多いんですよ(苦笑)。歴史のイエスに出会うにはむしろ、まったく異なる素材と方法がいる。
今年の5月に刊行予定の新著では、まさしく戦後史を「イエスに出会える」新たな手法で読者にお届けする所存ですが、今回のコラムはその先触れだと思っております! どうぞ、多くの方の目に留まりますなら幸いです。
(ヘッダーは現代ビジネスの記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。