はじめに
全国紙の販売部数が減り続け、10年もすれば消え去る業態とまで言われている。
業績回復が見込めない全国紙が、どのように終わって行くかを明らかにしようと思う。「権力監視」ばかりを口にする彼らが失ったものは、信頼と顧客だけではなかったのだ。
いま全国紙はどうなっているのか
日本国内のほぼ全域で販売されている新聞を全国紙、複数の都道府県にまたがって販売されているものをブロック紙、特定の地方で販売されるものを地方紙と呼ぶ。全国紙は朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞だが、近畿圏と関東圏に発行部数が集中している産経新聞をまれにブロック紙や大阪の府紙として扱う場合もある。
ここで言う「販売」とは紙の新聞を配送のうえ店頭販売したり宅配することなので、インターネットで記事が公開される時代には全国紙や地方紙といった分類はそぐわない表現のようにも思われる。しかし地方紙は生き残りをかけてデジタル化を進めているものの、資本力や取材網の差だけでなく知名度の低さによって未だに全国紙のシェアを凌駕するまでにはなっていない。
とはいえ全国紙が安泰なわけではない。過去15年で全国紙5紙の発行部数は半減してしまった。しかもデジタル版の有料会員数は伸び悩み、本紙の減少分をまったく穴埋めできていない。
こうした中、2023年に新聞用紙の値上げがあり、物流コストとして輸送費、保管費、包装費、荷役費、物流管理費も上昇して、大部数を広範囲で販売する全国紙の経営を圧迫している。
もはや大衆が顧客ではなくなった新聞
毎日新聞は1月11日に『オピニオン 井上英介の喫水線 被災者を背後から撃つ者』を掲載し、能登半島地震の被災地は保守的な土地柄なので、「おかみに文句を言わず、ひたすら感謝すべきだ」と語って苦情を封殺する「能登ウヨ」なる人々がいると主張した。何ひとつ客観的な証拠を示さないまま願望を書き殴ったにすぎないコラムが、被災者から事実を歪曲した差別的な内容であると猛抗議されたのは当然の成り行きだった。
また石川県の地方紙北國新聞も、このコラムが地域の分断を図っていると疑問を呈し批判を掲載するほどの事態に発展したが、毎日新聞は訂正どころか公式に釈明すら行っていない。
このような無責任で粗雑なコラムが掲載されたのは単なる記者の暴走ではなく、背景に毎日新聞の組織的、構造的問題がある。
毎日新聞への毅然とした姿勢から、北國新聞が地域に根差し、地域に情報を届ける使命のもと新聞を発行しているのがわかる。いっぽう全国紙である毎日新聞は、販売部数の大幅な減少や読者の高齢化によって大衆が顧客でなくなった結果、幅広い層の利益に奉仕する報道を諦めてしまっている。
全国紙の苦境は前記した通りだが、現在毎日新聞の朝刊販売部数は1,520,000部台で、石川県では1,000部程度しかなく、隣接する富山県では同690部にまで減少したため2024年10月に販売から撤退している。石川県ならびに富山県での毎日新聞の販売部数は、ミニコミ紙や同人誌レベルにまで落ち込んでいたのだ。
以前から地方では全国紙のシェアが小さく、ブロック紙または地方紙が優勢だ。その中でも北陸地方での毎日新聞は風前の灯と言ってもよい状態である。
首都圏をエリアとする毎日新聞東京本社と、近畿圏をエリアとする大阪本社の販売部数を合計すると1,240,000部になる。そして、読者の50〜60%が60歳以上だ。東京と大阪在住の人々や高齢者が関係している事柄に、毎日新聞は地元政治家の名を列記して[保守的な土地柄]と決めつけたり、「東京ウヨ」「大阪ウヨ」「年寄りウヨ」などと差別したりしない。
たとえば神宮外苑再開発に反対するコラムでは、かなり偏っているとはいえ反対せざるを得ない背景を説明したうえで、それでも再開発を容認する一般人を反動的勢力と決めつけてはいない。また池袋暴走事故報道では高齢者と現役世代を分断しないのに、能登半島地震の被災地と被災者には「能登ウヨ」なる造語で差別意識を剥き出しにして被災者を分断している。
どうせ石川県の連中が読んだとしても、たかが1,000人。このうち表立って抗議する者が登場しても数人。といった、心理と思惑があったのではないかと疑いたくなる。
このようにコラム『被災者を背後から撃つ者』は凋落が止まらない毎日新聞の、歯止めが効かなくなった暴走であり、同時になりふり構わぬ断末魔だったと言ってよいだろう。では、毎日新聞に限らず全国紙は誰の、何のための報道を行っているのだろうか。
10%の投票行動を変えるマシーン化
2005年の「郵政民営化選挙」では、小泉純一郎の政策のみならず、彼の「自民党をぶっ壊す」というキャッチフレーズをマスコミが一様に美化して伝え、与党自民党と公明党が圧勝した。この選挙は、マスコミの報道姿勢によって有権者の投票行動が明らかに変化すると、後に多くの人が知る端緒だったかもしれない。
郵政民営化政策の広報宣伝活動のために作られた企画書に、PRすべき対象を「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」「B層」と書かれていたのを記憶している人も多いのではないか。
2009年の衆院選では民主党がマニフェストに掲げた争点と類似する「子育て」「雇用」「年金」をマスコミが取り上げ、市井の人を取材して「苦しい現実」を伝えた。この選挙では自民党は119議席と惨敗し、民主党は308議席と圧倒的多数の議席を獲得し政権が交代している。
2005年、2009年の衆院選以前から、全国紙は報道が選挙結果を左右するのを当然のように意識していたが、この二つの選挙を通して更に踏み込んで政権づくりをする経験を積んだのだ。そして「自民党をぶっ壊す」はずの小泉によって自公政権が延命し、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と続いたため、全国紙を筆頭に天下国家を論じがちなマスコミは民主党政権づくりへ向かったのだった。
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以降、続きはnoteにて。
編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。