選択的夫婦別姓②:肝要なのは「選択」、同姓、別姓、どっちを選ぶのも自由

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選択的夫婦別姓に反対する自民党有力議員の発言が目立つようになった。1月24日のTBS、CSの「国会トークフロントライン」に登場した高市早苗氏が、別姓にした場合子どもの姓をめぐって係争が生じるとの危惧から、通称(旧姓)使用の整備による解決こそが望ましいと訴えた(NHK NEWS WEB 2025年1月24日)。

自民 高市氏 “選択的夫婦別姓には課題 旧姓通称使用拡大を” | NHK
【NHK】自民党の高市 前経済安全保障担当大臣は、選択的夫婦別姓には課題があると指摘したうえで、結婚前の旧姓を通称使用する範囲を拡…

小林鷹之氏はYouTubeやXで、「『子どもの視点』を大切にすべき」と述べ、さらに「どこまで政治的な労力、資源を使うのかを考えるべき」で、「もっとやるべきことはある」と主張した(産経新聞2025年1月28日)。

「旧姓の通称使用拡充が現実的」自民・小林鷹之氏、選択的夫婦別姓に疑問呈す
自民党の小林鷹之元経済安全保障担当相(衆院千葉2区)が、どちらかの親と子供が別姓になる選択的夫婦別姓に関し性急に結論を出すことに疑問を呈し、発信を強めている。

法制審議会の答申から30年も放置され、当事者から仕事上の不都合や物理的かつ心理的な負担など切実な声が上がり、経団連の会長自ら早期の法制化を要望する状況にある。

にもかかわらず、瑣末な問題とばかりに切って捨てるような言い草には、有権者の声に真摯に耳を傾けて然るべき国民の代表の言葉かと呆れる。不利益を被っている人の多数が女性という点が、こうした軽率な発言を誘発するのかもしれない。女性蔑視の本音を見て取るのは私の僻みか。

夫婦別姓反対の根拠の一つに夫婦同姓が日本の伝統だとする主張があった。ところが、法務省によると、明治3年に農民や町民に氏の使用を認めたものの、明治9年の太政官令は夫婦別氏を命じ、同姓が成立するのは明治29年の旧民法の制定を待たねばならなかったという。伝統論ではないことが明らかになった。

我が国における氏の制度の変遷(法務省)

二つ目が家族一体化論である。たとえば、第174国会(2010年)参議院に提出された「選択的夫婦別姓制度の法制化反対に関する請願」は、夫婦同姓が「より絆の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度」だ主張する。

しかし、一体感は時間と空間、そして何よりも体験の共有によって培われるものだ。同じ苗字を名乗れば済むような簡単な話ではないうえ、一体感云々は夫婦や家族内のプライベートな問題であって国家に指導されるような事柄ではない。

そもそも別姓が離婚を助長したり、家族の不仲や不和の原因になったりする証拠はなく、それは理性的判断力があれば容易に理解できることなので、一体化論は下火になった感がある。代わって、今反対派が力説するのが、高市・小林氏のように「生まれてくる子どもが被る不利益」である。

1996年の法制審議会の答申は、別姓の場合子どもの姓は結婚時に予め決め、子どもはすべて同姓にすること、また出生後の子どもの姓の変更には家庭裁判所の許可を要するとの方針を示した(法務省)。

一方、立憲民主党が提出している案では、結婚時ではなく子どもの出生時に父母の協議で決め、姓の変更も家裁許可を原則としつつも、場合によっては届出のみでも可能としている(立憲民主党)。

高市氏は「夫婦双方の実家が子の氏を決める協議に介入し」「親族間に争い生じる」可能性を指摘する一方、立憲民主党案には「父母の協議が調わない」場合、家裁が「子の氏を定める」とする点について、その判断基準に疑問を呈した(産経新聞2025年1月7日)。

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子の姓をめぐる親族間の係争は、同姓夫婦でも起こり得る。たとえば、夫の姓を名乗る同姓夫婦の妻側に実家の跡取りがいなくなり、夫婦の一人っ子に妻の旧姓を継がせようとしたら、夫側親族から強く反対され、結局両家がともに譲らず、激しい争いにエスカレートすることだってある。判断基準についても、諸外国の事例や類似の判例から今後じっくり検討すればよいだけでの話である。

高石氏は続けて「家裁がいかなる決定をしても、夫婦双方が納得できる理由を示せるとは考え難い」(産経新聞同上)と述べる。だが、そうした事案は離婚、親権、相続など家庭問題全般で起こり得る、というより実際に起こっているわけで、別姓夫婦の子の氏に限ったことではないはずだ。何歩も先を心配するのは国民への政治的厚意か、はたまたパターナリズムであろうか。

ところで、「選択的夫婦別姓」は文字通り、同姓と別姓のいずれを選んでもよい制度である。だが、反対派の論点は専ら「別姓」に集中し、あたかも結婚するカップル全員が「別姓」になるかのようなニュアンスで議論を展開している。この制度が導入されても、全カップルが別姓を選ぶような事態はあり得ない。

同姓に比べて、別姓のハードルは高いので、別姓を選ぶ割合は低いと思われる。それでも、生まれ持った自分の姓を使い続けたい人に選択肢が設けられることの意義は極めて大きい。もちろん同姓にしたい人は同姓を選べる。

重要なのは「選択」なのである。人生の選択肢は多いに越したことはない。だが、待てよ、反対派の先生方、「選択の自由」がお嫌いなのかも(トホホ!)。