「アプレンティス」とは?
ドナルド・トランプ米国大統領の半生を描く伝記映画(バイオピック)がアカデミー賞の二部門でノミネートされている。邦題は「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」だ。映画は扱う時代は1970年代初頭から1980年代後半で、これはトランプ氏が駆け出しの不動産マンだった時期から、セレブ大富豪の地位を確立し、ベストセラーとなった自伝の構想を練り始めた次期と重なる。
映画のタイトルである「アプレンティス」はトランプ氏の知名度を全米に広げるきっかけとなったテレビ番組から付けられていることは自明である。「アプレンティス」は2004年から10シーズンも続いた長寿番組であり、出演者はトランプ一族が経営するトランプ・オーガニゼーションに採用されるため、様々なミッションをこなしていき、「一流経営者」であるトランプ氏に適正を見極められる。出演者にとってはトランプ氏のアプレンティス(弟子)として経営のノウハウを吸収できることが番組の醍醐味であり、エピソードの最後で脱落者を決める際に飛び出すトランプ氏の「You’re fired!」(お前はクビだ!)という文句を聞くため、多くの視聴者がテレビくぎ付けとなった。
しかし、テレビ番組「アプレンティス」はトランプ氏の弟子のことを意味しているが、映画「アプレンティス」ではトランプ氏が弟子なのである。
トランプ大を演じるセバスチャン・スタン
ロイ・コーン:トランプ氏の政治の師
要約すれば、映画「アプレンティス」はニューヨークの有力者たちが頼る辣腕弁護士ロイ・コーンとトランプ氏の師弟関係を描いた作品である。
映画の幕は、まだ20代後半であるトランプ氏が、司法省からの訴訟に反撃するためコーンに顧問弁護士になってもらうように依頼をする場面から始まる。当時父から会社を譲り受けたばかりの新米経営者であったトランプ氏はアフリカ系アメリカ人への賃貸契約を人種差別的な理由から断っているとして、提訴されていた。この一件はコーン氏の「恐喝」に等しい手段により、トランプ氏は罪に問われずに済む。また、トランプ氏はホテル建設のためニューヨーク市からの1000億ドル近い税制優遇措置を得たことで、一躍時の人となるが、これにもコーンの暗躍があったとの解釈が取られている。
トランプ氏がコーンとの師弟関係の中で、現在の政治スタイルに直結する教訓を得たことを映画は示唆している。まず、コーン氏はトランプ氏に対して、敵だと思う相手は容赦なく攻撃し、自分の非は決して認めず、常に勝利を主張することを教え込んだ。この3つのルールは、2020年米国大統領選挙に負けた後のトランプ氏の言動そのままである。トランプ氏は自身が選挙に勝ったことを認めない共和党議員に対しては、刺客を送り、多くの反トランプ候補を予備選の段階で敗北させている。また、トランプ氏は5年前の選挙で正々堂々と負けたことは未だに認めていない。コーンの教えをトランプ氏は忠実に守っているようである。
ロイ・コーン(ジェレミー・ストロング)とトランプ
「人情家」から「ドナルド・トランプ」に
また、テレビ番組と映画とでは、映し出されるトランプ氏は全く別人である。前者で描かれるトランプ氏は成功者であり、能力が無い者は容赦なく切り捨てる冷徹な人物である。しかし、特に映画「アプレンティス」の序盤で登場するトランプ氏は、無力ではあるが、「人情家」として描かれている。
映画の前半部分では、ビジネスの世界では若造であるトランプ氏が、有力者から相手にされず、父の会社が貸し出している物件に住む住人から家賃徴収を行うという、下積みをやらされる。また、今では潔癖症であり、人との接触を好まないトランプ氏が兄フレッド・トランプ・ジュニアと大きなハグをし、家業を継がなかったことにより父に罵倒される兄を庇うような場面もでてくる。不幸なことに、フレッドはアルコール依存症の影響もあり、若くして亡くなることになるが、兄の死の直後に涙を流し、動揺を隠せないトランプ氏の姿が出てくる。この「涙」の場面に「人情家」としてのトランプ氏が最も印象強く映し出されるが、兄の死をきっかけに傲慢で、冷徹で、傍若無人な「ドナルド・トランプ」が完成していくという、映画の副題にもつながる展開に物語は進んでいく。
物語の最後では、栄光を手にしたトランプ氏が自身の台頭を助けたコーンを邪険に扱うが、最終的にトランプ氏は病魔に侵されたコーンをフロリダ州で出来たばかりの邸宅に招待する。
筆者が感じた映画の隠れたテーマである「人情家」としてのトランプ氏がここでも顔を覗かせる。トランプ氏は訪れたコーンの車いすを自ら押しながら新居を案内し、コーンのために開かれた晩餐会では感謝を伝え、偽のダイヤモンドでできたカフスをプレゼントし、トランプ氏なりの誠心誠意でコーンの貢献に報いた。
これらの描写がどこまで本当で、どこまでが創作なのかは検証の余地があるものの、晩年のコーンがトランプ氏の邸宅に行ったことは事実であるようだ。当時のコーンはエイズに罹っているとされており、当時は世間からのエイズ患者への偏見が特に厳しかった。劇中ではトランプ氏自身もエイズ患者への差別意識が多少なり持ち合わせていたと示唆される。しかし、トランプ氏は患者に触れるだけではエイズに罹らないという正確な情報を医師から入手し、エイズに罹ったことにより差別の対象となっていたコーンをわざわざ自宅に招いた。
末期がんとされていた患者をニューヨークからフロリダに向かわせたことは、トランプ氏の非人道性を象徴する一幕だと指摘する人々もいるかもしれない。しかし当時のエイズを取り巻く社会環境を考えたとき、トランプ氏の「人情」が伺える。
トランプ氏の知られざる一面を描く
映画「アプレンティス」はトランプ氏の知られざる一面と知られる一面も合わせて描いている。それは一見すると矛盾のようにも見えるが、本来人間は複雑なものではないだろうか。トランプ氏の人間としての複雑性、そして今の政治スタイルの起源、そして「人情家」としての一面がどのようなものであるか知りたい読者には是非見てほしい。