ローマ・カトリック教会の最高指導者、フランシスコ教皇は先月14日以来、ローマのジェメッリ総合病院に入院中だ。88歳のフランシスコ教皇の病状は、入院当初は気管支炎といわれたが、その後、両肺に炎症が広がっていることが分かった。教皇の容体が悪化し、一時期、持続性喘息性呼吸危機の症状となり、酸素呼吸が行われ、血液検査で血小板減少症と診断され、輸血が必要となった。その後容体は少し改善、呼吸困難は治まったが、その後、病状が再び悪化するなど、入院して20日間が過ぎたが、教皇の容体は依然、重篤に分類されるという。
サン・ピエトロ広場でフランシスコ教皇の回復のために祈る信者たち 2025年03月06日、バチカンニュースから
教皇が入院して以来、バチカンの呼び掛けに応じ、毎日、数千人の信者たちがサンピエトロ広場で教皇のために祈りを捧げている。バチカンニュースによると、フランシスコ教皇の出身、ブエノスアイレスでも教皇のために祈りが捧げられているという。
ところで、フランシスコ教皇は6日、回復を願う信者らに向け、25秒余りの音声メッセージで「あなた方の祈りに心から感謝する」と謝意を伝えた。バチカン市国のサンピエトロ広場で同日夜、メッセージが再生された。南米アルゼンチン出身の教皇は母国語のスペイン語で「私はここ(病室)からあなた方と共にいます」と語り掛けたという。
バチカンニュースは「2月14日に教皇が入院して以来、教皇の声が聞こえるのは初めてだった。フランシスコ教皇の写真は入院以来公開されていない。音声から聞こえる教皇の声が伝わると、サン・ピエトロ広場で集まっていた人々から大きな拍手が沸き上がった」と感動的に報じている。
6日の夕方、バチカンは教皇の健康状態に関する新たな医学速報を発表した。それによると、「安定した臨床状態」という。教皇は発熱はしておらず、治療を続けており、祈り、仕事、休憩で一日を過ごしている。ここ数日間、呼吸器系の危機は発生していないという。
バチカンニュースが発信している写真には、88歳の高齢教皇の健康回復のために祈る人々の姿が写っていたが、祈る姿は美しいと改めて痛感した。祈るのはキリスト信者だけではない。イスラム教徒も仏教徒も祈る。特定の宗教を持たない人々も心の中で囁く。自分が重い病気になったり、家族が不幸だったりすると、人は真剣に祈り出すものだ。誰も誰に向かって祈るのか、とは問わない。自然に祈り出すのだろう。
キリスト教会では、祈りで始め、祈りで終わるといわれる。自身の弱さを吐露する祈りは非常に私的だが、それだけにその祈る瞬間は真剣だ。人が自身の弱さに救いを求める時ほど偽りのない純粋な瞬間はない。
もちろん、祈らない人もいる。祈りを他力本願と感じ、潔しとしないプライドの高い人はどこの世界でもいる。しかし、祈りは決して他力本願の表現ではない。自力の限界を感じ、祈らざるを得ない状況に立たない限り、人は祈らないものだ。すなわち、自力の弱さを認めるというプロセスを経過しない限り、人は真剣に祈らない。だから、「弱い人こそ強い」といったパウロの言葉が生まれてくるわけだ
デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴール(1813~55年)は祈りについて、「祈りは神を変えず、祈る者を変える」と述べている。ただし、旧約聖書には、悔い改めて真摯に祈る者に神が心を動かされて変わる場面が記述されている。「祈り」は神の心すら変える。マザー・テレサはまた「神に何かを求めるよりも、すでに与えられたものに感謝する祈りを捧げなさい」といっている。祈りの意味が分かる言葉だ。
発明家の天才二コラ・テスラ(1856~1943年)の表現を借りるならば、祈りは宇宙のエネルギーに接続する行為ではないか。テスラは宇宙はエネルギー、周波数、振動の3要因から成り立っていると語っている。祈りはその3点と一致する業だ。だから、祈りは時に奇跡をもたらす。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年3月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。