人は生まれてからずっと一人で生きていくことはほとんどありえないと言ってよいでしょう。常に誰かの助けがあり、親の愛情があり、家族の絆があり、学友がいて、同じ趣味の集まりもあります。会社に入れば先輩、同期に後輩と常に人間関係が付きまといます。
人間がどう生きるかはその人の自由ですが、概ね人の影響を受けているケースが大半だろうと思います。人付き合いを通じて相手や周りを見ながら自分の立ち位置を探す、これが少なくとも10代までの生き方だと思います。当然そこには影響を与える人と影響を受ける人がいます。例えばいじめっ子のガキ大将がいれば「あいつは嫌な奴」だし、クラブ活動で一緒に走って汗を流した仲間の声は素直に受け止めるでしょう。
「人は導かれる」と言っても牧師が話をしているわけではありません。ただ、人ほど複雑で奥行きを持ち、個人の価値観がバラバラ、そしてSNSの時代になり、「自分力」を発信する時代になると人の声も気になり、妙に「いいね」とか「サイテー!」という判断をしやすくなります。
ではバラバラの価値観を束ねてグループのベクトルを一つにするにはどうしたらよいのでしょうか?これがいわゆるリーダーシップ論で、これまた多種多様な意見や考え方があります。つまり確固たる答えがないのです。
高校野球や駅伝で優秀な成績を上げると「監督の采配」と称し、「名将」とされる方々もいらっしゃいます。では監督は本当に名将なのでしょうか?私は持ち上げ過ぎの気もします。野球や駅伝で強い学校がなぜいつも強いのか、といえば「あの学校に行けば甲子園に行ける」「あの大学陸上部なら箱根駅伝は固い」ということで優秀な選手が集まることが主たる要因です。監督はその秀逸な人材を使いこなすわけですが、基礎があるので伸び代は当然大きいことになります。
大手学習塾では生徒の能力ごとにクラスを分けていると思います。トップを狙うクラスには偏差値で70前後の生徒しかいません。当然ながらそこでさらに切磋琢磨すれば一定数は東大や京大など最難関の大学に受かるのです。企業が優秀な人材を血眼になって探すのも同じ理由で、よい人材を確保すれば社員のクオリティは当然高く、ハイレベルの戦いをしやすく、利益が伸び、給与や賞与など待遇も他社に比べてよいという結果を伴います。
日本のリーダーシップ論の多くは一定の似たような才能、能力、技能をもった人材をかき集め、そこでトップグループとして切磋琢磨することで更なる成果を上げるスタイルに強みがあります。高校野球にしろ駅伝にしろ監督はチームワークを主眼とします。24年春の高校野球を制した高崎健康福祉大学高崎高校の青柳監督が「(監督に)カリスマはいらない」(日経)と述べています。青柳監督はまた「全員参加型」という言葉を使っています。この発想は近年では稲森和夫氏の教え的であり、チームから脱落者を出さないことを特徴としています。

稲森和夫氏 Wikipediaより
日本の企業レベルでは社員という財産を更に光らせるために企業内チーム対抗の戦いが繰り広げられます。営業1課から5課まであるような会社ではそれぞれの営業部門では違う商品を扱っていても課長を中心に「あいつらには負けるな!」という喝を入れながらチームが歯を食いしばる、それが重層的に積みあがったのが企業の一つの姿とも言えるでしょう。
この手のスタイルで似た他の国は私の知る限り韓国ぐらいしか思いつかないです。チーム内に必ずヒーローやポイントゲッターがいてその人を中心に補完関係がうまく回っていくのです。必ずしも課長の力ではないでしょう。これが日本的リーダーシップだと思います。
海外の場合はこれとはかなり相違します。韓国と日本と似ている理由は共に純血主義なのです。つまり国民の大半が同一民族で似たような価値観を共有しているのです。ところが例えば欧米になるとまず移民が人口の3割から5割を占め、その人たちが持つ常識、判断基準、価値観は見事にバラバラ。そうなるとマネージャーにしろ社長にしろチームや社員を束ねるのは恐ろしく難しいのです。
例えばJPモルガン銀行がリモートワークを廃し、週5回出社制に変えることにしたのですが、ダイモン会長が「これで多少辞める人も出るかもしれないがそれは構わない」とあっさりしたものなのです。これが日本なら「一人の退職者も出さない方法は何か?」と延々と議論するでしょう。ではリモートワークができなくて退職を余儀なくさせられた人は会社を恨むか、といえば「会社の方針と合わないのだからしょうがない」程度だと思います。DOGEで退職したアメリカ政府職員もたまたまでしょうが、にこやかに建物を出ていくシーンが報道されていました。(内心はにこやかではないと察します。)一方、日本では最近あった熱海の旅館の放火事件のように「退職させられた腹いせに火をつけた」という怨恨すら生まれるのです。
リーダーシップにおいてカリスマと独裁では違います。独裁は一部の国家のトップにみられるほか、企業においてはオーナー企業に見受けられます。ただ、カリスマと被るところもあるのは事実です。オーナーは1円の出費にも目が届き、下から上がってこない成長プランに苛立ち、「なら、俺が決める」という傾向もあるでしょう。社長は決裁するのが仕事と言いますが、それはサラリーマン社長の場合でオーナー社長は次の戦略を打ち立てるのが仕事です。これがリーダーに求められることです。企業は自動では動かないのです。社員は改善や改良は出来るけれどまったく違うビジョンを求めるのは難しいのです。これをやるのが経営者でありリーダーであると私は考えます。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年3月9日の記事より転載させていただきました。