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東京地裁は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に解散命令を出しました。ある程度は予想された判決だと思いますが、教団側は即時抗告するものと思われ、最終決着まではまだ相当時間がかかるかと思います。この問題そのものは既に多数の報道などで食傷気味だと思いますので宗教と我々の生活という点から少し考えてみたいと思います。
日本は多神教で土着宗教である神道がベースで、大陸から伝来した仏教がそれに絡み、一部ではキリスト教等様々な信者もいるものの日本全体としては過半数が無宗教とされます。
ごく最近、日本全国にある神楽(かぐら)をユネスコの無形文化財にしようと一部の県知事らが知事連合を発足し、働きかけをしていくと報じられています。神楽そのものをご存じない方が過半数だと思いますが、そもそもは天照大神が天岩戸に隠れた際、天鈿女命が天照大神を誘い出すための舞が神楽の始まりとされます。私は見たいことがないのですが、ある意味、別世界な感はあります。
神道は宗教かといえば議論があるところですが、私個人の考えは、神道は人の心の拠り所の一つであるもののそこに論理性はなく、お祈りをすることで神様のお導きを期待するという点で都合のよさが見えるのです。その点でどちらかといえば宗教というよりスピリチャル系に近い気もします。
人の人生は自分の思惑通りに事が運ばないことが多く、その度に挫折を味わい、苦労をし、自分の人生の行方が見えずさまようことが多いものです。私だって人生の間に何十回とさまよったと思います。その時、意志の強い人は自分自身で立ち上がれるのですが、大半のそうではない人は何かにすがりたいものです。
「すがる」とはつかまって寄りかかるという意味ですから、誰かに問題解決の道を指し示してもらい、具体的な答えが欲しいのです。ところが神社でお百度参りしてでも地蔵に道を聞いてもどこからも声は聞こえません。
宗教の自由とは結局、誰かの助けを求めたいという気持ちが前提にあり、何を信じてもよいということでしょう。
当地に韓国系の教会がたくさんあるのですが、日曜日の午前中、その場を通りかかると大きな教会ではおびただしい数の韓国系の方が教会に吸い込まれていきます。私の韓国系の知人に日曜日のランチはどうかと聞いたところ、教会があるから絶対だめだと断られるぐらいです。
私が高校の時はキリスト教のプロテスタント系でしたので毎日午前10時から30分間、校内の礼拝堂に行き、賛美歌を歌い、聖書を参照し、説教を聞き続けました。3年間それをやると説教が耳になじんでくるもので人の道とはなんぞやということを明白な言葉を通じて直接語りかけらえた意味はあったと思います。
そうはいっても自分で宗教の道に進むのはなかなか勇気がいること。創価学会はその点、聖教新聞という媒介を通じて消極的な人を広く吸い上げてきたと思います。自分のその時のマインドにピタリと当てはまる宗教がそこにあれば吸い寄せられるように入っていくのは「実際の声が聞ける」というメリットをそこに見出したとも言えます。
その点では旧統一教会もオウム真理教も同じ宗教であり、言葉があり、人を一定方向に導くチカラがあったといえましょう。「幸福の科学」の大川隆法氏が23年2月に亡くなってその後、同宗教法人が漂流を続けているのもカリスマ的指導者がいかに新興宗教の全てであるかを物語っていると思います。
私がバンクーバーで慰安婦像問題に取り組んでいた頃、ある方から「バンクーバーにある某宗教団体と手を組んだらどうか」と助言されました。その宗教団体は思想が保守系であり、団体が了解すれば団体のメンバーにすぐに浸透し、協力を得られるぞ」というものです。
当時、私も困っていたので渡りに船だとは思ったのですが、踏み留まりました。何度も電話に手が伸びて、幾度も事務所に行こうかと思いましたが、それはタダでは済まない依頼になるだろうというのが私を踏みとどまらせた理由であります。
その点、自民党はその罠にまんまと引っかかり、旧統一教会とずぶずぶに関係になったとも言えます。日経の社説には「教団の不法行為は1980年代には始まっていた。政府の対処が本格化したのは2022年に安倍晋三元首相の銃撃事件が起きた後だ。この間、抜本的な手が打たれなかったのはなぜか。それこそが教団を巡る問題の核心である」と述べています。その通りです。
日本は何かが起きないと動き出さないという悪い体質があります。教団問題も安倍氏の死をもってようやく世間の目が向いた話であり、そのあたりの感性は背中を押して押してようやく変わるという緩慢さはあると思います。
宗教は人の心に入り込んでくるものです。医療は身体に入り込んでくるので厳しいルールと規制がありますが、人の心に入る宗教は自由というのもやや腑に落ちない気がします。人の心を利用してお布施の集金マシーン化しているような宗教は宗教法人ではなく、宗教という名の利益団体という扱いにすべきで、線引きはきちんとすべきでありましょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年3月26日の記事より転載させていただきました。