私は昭和36年生まれで青春時代は昭和のど真ん中を駆け抜けたこともあり、今になってもその時の常識観や癖は抜けません。このブログの内容も「昭和臭い」と思われることもあるでしょうし、そのようなご指摘を受けたこともしばしば。では令和のこの時代に昭和の思想や行動規範はアウトかと言えばアウトの部分もあるし、昭和があっての現代があるとも言える部分もあります。
私はやりませんが、SNSの本家本元、フェイスブックが世に紹介された時は国民がこぞってそれを受け入れ、あの人やこの人と繋がったという喜びの声があらゆる方面から聞こえてきました。そのフェイスブック、総務省の調査では今の利用者の主流は30-50代で年代別で33-40%程度と高い比率を誇ります。ところがその後紹介されたインスタが若い方の利用では圧倒的な主流となり、10-30代の利用率は68-79%です。更にTikTokが動画を含めた配信では10-20代で利用率52-70%と若い方の心をつかむという流れが形成されました。
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それぞれの媒体はその当時の使いやすさや愛着、データなどが積み重なることでその媒体に固執しやすくなるため、私の予想では10年、20年と経つごとにそれら媒体の利用者の年層がスライドして上昇していくとみています。言い換えれば媒体利用そのものが利用者にとっての文化だと言えます。30年後に今のTikTokの利用者が50歳になった時、子供から「お母さん、まだそんな媒体使っているの?」と言われるようになるはずです。
これは生活全般の習慣も同じことが言えます。60-70代の人にとって買い物と言えばデパートでした。それが若い時の週末の過ごし方であり、誰が何といおうとそれがその人に一番フィットした買い物の手段であるのです。私がコンビニ全盛期に日本を出てしまったこともあり、時折日本に行ってもコンビニに行く癖がなく、食材はスーパーマーケットで買うというと最近の方にはくすっと笑われるのです。
とすれば社会では年層ごとに慣れ親しんだ土壌を基準としてビジネスが展開されているとも言えます。私はデパート廃止論者ですが、今から20年もすればデパートのファン層ですらおしゃれをして出かけるという行動が減る中、デパートに足を運ばなくなるし、運べなくなるわけで、その時このビジネスを誰がサポートするのか、といえばはなはだ疑問なわけです。
カナダで最も古い会社でもあるハドソン ベイという百貨店が先日、破綻し、ごく一部の店舗を残し、なくなってしまいます。アメリカでも多くの百貨店は消え去りましたが、これも時代の要請であり、北米は日本ほど人口が集積していないこともあり反応が早く出たというだけだとみています。
音楽などのテイストも同じでしょう。当地では80年代の音楽を専門に流すラジオ局が複数あり、私はもっぱらそちらのリスナー。先日、カナダのレコード大賞ともいえるJUNOアワードがバンクーバーで開催され、招待されたので伺いましたが、音楽シーンが大きく変わりすぎていて何が何だかさっぱりわからなかったというのが実情であります。
世相や常識観も当然ながら時代背景を映し出すし、働き方改革というのは昭和の人が今更新入社員になるわけではなく、平成時代後期の方、つまり2000年代初期に生まれた方々が育った2010年前後の世相を受けた価値観を強く反映させているはずです。これがもうしばらくすると安倍政権下での保守的世相を見てきた世代にとって代わればまたここは少しずつ変化してくるだろうとみています。
こう見るとそれこそ世代ごとにスタンダードがセットされており、常にその主流が入れ替わっているのが現代社会であります。当然ながら考え方や常識観も変わるわけで我々の世代が「べき論」を断じるわけにもいかないとも言えます。一方で国民全てが共有できる価値観は何処にあるのか、それを府あたりがきちんと表現することで日本人を共通する形で表現できたら良いでしょう。
日本人論という範疇の中でに日本人のアイデンティティを一括りにするのは実に難しいと思いますが、そこを敢えて言葉にして共通認識する価値は大いにあると思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年4月6日の記事より転載させていただきました。