バブルからの教訓?24時間戦えた時代から持続可能な未来へ

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皆様はバブルをご存知ですか。バブルとは、プラザ合意後の1986年12月~1991年2月を指すのが一般的です。果たしてどのような時代だったのでしょうか?

バブル経済とその崩壊

絶頂期の1989年12月29日、日経平均株価は終値で38,915円87銭を記録し、誰もがこの好景気の拡大を疑いませんでした。

私は学生でしたが、銀行に就職した大学のOBに「賞与が立つ」という話をされたことがあります。これは「賞与が札束で支給されるので封筒が立つ」という意味です。

ある大手不動産会社の入社案内の表紙はギリシャのパルテノン神殿でした。ページをめくると「100億円を動かす男」と称して新入社員が紹介されていました。就職活動の選考ではタクシーチケットが配布されました。

その後、バブル経済の崩壊は突然やって来ました。しかし、これは徐々に進行した現象であり、誰もがバブル崩壊と気が付かず、数年間にわたって生じてきた社会現象だったのです。

バブル崩壊からほどなくして、日本は高齢化社会に突入しました。社会保障費などの国民負担は年々増加していきました。バブル崩壊前は非正規雇用労働者は10%台でしたが、今では40%に迫っています。賃金は2002年を境に下がり始め、日本は経済の低迷期に突入しました。

バブル時代と現代の働き方の違い

バブル経済を知っている人は、今の若者を「やる気がない」と揶揄します。私たちも同じように言われてきました。熱があって会社を休もうものなら、「やる気がない」と言われました。会社に出社して上司チェックのもと、体調が悪いと認められたときのみ早退ができました。

しかし、風邪を治す期間の猶予は与えられませんでした。翌日は平常出勤です。翌日までに治っていなければ「あいつはやる気がない!」とさらに評価が下がりました。

残業で遅くまで残っているのも当たり前でした。仕事があるとか効率性の問題ではなく、上司より先に帰ることができなかったのです。上司から「よし、これから一杯いくか?」と言われたら、時間にかかわらず付き合うことが求められました。

テレビでは「24時間戦えますか」というCM(時任三郎のリゲイン)が人気でした。当時と比べれば、現在の労働環境はよほど改善したと言えます。

バブル時代のサラリーマンにあって、現代のサラリーマンにないものもあります。それがキャリアビジョンです。

バブル時代は多くの企業でビジョンが共有されました。入社3年以内にリーダーに昇格して、30歳代前半でマネジャーか課長に昇進し、5~6名のチームを任され、30代後半で部長に昇進して、子会社の役員に出向するか、本社の事業本部長を目指す。これが一般的なキャリアパスでした。

今のサラリーマン、とりわけ若い世代はビジョンを描ける環境には置かれていません。将来が見えにくいですから、やる気も踏ん張りも利かなくなっています。

成果主義、長時間労働、滅私奉公を要求されるなかで、燃え尽きてしまうのです。しかしながら、会社に在籍するためには、期待される成果を出し続けなければ会社には残れないという厳しい現実があります。

キャリアの未来を見据える

このような状況の中で、私たちはどのように未来を見据えるべきでしょうか。バブル時代の過剰な期待や拘束的な労働環境への回帰ではなく、個人の価値観に基づいた多様なキャリアパスや働き方が尊重される社会への転換が必要です。

若い世代が将来に希望を持ち、自分らしさを発揮できる環境づくりは、企業だけでなく社会全体の責任と言えるでしょう。そして何より大切なのは、過去の経験から学びつつも、新しい時代に適した働き方や価値観を柔軟に創造していくことではないでしょうか。

バブルの記憶を教訓としながら、より持続可能で豊かな働き方の未来を、共に築いていくことが求められています。

尾藤 克之(コラムニスト・著述家)

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