2025年度のスタート:「懐かしい未来」に向けての始動力

choochart choochaikupt/iStock

1. 中国における「懐かしい未来」

約6年ぶりに中国に行ってきた。

我が畏友で霞が関同期の金田修君(大蔵省勤務後にマッキンゼーでパートナーにすぐ上り詰め、その後、現在は中国で起業して大成功とダイナミックな人生を送っている)が中心となって10年ほど続いている日中リーダー会議への参加が目的だ。訪れた先は、人口約1000万人の大都市長沙。人口約6,600万人の湖南省の省都だ。弾丸トラベルで、2泊3日のみであったが、そこには「懐かしい未来」があった。

長沙の特徴をごく簡単に言えば、三国志ファンにはたまらない英雄の孫権や黄忠ゆかりの故地であり、青年時代の毛沢東ゆかりの地であり(青年毛沢東の超巨大な彫像がある。横83メートル、奥行き41メートル、高さ32メートル。)、中国を代表する消費都市であり、若者の町だ。懐かしさと未来が同居している都市である。

何故、今、この内陸の都市が消費・若者の街になっているのか。ごく簡単に略述すれば、私見では、アメリカで言えばシリコンバレーとテキサスの関係、当該関係におけるテキサス側の事情が長沙にはある。要は、経済のメッカが飽和していて、お金はないがやる気や野心のある若手が、上海などと比べて地価などが相対的に安く、しかし歴史的な著名性・安定感のある同地(テキサスにもそういうところがある)に流れこんでいる。

まさに眠らない街という感じで、ナイトタイムエコノミーでも有名なのだが、若者が23時過ぎくらいから大量に集まって、夜通し飲んだり踊ったりしている。IFSなどの高層ビルや現代的街並みを背景にしつつ、そこには、古くからの中国を意識した昔からの商店街の入り口の門(太平老街など)があり、裏路地には残されたアジア的混沌があり、中には、古いビルを改装して、わざわざ古い街並みを再現したレストラン街まであるなど、新しくて懐かしい都市がある。

消費の喚起ということについては、政府の政策の影響も無視できない。おりしもトランプ関税でアメリカ向けの輸出の大幅減が見込まれる中、その分を少しでも補おうと中国政府は、内需の盛り上げに力を入れている。そんな中、トランプ政権誕生以前からではあるが、湖南省・長沙市は家賃の低減策に力を入れており、可処分所得が街中への消費に向かうようにその勢いを加速している。古くからの政府の政策が重低音として流れつつ、新たな店が様々に展開している。

新たなコンビニ、中国版の「お菓子のまちおか」のような店の経営者とそれぞれお会いしたが、過去の中国と未来の中国が同居しているような不思議な雰囲気を醸し出していて、過去から繋がる志と将来に向けての溢れんばかりの夢が混在しているような人たちであった。

省政府の消費関係のシンクタンクの代表にもお会いしたが、日本から三浦展氏を招いて講演会をやるなど(余談だが、三浦氏が、中国でカリスマのようになっていることに驚いた)、消費喚起のために様々に力を入れている。上記の「街中への消費」「新しい店」というのは、ここでは当然にネット上の「街中」や「店」も含む。湖南TVや傘下の芒果(マンゴー)TVは、ライブコマースの展開にも力を入れており、その点で中国を代表するメディア帝国を築き上げている。

TikTokなどのショート動画で、「しゃべっている中身はジャパネット通販オジサンそのものの“うら若き女性”」たちが、それも数多のそうしたインフルエンサーたちが、熱心に商品の宣伝をしている。ここにも商店街で口角泡を飛ばして物を売る懐かしさと、ネット上での販売という未来が同居している。

異国の地で様々に「懐かしい未来」に触れることが出来、大いなるエネルギーを得ての帰国となった。

2. ドラマ・映画における「懐かしい未来」

今回の長沙訪問に際しては、行きも帰りも、映画プロデューサー・監督にして作家でもあるマルチタレントな畏友の川村元気さんとご一緒させて頂いた。かつて青山社中フォーラムでも講演して頂いたことがあるが、10年来の知人である。上記の畏友の金田君と元々お繋ぎしたのも私であるが、川村さんの諸作品は、中国でもヒット作となっている。

道中で、今回も様々に示唆に富んだお話を伺うことが出来たが、思い出されるのが、川村さんが初めて新海監督作品をプロデュースした「君の名は。」。同作品以降、「天気の子」「すずめの戸締まり」と、新海作品は、私見では、それまでの作品群(「言の葉の庭」「秒速5センチメートル」より格段に輝きが増したと思う。

川村さん本人から聞いた話も含めて、私が川村さんプロデュースの数々のヒット作の向こう側にあると感じるのが「集合的無意識」とそこから紡がれる「懐かしい未来」だ。集合的無意識は、ユングの有名な言葉だが、逆説的な表現にはなるが、川村さんはそのことをいつも意識しているという。

「君の名は。」は、川村さんも明確に東日本大震災をモチーフにしていると明言しているが、日本国民、いやもしかすると世界中の方々に、頻発する災害・戦争が意識の低層に刻み込まれている。そうした無意識に、懐かしい人を助けたいという祈りにも似た人間のベーシックな感情に訴えかけたのが同作品だ。

同作品中のヒロインの祖母が語るように、当該作をはじめ、「天気の子」にも「すずめの戸締まり」にも、日本古来の神様や伝承を強く意識しての「懐かしい未来」がある。過去と未来、時間が交差し、重なり、我々の“進む先”へと繋がっていく。

「土地の氏神様をな、古い言葉で産霊(むすび)って呼ぶんやさ。この言葉にはふかーい意味がある。糸をつなげることもムスビ。人をつなげることもムスビ。時間が流れることもムスビ。全部、神様の力や。わしらの作る組紐も、せやから神様の技。時間の流れそのものを表しとる。より集まって形を作り、ねじれて、からまって、時には戻って途切れ、またつながり、それがムスビ。それが時間。」

こうした有り様は、我々の先祖や父母たちが大事にしてきた懐かしい在り方にも見えるし、同時に、最近、AI(人工知能)の次として注目されている量子の世界のようにも見える。ニュートン力学だけでは理解できない、ある意味で天才アインシュタインすら理解できなかった(理解しようとしなかった)「量子のもつれ」のような“不思議”は、まさに我々がまだ分かっていない世界、不思議な時の交差を未来に現出させることになるかもしれない。

たまたまかもしれないが、最近の話題作、特に個人的に気に入った映画やドラマ作品は、この「懐かしい未来」が全てモチーフになっている気がする。まさに時がねじれて、絡まって、時には戻って途切れ、またつながり、、、という具合である。

過去の武士の精神と、時代劇を愛する現代人の想いが懐かしく、また絶妙な新結合として未来に向けて幾層にも重なり合っていく「侍タイムスリッパ―」。人類の草創期からアメリカの建国の歴史すらも意識させる形で、ある住宅における過去から未来までを、一つの家族としても、繋がりゆくアメリカの家族の形としても、未来に向けて描いている「HERE」(新し映像体験の出来る名作でした)、そして極めつけは、バカリズム脚本・監督の諸作品である。

今シーズンのホットスポット、少し前のブラッシュアップライフ、10年ほど前の素敵な選タクシーなど、楽しく拝見してきているが、正直、超長尺のコントをリラックスして楽しみながら見る、というだけのスタンスでいた。

しかし、改めて3作品を「なぜこれほどまでに、安心して楽しめて、笑えて、視聴した後にほのぼのするのか」ということについて考えてみると、全て、「時間」が鍵になっていることに気付くのだ。そう、全て、過去との繋がり、そして未来との希望、何より、その過去と未来との結節点にある現在をどう大事に楽しむのか、ということが大きなテーマになっている。

紙幅の関係もあって、これら三作品について、時のねじれ、絡まり、巻き戻し、繋がりをいちいち説明することはしないが、まさに見ればわかる。現在を大事にするということが、すなわち過去を重んじることにほかならず、そしてそのことが未来の希望に繋がっていく。バカリズムが大事にしている日本人の集合的無意識とは、まさに失われていく過去の大切さであり、仮にそれが失わるといえども愛を持って見送ることである。過去から綿々と紡がれてきた家族の繋がり、友人との絆を愛おしく大切にすることである。

先人に感謝しつつ、何気ない日常を大事にすること。日本人として、どこかの故郷・育った地域出身の人としての自分を愛おしく思いつつ、他者の生活、自らの故郷、時に身を削り、特にタイムリープをしてまでも自らと繋がる命を救い、大切にして、次の時代につなぐこと。未来を紡ぐこと。こうした「懐かしい未来」への姿勢こそ、恐らく彼が意識的に、そしてユーモアを多分に交えて、今の日本人に伝えようとしている「大切な何か」でなかろうか。

3. 懐かしい未来に向けて

さて、4月になって2025年度がスタートした。

個人的には4月で52歳となり、日本としては戦後80年の節目の年の新しい年度のスタートでもある。この毎月のエッセイでも何度か触れているが、私は、明治維新から40年の上昇期(日露戦争あたりまで)と40年の下降期(敗戦まで)の80年、そして、敗戦からバブル絶頂までの約40年の上昇期とそこから40年の下降期という80年の2つの80年の周期を強く意識している。2025年は、まさに底を打って反転すべき年だと理解している。

幕末の厳しい時代、戦後の焼け野原の時期、我々の先人たちは、厳しい現実に打ちひしがれつつも、日本という国、生まれ育ってきた故郷の連続性を意識しつつ、懐かしさを大切にしつつ、新しい未来を紡いできた。鍵となったのはリーダーシップ(始動力)である。

今、劇団四季の「バックトゥザフューチャー」(BTTF)が話題になっているが、まさにBTTFの3部作の第2部で描かれていた未来が今から10年前の2015年の設定だが、空飛ぶ車が空中を行きかい、明らかな悪役のビフが恣意的に世の中を支配する世の中である。空飛ぶ車が話題になっている万博(空飛ぶ車の運行は苦戦しているが)や、現在のトランプ政権を見ていると、現在の状況は、なんだか「懐かしい未来」のデジャブのようでもある。

色々と難題はあるが、桜は美しく咲いて散っていった。

リーダーシップ(始動力)を武器に、懐かしい未来を意識しつつ歩みを進めること。

そんなことを考える今日この頃である。