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まるで視えない糸のように人と人をつなぐ関係。表面的には「理解している」と言えても、心の奥底で本当につながっているかは別問題です。
あなたは経験したことはありませんか?言葉では説明できないのに、相手の表情から「この人はわかってくれている」と感じる瞬間を。
「俺の理想の人は、アニマル浜口みたいな人なんだよね」
先日、酔いに任せて友人が漏らした言葉が妙に心に残っています。全身全霊で感情をぶつけてくる姿に心惹かれるのだと。考えてみれば、私たちが求めているのは、綺麗に整理された言葉よりも、むしろその背後にある「情熱」なのかもしれません。
部屋の隅で静かに涙する友人に、あなたはどう声をかけますか?
「大丈夫?なんでそんなに落ち込んでるの?」
「こうすれば良かったんじゃない?」
「時間が解決してくれるよ」
こんな言葉、どこか届かない気がしませんか?
悲しみの淵にいる人が最も感じているのは、この世界で「自分だけが理解されていない」という孤独感。だからこそ、「解決策」ではなく「あなたの気持ち、わかるよ」という共感が、時に強力な救いになるのです。
先日、ファミレスである夫婦の会話を聞く機会がありました。
妻が「あのレストラン、また行きたいね」と言えば、
夫は即座に「予約、取りにくいから早めに電話しないと」と返す。
妻の「素敵な景色だったよね」という感情の共有に対し、
夫は問題解決モードで応じる。
どちらも悪気はないのに、微妙にすれ違う会話の連続。
恋愛初期、誰もが少し背伸びします。「好き」という感情が私たちを変身させる魔法の呪文のよう。普段は感情表現が苦手な人も、恋する相手には詩人のように言葉を紡ぎだすことも。逆に普段饒舌な人が、大切な人の前では緊張して言葉少なになることも。
でも、この「恋の仮面」はいつまでも続きません。時間が経つにつれ、徐々に「素の自分」が顔を出してくる。そして気づくのです—「あれ、初めの頃と違う…」と。
これは「変わった」のではなく、むしろ「本来の姿に戻った」だけかもしれません。
「いつか海の見える家に住みたいな」というパートナーの言葉。
あなたなら何と返しますか?
「いいね!どんな家がいい?」と夢を広げますか?
「そのためにはいくら必要か計算してみよう」と現実路線で考えますか?
先日、電車で見かけた親子の会話。小学生の息子が「将来、宇宙飛行士になりたい!」と目を輝かせると、父親は「そのためには数学と物理を頑張らないとね」と即答。一方、隣にいた母親は「すごい!どんな宇宙を見たい?」と息子の想像力に寄り添っていました。
どちらも愛情からの言葉なのに、アプローチがこうも違うのです。
コミュニケーションの違いを「修正すべき問題」と捉えるのではなく、むしろ「異なる色彩」として認め合えたとき、関係はより豊かに彩られます。相手を変えようとするのではなく、その違いを活かし合う関係こそ、深い絆を育む土壌となります。
砂漠で喉が渇いた人が求めるのは「水の化学式の説明」ではなく「一杯の水」。同じように、心が渇いた人が求めるのは「論理的な分析」ではなく「共感という一滴」なのかもしれません。
人間関係は、奏でる音楽のようなもの。時に調和し、時に不協和音を奏で、それでも続く限り、唯一無二のメロディを紡ぎ出すのです。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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